キリストの幕屋
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キリストの幕屋(―のまくや)は、日本のキリスト教系[1]新宗教[2]。
- 創始者:手島郁郎(てしま・いくろう、1910-1973)
- 現代表:手島千代子(てしま・ちよこ)
- 信者数:不明(毎年夏に開かれる全国聖会には数千人の参加者がある)
- 立教年:1948年(昭和23年)
- 崇拝対象:唯一絶対神ヤハウェ(ユダヤ教・キリスト教)の顕現であるイエス・キリスト
- 聖典・経典:旧約聖書 新約聖書
- 機関紙:『生命の光』(月刊誌 公称30万部)
目次 |
[編集] 歴史
熊本を本拠に聖書研究会を開いていた手島は、1948年に進駐軍へ抵抗して[3]、追われる身となり阿蘇山に潜伏。逃亡生活の中神の召命を受け、旧・新約聖書を直接原典から学ぶ原始福音運動を提唱し始めた。1950年には阿蘇山での研修会に於いて幕屋ペンテコステと呼ばれる宗教的覚醒を受け、更なる伝道を展開。1961年に宗教法人になる。
現在の代表は手島千代子。
[編集] 本部・支部
[編集] 思想
我らの信条
- 我らは、日本の精神的荒廃を嘆き、大和魂の振起を願う。
- 我らは、日本人の心に宗教の復興を願い、原始福音の再興を祈る。
- 我らは、無教会主義に立つ。従っていかなる教会・教派にも属せず、作らず、ただ旧新約聖書に学ぶものである。
- 我らは、キリスト教の純化を願うが、日本の他の諸宗教を愛し、祖師たちの人格を崇敬するものである。
- 我らは、政党・政派を超越して、愛と善意と平和をもって、日本社会の聖化を期し、社会正義と人間愛を宣揚するものである。
- キリストは言いたもう、“すべて労する者、重荷を負う者、われに来たれ、われ汝らを休ません”
[編集] 活動
無教会主義の流れを汲み[4]、旧約・新約聖書に学んでキリスト教の純化を願い、ヘブライ的な「イエス・キリストの原始の福音」に帰るとして「原始福音」と称している。また「我らの信条」に現されている様に日本の伝統的な思想(それには神道や仏教、また日ユ同祖論に立つことから古代イスラエルの伝統をも含む)を日本人の先祖の心として尊重する。このため新しい歴史教科書をつくる会など愛国的政治的運動を積極的に支援したり、自分たちも靖国神社を参拝したりする。
現代のキリスト教主流派からは、伝統的教義の否定、旧約聖書の重視、靖国神社への参拝などの面から異端とみなされる。また、このキリストの幕屋自身も、自分達は西欧中心の現代の教会の視点から見ればキリスト教の一派ではない、日本には日本人の精神に合ったキリスト教が必要であるなどと主張している。このため現在の分類上は、「ユダヤ教・キリスト教から派生した新宗教」ということになろう。
機関紙は「生命之光」。布教の一端として、誰でも持ち帰れるように、よくガードレールやバス停などに吊るされている。また、テレビの宗教番組「生命之光」は、CS衛星放送では全国で、首都圏などの主要都市では独立UHF局で、また地方では主にフジテレビの系列局で放送されている[5]。
女性信者は神への恭順を示すために共通の特徴的な髪型(幕屋髪)にする事で知られる(強制ではない)。
創立者の手島郁郎自身ユダヤ系の思想家や宗教家・イスラエル要人との交流が深く、現在においてもイスラエルに巡礼団を送ったりユダヤ教との交流を行っている。そのためイスラエルの国家政策に賛同することも多く[6]、日本における代表的なユダヤ・イスラエルのロビーと目されている。
[編集] 関連項目
[編集] 註
- ^ 但し、日本キリスト教団など一般のキリスト教会からは異端視する者も多い
- ^ 宗教法人の登録名としては原始福音キリストの幕屋
- ^ 長男の通う小学校が閉校されそうになったことが切っ掛けという
- ^ 手島は内村鑑三や賀川豊彦に師事していた
- ^ 東京での原始福音の集会が大手町サンケイプラザで開かれるなど、フジサンケイグループとの繋がりは比較的濃い
- ^ 第三次中東戦争ではイスラエルに対する多大な物的支援を惜しまず(このためユダヤ基金の「黄金の書」に記されている)、第4次中東戦争では手島が中心となってイスラエル支持のデモを行った
[編集] 外部リンク
- キリストの幕屋(公式サイト)
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