カシモフ・ハン国
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カシモフ・ハン国(ロシア語 : Касимовское ханство)は、15世紀から17世紀にかけて、モスクワ大公国の主権下において存在したタタール人ムスリム(イスラム教徒)の政治体である(1452年 - 1681年)。首都はオカ川流域の都市、カシモフ(現ロシア連邦リャザン州)。
モスクワ大公国によって、タタールと自国の間に建設された緩衝国で、当初は自治を行っていたが、のちには首都カシモフの市政に至るまで、全てがロシア人の影響下に置かれた。
[編集] 歴史
カシモフ・ハン国が建設されたカシモフの町は、もともとウラジーミル=スーズダリ公国がフィン人の土地に建設した都市である。この町は13世紀にモンゴル帝国の征服を受けてジョチ・ウルスの支配下に入り、14世紀後半から15世紀前半にかけてタタール人とロシア人の間で争奪された。1445年には、ジョチ・ウルスのハンのひとりでカザン・ハン国を建国したウルグ・ムハンマドが、モスクワ大公ヴァシーリー2世に勝利して領有権を割譲されたという。
その後、ウルグ・ムハンマドの息子カースィムがカザンでの政争に敗れてモスクワに亡命してきたため、モスクワ大公国は彼にカシモフの町(この町の名も「カースィムの町」という意味に由来する)を与えた。1452年、カースィムはモスクワの庇護によってハンに即位し、カシモフ・ハン国(「カースィムのハン国」)が成立した。
カシモフの歴代のハンの王統は必ずしもカースィムの子孫ではなく、ジョチ・ウルスの各ハン国(カザン、クリミア、サライ、シビル)からモスクワに亡命してきたチンギス・ハーン裔の王族たちがモスクワ大公によって即位させられた。ハン国のタタールたちもまた亡命者、移住者などからなっており、彼らは主にカザン・ハン国からやってきたカザン・タタール人であった。イスラム教の信仰と、タタールの部族的紐帯を保ちながら、モスクワ大公国の庇護下に入った彼らのことをカシモフ・タタール(カースィム・タタール)といい、他のタタールの諸政権と同様に、マンギト、アルグン、ジャライル、キプチャクなどの有力部族の長(ベグ)たちが貴族階層を形成して部族民を従えていた。カシモフ・ハン国のタタールは、イスラム教の信仰を保つことが前提となっており、ハンといえどもキリスト教に改宗したときはハンの位を捨てなければならなかった。
15世紀の後半から16世紀の前半にかけては、カシモフ・ハン国はモスクワ大公国にとってカザン・ハン国との間の緩衝国として重要であり、カシモフのハンもモスクワのカザンに対する攻撃にたびたび参加した。また、16世紀前半には、ウルグ・ムハンマド直系の王統が絶えたカザン・ハン国に対して、カシモフ・ハンのシャー・アリーが3度にわたりカザンのハン位に送り込まれている。
1552年にカザン・ハン国がモスクワ大公国に併合された後はハン国の自治も行われなくなり、カシモフの町にはロシア人の州長官が派遣された。しかし、チンギス・ハーンの男系子孫として高貴な血を誇るカシモフ・ハンの権威はその後も長く残り、1573年にキリスト教に改宗して退位したサイン・ブラト・ハン(ロシア名シメオン・ベクブラトヴィチ)は1574年から1576年の間、一時的にイヴァン4世からモスクワのツァーリの地位を譲られたこともある。
しかし17世紀に入ると、1626年から50年以上に渡ってカシモフのハン位にあったサイイド・ブルハンの時代に、カシモフ・タタールのキリスト教化・ロシア化政策が進められた。1681年、最後のハンとなったファーティマ・スルタナが没すると、モスクワ大公国はカシモフ・ハン国を最終的に廃した。
[編集] 歴代のハン
カザン・ハン国系
クリミア・ハン国系
- ヌール・ダウラト(1486年 - 1487年/1491年/1498年) - クリミア・ハン国のハジ・ギライの子。
- サティルガン - ヌール・ダウラトの子。1496年-1506年頃に在位。
- ジャナイ - サティルガンの兄弟。1508年頃に在位。
大オルダ系
- シャイフ・アウリヤール(1512年 - 1516年?) - 大オルダのアフマド・ハンの弟バフティヤール・スルターンの子。
- シャー・アリー(1516年 - 1519年) - シャイフ・アウリヤールの子。
- ジャーン・アリー(1519年? - 1531年?) - シャー・アリーの兄弟。
- シャー・アリー(2度目、1531年 - 1546年?)
- サイン・ブラト - アフマド・ハンの孫ベク・ブラトの子。1566年-1570年頃在位。
- ムスタファー・アリー - アフマド・ハンの曾孫アブドゥッラーの子。1584年頃在位。
- ウラズ・ムハンマド - オンダン・スルタンの子。カザフ・ハン国出身とする系図もある。1600年 - 1610年頃在位。
シビル・ハン国系