エジプト航空990便墜落事故
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概要 | |
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日付 | 1999年10月31日 |
原因 | 副操縦士の自殺行為 |
場所 | アメリカ・ナンタケット沖の大西洋 |
死者 | 217 |
負傷者 | 0 |
航空機 | |
機体 | ボーイング767-300ER |
航空会社 | エジプト航空 |
機体記号 | SU-GAP |
乗客数 | 203 |
乗員数 | 14 |
生存者 | 0 |
エジプト航空990便墜落事故(EgyptAir Flight 990 accident)とは1999年10月に大西洋上で発生した航空事故である。
目次 |
[編集] 事故の概要
アメリカ合衆国のロサンゼルス発ニューヨーク(ジョン・F・ケネディ国際空港)経由エジプト・カイロ行きとして運航されていたエジプト航空990便(ボーイング767-300ER、機体記号SU-GAP)が、ニューヨークから離陸して30分後の1999年10月31日午前1時50分頃(アメリカ東部標準時)、マサチューセッツ州ナンタケット島沖から南東60マイル(96Km)の大西洋上に墜落した。この事故で運航乗務員4名(うち交代要員2名)、客室乗務員10名、乗客203名の合わせて217名全員が犠牲になった。
NTSBの報告によると、事故機は墜落の直前まで順調に飛行していたが、ラシュディ機長が手洗いに行くために席を外した際にガメル・エル=バトウティ副操縦士が静かに「神を信頼する(原語のローマ字表記:Tawakkalt Aia Allah)」とアラビア語で言いながらエンジンの出力を下げ、操縦桿を強く前方へ押した。そのため巡航高度から急降下し始め、慌てて操縦室に戻ったラシュディ機長は機体を立て直すために操縦桿を引き起こそうとするとともに、エル=バトウティ副操縦士にも引き起こすように呼びかけたが、応じることはなかった。機体は一旦上昇に転じたものの、エンジンが外れ完全にコントロールを失ったまま大西洋にたたきつけられた。
[編集] 事故調査
この事故は墜落途中で機体の電源系統が故障したために、FDRとCVRへの記録が途中で終わっている。そのため事故原因の分析は難航した。その上、遺族に対する補償の割合の問題から、エジプト航空と航空機の製造会社のボーイング社との間で原因のなすりつけ合いが起きた。
[編集] 機体の不具合
エジプト側の調査機関は、「事故機の昇降舵には不具合があり、これが事故の原因である」と主張した。これは空軍出身のムバラク大統領が、事故直後に「自分の経験からすれば、昇降舵の不具合と思われる」という個人的コメントを行った事で、昇降舵に原因を求めるのがエジプト側の基本方針とされたことによる(なお、エジプトは実質的にムバラク大統領の独裁政権である)。しかし、当該機種であるボーイング767型機にて昇降舵に重大な不具合が発生したことは、過去に報告されていない。
アメリカ側も機体の故障の可能性について当然ながら検討しており、エジプト側に回収した残骸を含む資料と情報も提供した。しかし、エジプト側、アメリカ側ともに、昇降舵が原因であることを客観的に説明はできなかった。
また、1991年にタイで発生したラウダ航空の同型機の事故と同じく、エンジン制御システムの誤作動による逆噴射が原因との指摘もあるが、調査でもそのような誤作動が起こった兆候は見られなかった上、ボーイング社はこれを否定している。また、エジプト航空が当該事故について社員に対して緘口令を敷いた為、アメリカ側の調査に協力した者は非常に少ない。
[編集] 副機長の異常行動
また、事故時のエル=バトウティ副機長に不可解な行動が多く、「神を信頼する」という言葉を11回、また「コントロールしろ」など意味不明な言葉を唱えた他、上空で勝手に自動操縦を解除した上でエンジンへの燃料供給をカットしたり、機体の速度や構造強度の限界を全く無視して急降下操作を行ったりした(その間機内は無重量状態であり、席を外していたラシュディ機長はその無重量状態の中、操縦席へ向かった)。
また、操縦席に戻って来た機長の機体状況に関する問いかけに対して、エル=バトウティ副機長は全く応答せず、機長の回復操作にも協力はしていない。このため、アメリカ側やラシュディ機長側の遺族は明らかにエル=バトウティ副機長が原因と認定しているが、エジプト側の主張では、これは突然の昇降舵の不具合に対してエル=バトウティ副機長が必死にリカバリー操作を行っていたからだと主張している。
事故原因とされるエル=バトウティ副機長は3か月後に定年を迎える古参の社員であり、事故当日は大西洋上空の巡航のみ担当するバックアップ要員であった(当該航路は飛行時間が長いので、離着陸を本来の機長と副機長が担当し、大西洋上を自動操縦する間の一部をバックアップのクルーが担当する2シフト制だった)。しかし、なぜかエル=バトウティ副機長は離陸後間もなく、本来の副機長に対して強く交代を要請した。本来の副機長は当初は交代を渋ったが、結局は年長のエル=バトウティ副機長を敬う様な形で応じている。
エジプト航空の同僚や、事故後に調査に協力したことを咎められ、その結果イギリスに家族ぐるみで亡命した元同僚の証言によれば、エル=バトウティ副機長は素行に問題があり、アメリカでの宿泊地にて数度に渡りセクハラ問題を度々起こしており、同僚から何度も注意や警告をされていた上、事故前夜にも問題を起こしていたことから、当日の機長であるラシュディ機長に以後のアメリカ便の乗務の禁止を言い渡されていた。エル=バトウティ副機長の異常行動には、宿泊中のホテルで女性客に電話をかけ、窓から自分の下半身を見るよう誘ったり、ホテルの女性従業員を部屋に誘おうとするなど、過敏なものも多数ある。
また、翌年に迫った定年までに、一度も機長を経験できなかった点について劣等感があったとされる。なお、セクハラ問題についてはエル=バトウティ副機長の遺族も認めている。
[編集] 最終報告
ほかに旅客機内部で爆発などのテロが発生した痕跡もなかったため、アメリカ合衆国のNTSBは2002年3月に最終報告書を発表し、動機(自殺か他殺か)までは解明できないが、事故はエル=バトウティ副機長の故意の操作によるものと断定した。このアメリカ側の調査結果に対し、エジプト航空安全局と同国政府(エジプト航空のオーナーでもある)は反発しこれを認めなかった。
このエジプト政府の対応について、欧米各国のマスコミは「エル=バトウティ副機長がムスリムのエジプト人であり、エジプト文化やムスリムの文化では自殺に対する文化的な嫌悪感が背景にある」と指摘した。ただし、現在のエジプトでは自殺に対するそのような考え方は少数派であり、この事故においては、実際はごく一部の超保守的な団体が反発しただけである。
その後の一部報道によれば、エジプト航空関係者の証言として、エル=バトウティ副機長の自殺といえる意図的な行動の動機について、機長と会社への個人的恨みによる報復であるとされている。また自爆テロの可能性も指摘されているが、政治的背景があったか否かは不明である。