ガートルード・エリオン
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ガートルード・エリオン(Gertrude Belle Elion、1918年1月23日 – 1999年2月21日)はアメリカ合衆国の生化学者、薬理学者。1988年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
ユダヤ人の移民の子供としてニューヨークで生まれる。1937年にニューヨーク市立大学ハンター校を卒業後、1941年にニューヨーク大学にて修士号(M.Sc.)を受ける。性別を理由として大学院での研究を行えず、研究助手と高校教師として働いた後、ジョージ・ヒッチングスの助手としてバローズ・ウェルカム( Burroughs-Wellcome pharmaceutical company、後のグラクソ・スミスクライン社)で働いた。彼女は決してPh.D.を得なかった。
ヒッチングスと同様に一人で研究を行い、彼女は後に後天性免疫不全症候群の治療薬であるジドブジンの開発に結びついた革新的な研究方法にて多くの新薬を開発した。従来のトライアンドエラーの方法でなく、彼女たちは生化学的に正常な人間の細胞と病原体の違いを利用して、人間の細胞を傷つけずに特定の病原体を殺すか繁殖を阻害する薬を設計した。
彼女が発明した薬品は
- 6-メルカプトプリン(ロイケリン):白血病の第一選択
- アザチオプリン(イムラン):臓器移植に用いる免疫抑制剤の第一選択
- アロプリノール(ザイロリック):痛風治療薬
- ピリメタミン(Daraprim):マラリア治療薬
- トリメトプリム(Septra):髄膜炎、敗血症、泌尿器及び気道の細菌感染用治療薬
- アシクロビル(ゾビラックス):帯状疱疹、水痘治療薬、単純ヘルペス脳炎治療薬
がある。
彼女はジドブジンを開発するために復帰した。ほとんどの薬理学者は生涯に一つの薬を開発するかどうかであるが、彼女は六種類もの薬を開発した。1988年、ジェームス・ブラック及びジョージ・ヒッチングスと共にノーベル生理学・医学賞を受賞した。この他、1991年にはアメリカ国家科学賞、1997年にはLemelson-MIT Prizeを受賞した。1991年、National Inventors Hall of Fameに殿堂入りした最初の女性となった。
1999年に81歳で死去。生涯独身で子供はいなかった。