ケニー・ロフトン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケニー・ロフトン Kenneth Lofton |
|
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | インディアナ州 |
生年月日 | 1967年5月31日(41歳) |
身長 体重 |
180cm 86kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト17巡目 |
初出場 | 1991年9月14日 |
経歴 | |
|
|
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
ケニー・ロフトン(Kenneth Lofton, 1967年5月31日 - )は、メジャーリーグベースボールの選手。左投左打の外野手。アメリカ合衆国のインディアナ州出身。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] 入団~メジャーデビュー
1988年に、ドラフト17巡目でヒューストン・アストロズから指名を受け、プロ入り。プロ4年目となる1991年には3A級で522打数168安打・17三塁打はいずれもリーグ1位となる成績を残し[1]、9月14日のレッズ戦でメジャーデビューを果たした。1991年は20試合の出場で打率.203。一方で5盗塁を決めた。その後、シーズンオフの1991年12月10日、デーブ・ロード内野手と共にクリーブランド・インディアンスにトレードされた(交換要員となったのは、投手のウィリー・ブレイアーと、捕手のエディ・トーベンシーの2人)。
[編集] 5年連続盗塁王
インディアンスに移籍して1年目の1992年は、開幕からレギュラーとして試合に出場。148試合で66盗塁(盗塁成功率85%)を決め、球団記録を更新し[2]、盗塁王のタイトルを獲得。ルーキー資格の持つ選手としてはリーグ史上ジョージ・ケース以来42年ぶりの快挙となった。その活躍ぶりが評価されて、新人王の投票でもミルウォーキー・ブルワーズのパット・リスタッチに次ぐ票を集めた。
1993年は更に成長を遂げ、打率.325(リーグ4位)、70盗塁を記録。2年連続で球団記録を更新し[2]、盗塁王のタイトルを獲得した。フル出場2年目でMVP投票で15位にランクインし、ゴールドグラブ賞を初受賞。翌1994年はストライキのため、112試合にしか出場出来なかったにも関わらず60盗塁を決め、3年連続で盗塁王を獲得した。更に自己最高となる打率.349も記録し、リーグ最多の160安打を記録した。オールスターゲームに初出場。MVP投票では自己最高の4位にランクインした。
その後、1996年まで打率.300以上を記録し、盗塁王のタイトルを獲得し続け、1995年には自己最高の13三塁打を記録するなど、41年ぶりのプレーオフ進出に貢献。1996年はリーグ最多の210安打・132得点を記録するなど昨年に続きプレーオフ進出に貢献。75盗塁を記録し、自身の持つ球団記録を更新した[2]。
[編集] 突然のトレード~再び古巣へ
1997年に球団からの5年総額4,400万ドルの契約延長を拒否[3]。3月25日にアラン・エンブリー投手と共にアトランタ・ブレーブスにトレードされた(交換要員となったのはデービッド・ジャスティスと、マーキス・グリッソムの両外野手)。122試合に出場したロフトンは打率.333を記録。しかし一方で、盗塁成功が27に対して失敗がリーグ最多の20個。1997年10月28日にフリーエージェントとなったロフトンは、移籍先として古巣のインディアンスを選び、12月8日に4年契約。わずか1年で、古巣へのカムバックとなった。
インディアンスに舞い戻ったロフトンは1998年のシーズン、154試合に出場。打率.282ながら54盗塁を決め、盗塁成功率は84.4%。リーグ最高のリード・オフ・マンの地位を取り戻した[3]。しかし、1999年はハムストリングの故障により、120試合の試合出場に終わったが5回目のシーズン100得点を達成。一方で、25盗塁とデビュー年以来の低水準となった。
レッドソックスとのディビジョンシリーズ第5戦で左肩などを負傷し、復帰はオールスターゲーム以降と思われたが、驚異的回復で1999年の開幕に名を連ねた[3]。2000年は打率がメジャー定着後ワースト.278の一方、自己最高の15本塁打を記録。8月15日から9月3日にかけてレッド・ロルフのメジャー記録に並ぶ18試合連続得点を記録した[3]。4年契約を満了し、2001年11月5日にフリーエージェントになった。
[編集] 流浪のシーズン
年が明けての2002年2月1日、シカゴ・ホワイトソックスと契約。新天地で開幕を迎えたロフトンは、7月半ばまでまずまずの働きを見せていたが、7月28日に投手のフェリックス・ディアスと、マイナーリーグに所属していたライアン・ミーアクスの2選手と交換に、サンフランシスコ・ジャイアンツへと移籍した。そのままジャイアンツで2002年のシーズンを終えたロフトンは、シーズンオフの11月4日に自身3度目となるフリーエージェントとなった。
2003年3月14日、ピッツバーグ・パイレーツと契約。2年連続での新天地での開幕となったロフトンは、パイレーツでも2002年と同様に、まずまずの成績を残していた。しかし7月23日に、ロフトンの活躍ぶりに目を付けたシカゴ・カブスが、トレードを画策。ロフトンはアラミス・ラミレス三塁手と共に、カブスへと移籍した。(交換要員となったのは内野手のホゼ・ヘルナンデスと、マイナーリーガーのマット・ブルバック。またこのトレードは、後日パイレーツが選手をもう1人獲得する事になっていた為、8月15日にボビー・ヒル内野手がパイレーツに移籍した。)カブスで残りのシーズンを過ごしたロフトンは、10月30日にフリーエージェントとなった。
フリーエージェントとなっていたロフトンは、1月6日にニューヨーク・ヤンキースと契約。ヤンキースをプレイオフに導く助っ人として期待されたが、下位打線での起用が多く、1番で起用される事を願っていたロフトンにとって、この起用は不満だったようである。思い通りの結果を残せず、シーズンオフの12月3日に投手のフェリックス・ロドリゲスと交換にフィラデルフィア・フィリーズへと移籍した。
フィリーズで開幕を迎えたロフトンは、以前のミート力が復活し、規定打席にははるかに及ばなかったものの、.335という高い打率を記録した。シーズンオフの11月2日、フリーエージェントに。年内の12月20日に、ロサンゼルス・ドジャースとの契約をまとめた。
ドジャースで開幕を迎えたロフトンは、86%という高い成功率で32盗塁を決め、打率も2年連続での.300超で健在ぶりを示した。2007年はテキサス・レンジャーズへ移籍してプレーする事となり、レンジャーズでも核弾頭としての働きを期待された。
4月3日の開幕戦で2盗塁を決め、メジャー史上17人目の通算600盗塁を達成。その後も好調を維持していたが、7月27日、インディアンスの捕手マックス・ラミレスとのトレードで移籍。三度インディアンスでプレーすることとなった。インディアンス移籍後は、過去2回の在籍時とは違い、中堅手には好守のグレイディ・サイズモアがいるため、メジャー昇格後初となる左翼手として主にプレーした。
[編集] 選手としての特徴
バッティング面での最大の特徴は、ミートが上手い事。自身の全盛期には、5年連続で打率.300を記録した事もあり、一時は打率が低迷したが、2005年頃からミート力が復活してきている。また、以前はそこそこのパワーも発揮しており、15本前後のホームランをコンスタントに放っていた。守備・走塁面でもハイレベル。盗塁王を5年連続で、ゴールドグラブ賞を4年連続で獲得した実績がある。2000年代に入ってから、年齢による衰えは隠せないものの、それでもまだまだ十分通用するレベルである。2006年シーズン終了時点で先頭打者本塁打が29本。これは歴代11位の記録である。
[編集] 獲得タイトル・記録
- 盗塁王 5回:1992年(66)、1993年(70)、1994年(60)、1995年(54)、1996年(75)
- 最多安打 1回:1994年(160)
- ゴールドグラブ賞 4回:1993年 - 1996年
- MLBオールスターゲーム選出 6回:1994年 - 1999年
[編集] 年度別打撃成績
年 | 球団 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 | 三振 | 打率 | 出塁率 | 長打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991 | HOU | 20 | 74 | 9 | 15 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 19 | .203 | .253 | .216 |
1992 | CLE | 148 | 576 | 96 | 164 | 15 | 8 | 5 | 42 | 66 | 68 | 54 | .285 | .362 | .365 |
1993 | CLE | 148 | 569 | 116 | 185 | 28 | 8 | 1 | 42 | 70 | 81 | 83 | .325 | .408 | .408 |
1994 | CLE | 112 | 459 | 105 | 160 | 32 | 9 | 12 | 57 | 60 | 52 | 56 | .349 | .412 | .536 |
1995 | CLE | 118 | 481 | 93 | 149 | 22 | 13 | 7 | 53 | 54 | 40 | 49 | .310 | .362 | .453 |
1996 | CLE | 154 | 662 | 132 | 210 | 35 | 4 | 14 | 67 | 75 | 61 | 82 | .317 | .372 | .446 |
1997 | ATL | 122 | 493 | 90 | 164 | 20 | 6 | 5 | 48 | 27 | 64 | 83 | .333 | .409 | .428 |
1998 | CLE | 154 | 600 | 101 | 169 | 31 | 6 | 12 | 64 | 54 | 87 | 80 | .282 | .371 | .413 |
1999 | CLE | 120 | 465 | 110 | 140 | 28 | 6 | 7 | 39 | 25 | 79 | 84 | .301 | .405 | .432 |
2000 | CLE | 137 | 543 | 107 | 151 | 23 | 5 | 15 | 73 | 30 | 79 | 72 | .278 | .369 | .422 |
2001 | CLE | 133 | 517 | 91 | 135 | 21 | 4 | 14 | 66 | 16 | 47 | 69 | .261 | .322 | .398 |
2002 | CWS | 93 | 352 | 68 | 91 | 20 | 6 | 8 | 42 | 22 | 49 | 51 | .259 | .348 | .418 |
SF | 46 | 180 | 30 | 48 | 10 | 3 | 3 | 9 | 7 | 23 | 22 | .267 | .353 | .406 | |
2003 | PIT | 84 | 339 | 58 | 94 | 19 | 4 | 9 | 26 | 18 | 28 | 29 | .277 | .333 | .437 |
CHC | 56 | 208 | 39 | 68 | 13 | 4 | 3 | 20 | 12 | 18 | 22 | .327 | .381 | .471 | |
2004 | NYY | 83 | 276 | 51 | 76 | 10 | 7 | 3 | 18 | 7 | 31 | 27 | .275 | .346 | .395 |
2005 | PHI | 110 | 367 | 67 | 123 | 15 | 5 | 2 | 36 | 22 | 32 | 41 | .335 | .392 | .420 |
2006 | LAD | 129 | 469 | 79 | 141 | 15 | 12 | 3 | 41 | 32 | 45 | 42 | .301 | .360 | .403 |
2007 | TEX/CLE | 136 | 490 | 86 | 145 | 25 | 6 | 7 | 38 | 23 | 56 | 51 | .296 | .367 | .414 |
通算 | 17年 | 2103 | 8120 | 1528 | 2428 | 383 | 116 | 130 | 781 | 622 | 945 | 1016 | .299 | .372 | .423 |
[編集] 脚注
- ^ "1991 Pacific Coast League Review - The Baseball Cube (英語)" 2008年6月12日閲覧.
- ^ a b c "Cleveland Indians Batting Leaders - Baseball-Reference.com (英語)" 2008年6月12日閲覧.
- ^ a b c d "The Ballplayers - Kenny Lofton (英語)" 2008年6月12日閲覧.
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
獲得タイトル・記録 | |||
---|---|---|---|
|