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イッザト・イブラーヒーム - Wikipedia

イッザト・イブラーヒーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

イッザト・イブラーヒーム・アッ=ドゥーリーعزت ابراهيم الدوري ‘Izzat Ibrāhīm al-Dūrī, 1942年7月1日 - )は、イラク政治家で、元イラク革命指導評議会副議長。日本語の報道では「イブラヒム (元) 副議長」とされることが多い。 別名「アブー・ブライス」 軍階級は陸軍中将だが、彼自身は軍への入隊経験は無い。

目次

[編集] 生い立ち

イッザト・イブラーヒームはティクリート近郊のアッ=ドゥール村の貧しい氷屋のスーフィーの家庭に生まれた。幼少時から父親の手伝いをして周辺の村々に氷を売っていたため、ろくに学校には通えなかった。そのためコーラン以外の書物は読んだことがなかったと言われる。

地元の高校で教員として働いていた際に、汎アラブ主義思想に目覚め、当時は非合法政党だったバアス党に入党して党の活動に参加し、1959年と1962年に投獄された経緯がある。

1963年2月8日のカースィム政権を打倒したクーデターには、汎アラブ主義者やバアス党支持者らで結成された「国民義勇隊」の隊員として参加した。しかし、同年11月、バアス党によるアーリフ政権転覆を計ったクーデター未遂事件に関与していたため投獄され、刑務所で同じく投獄されていたサッダーム・フセインと出会う。 1967年に恩赦で出獄した。

[編集] バアス党政権時代

1968年7月17日のバアス党主導のクーデターが成功し、アフマド・ハサン・アル=バクル政権が樹立されると、党の機関紙の一つである「農民の声」紙の編集長及び国民労働最高委員会の委員長に任命される。1969年11月には、革命指導評議会(RCC)メンバーに選出される。

1970年から1974年まで土地改革相。1972年からは農相も兼務し、主に農政改革を取り仕切った。

1973年には、バクル政権を狙ったクーデター未遂事件の首謀者を裁く、特別裁判所の裁判長としてクーデター実行犯を裁いた。74年には党地域指導部メンバーに選出され、内務大臣に任命される。

1977年の9月には、農業最高委員会委員長に就任。10月には党民族指導部メンバーに選出され、当時、バクル大統領以上の実力者であった、サッダーム革命指導評議会副議長の右腕として、着々と権力の階段を登っていった。

[編集] 政権No.2へ

1979年、サッダームの大統領就任と同時にRCC副議長・バアス党地域指導部副書記長兼バアス党民族指導部副書記長に就任。事実上の政権序列第2位の地位を占めた。

1982年7月、「サッダーム・フセイン失脚説」が西側メディアで流された際、「イラクの政権はサッダーム派とイブラーヒーム派に分裂しているのではないか?」などという憶測報道がなされた。

1980年代後半に党北部局副議長に就任した際には、クルド人の弾圧を目的にした「アンファール作戦」を指導。クルド人住民に対する大量虐殺に関わったとされる。このときの党北部局議長は「ケミカル・アリー」で悪名高いアリー・ハサン・アル=マジードである。

1991年湾岸戦争ではイラク占領下のクウェートサウジアラビアとの国境付近にある沿岸の町、ハフジの占領作戦を指揮したとされる。

また、湾岸戦争後に、国軍副最高司令官に任命され、シーア派・クルド人の反政府蜂起の鎮圧を指揮した。特にイラク南部の湿地帯に住むマーシュ・アラブ人の住む湿地を干上がらせて住民環境を破壊し、反乱に加担したマーシュ・アラブ人への懲罰措置を実行したとされる。

南部の反乱を鎮圧させると北部に向かい今度は、クルド人の反乱を戦闘ヘリでの空からの銃撃等で鎮圧した。この時、「ハラブジャの出来事を忘れたなら、我々は同じ活動を繰り返す準備が出来ている」と語ったとされ、暗にハラブジャでの化学兵器による住民殺害事件に触れて警告した。また、一時期軍政下に置かれたキルクークの知事に任命された。

1995年にはサッダームの長男ウダイ・サッダーム・フセインとイブラーヒームの娘が結婚した(後に離婚)。一時期にしろ、サッダームと姻戚関係になった。 政権第2の実力者になったイブラーヒームは、故郷アッ=ドゥールの出身者である、ドゥール閥の人間やスーフィー信者を党、治安・情報機関、国軍の幹部に数多く登用して自らの権力基盤を固めた。

1998年のアメリカによる「砂漠の狐作戦」における空爆が始まると、国軍北部軍管区司令官に任命された。対クルド対策を実績をサッダームに見込まれたためと見られ、2003年のイラク戦争時にも、北部軍管区司令官に任命されている。

2002年のベイルートで開かれたアラブ首脳会議ではサッダームの代理として出席。クウェート外相、サウジアラビア皇太子と会談し、湾岸戦争後に険悪化した両国との「和解」を演出した。またクウェートの主権を認めると発言して従来の政権の見解である「クウェートはイラクの領土」という見方を修正する発言をした。

同年9月のバグダードでのアラブ議会連盟の会議においてアラブ諸国に対して「アメリカ・シオニストの脅威」に対抗するよう呼びかけた。

イラク戦争開戦直前の2003年3月、ドーハで開かれたイスラム諸国会議機構に出席、アメリカ軍の駐留を認めた湾岸諸国を非難、特にクウェートを集中的に批判し、これに怒った同国代表が反論すると「黙れ猿!」と罵倒した。

[編集] イスラーム政策

イッザト・イブラーヒームは世俗的とされるフセイン政権の中でも熱心なムスリムと見られていた。1993年に、政権は彼の指導の下、信仰キャンペーン(アル=ハムラ・アル=イマーニーヤ)を展開。ワクフ・宗教省が全国のモスクを監督し、独自のウラマーを任命。その一方信徒らによる独自の礼拝、モスクの修理やワクフ管理を認めるなど、スンナ派ムスリムに多くの自由裁量を与え、体制による締め付けを緩和。この結果スンナ派反体制派の動きは大幅に減少・自然消滅した。また、アラブ・イスラーム諸国のウラマーをバグダードに集めてイスラーム知識人会議を開き、自ら会を主催した。

元イラク暫定政府首相のイヤード・アッラーウィーによるとこの会議にアルカーイダアイマン・ザワーヒリーが密かに出席していたとし、ここで米国に対するテロ計画を謀議したと語ったが、真偽のほどは不明である。

しかし、一定の自由が与えられたのはスンナ派だけであり、シーア派に対しては徹底した監視・弾圧を加えた。例えば、シーア派指導者の拘束・暗殺、恣意的な同派信徒の逮捕、独自儀式の禁止、イスラーム教育への干渉などである。伝えられるところでは、シーア派のモスクには常に政権の治安・情報機関の職員が入り込み監視していたという。 その反動からか、イッザト・イブラーヒームは1998年に行事の為にカルバラーを訪れた際に暗殺未遂に遭っている。

[編集] 政権崩壊後

イラク戦争開戦直前に頻繁に開かれた政権幹部会議に出席する際は常にサッダームの隣に座り、最後まで側近中の側近であった。が、開戦翌日にアメリカが「空爆でイブラーヒーム副議長、ラマダーン副大統領、マジード大統領顧問が死亡したとみられる」と発表し、その後にイラク国営放送が「イブラーヒーム副議長は健在だ」と主張し、小さな明るい事務室と思われる部屋で「イブラーヒーム副議長が部下に指示をだしている」映像を公開した。

しかし、これが現在のところ、伝えられた実際のイブラーヒームの最後の姿である。その後も国営テレビはサッダームが戦争中も幹部会議を隠れ家で開いている映像を放送したが、ラマダーン副大統領らの側近はこれらの映像に登場していたが、イブラーヒームがサッダームと同じ場所に登場する映像は一切放映されなかった。北部軍管区司令官として、北部方面の軍やバアス党組織の指揮を執っていたと言われている。

その後、政権が崩壊すると、イブラーヒームはイラク北部から隣国シリアに、複数の政権幹部と共に亡命したとされる。イブラーヒームはそこで、イラク・バアス党の組織を再編成し、イラク国内で活動する「ジャイシュ・ムハンマド」といった旧政権残党勢力の反米ゲリラ活動を指揮しているされる。2003年には党地域指導部書記長の職に、サッダーム拘束後は、「大統領代行」に任命されたという声明が出された。別の報道によるとバアス党系の武装組織を束ねた「イラク・レジスタンス評議会議長」という立場にあるといわれる。

当時のウォルフォウィッツ国防副長官によると、2003年10月、武装組織「アンサール・アル=イスラーム」(現アンサール・アル・スンナ軍)の捕らえられたメンバーによるとイブラーヒームが対米攻撃活動を指揮、資金提供をしていると証言したとされ、また、イラク・バアス党の残党勢力と反米イスラーム主義組織との仲介・共闘も行ったとされる。

2003年9月に拘束されたとの報道がなされたが、その後米当局が否定。米軍は11月にイッザト・イブラーヒームの拘束・殺害に関する情報に1000万ドルの賞金を賭けた。同月、米軍は投降への圧力を掛けるためにイブラーヒームの妻と娘をサーマッラーで逮捕。また数人の親族と、彼の主治医の息子を矢継ぎ早に拘束した。12月に投降したとの報道が流れたがこれも誤報だった。

2004年には潜伏してると見られていたイラク北部を集中的に捜索し、1月に個人的側近や金庫番、兄弟、甥などが次々に拘束されたが、ついに本人を捕らえることはできず、3月に潜伏先を知ってるいるとされる3人を拘束したが、何の手がかりは得られずにすぐに釈放された。 2004年9月には、当時のイラク暫定政府の閣僚によりティクリートの病院で拘束されたと発表されたが、後に別人を誤って逮捕したとして否定された。

時折、アラブメディアとのインタビューに答えて健在ぶりをアピール。2005年11月、イラク・バアス党系ウェブサイト「アル=バスラ・ネット」が、外国通信社に電子メールで、「死亡した」との声明を送ってきたが、その後、同サイトで否定声明が出された。

2006年3月、アルジャジーラがイブラーヒームのものとされる音声メッセージを放送。アラブ諸国にイラクのスンナ派武装勢力を支持するよう訴えた。

だが、サッダーム本人は、このイブラーヒームの声明を苦々しく思っていたらしく、「アル=ファイハア・テレビ」との獄中インタビューにて、政権在任中にイブラーヒームがバアス党女性組織「イラク女性総連盟」の大会で、サッダームの許可無く勝手に演説したことと比較して、2006年3月の音声メッセージについても、「私の認可も得ずに演説している」「自分(サッダーム)の代理としてでは無く、さも自分が(バアス党の)代表かのように喋っている」と不満を表明。また、「国の予算(旧政権下に貯めてあった資金)を勝手に使い、イラクの人々のモスクや学校を爆破している。」と非難して、イブラーヒームを変節漢とまで呼び、「奴の舌と耳を切り落としてやりたい。それでも奴が手話を使って演説するなら、両手を切り落として、あの変節漢を追い払う」とまで語った。

7月、英紙ザ・タイムズとの書面インタビューに応じ、「イラクの武装勢力の80%が旧イラク国軍の兵士だ」と語り、外国人戦闘員の人数は僅かだと述べた。11月、一部イラクのスンナ派政治家らによると、イブラーヒームが配下の武装勢力に戦闘停止を命じたと語ったが真偽は不明。

サッダーム・フセイン処刑後、イラク・バアス党系ウェブサイトにて「イッザト・イブラーヒームがイラクの合法的な大統領及び国軍最高司令官に選出された」との声明が出された。

2007年10月3日、アラブ首長国連邦のテレビ局、アル=アラビーヤは、イッザト・イブラーヒームがイラクの武装勢力の統一機構「ジハードと解放」という組織を結成し、その最高指導者に就任したとの、同組織のスポースクマンを名乗る人物が語るビデオ映像を放送した。組織には、「ナクシュバンディー軍の兵士」という正体不明の武装組織が加わっているという。

2008年5月26日、イッザト・イブラーヒームがエジプトのタブロイド誌とのインタビューに応じたと報じられた。インタビューでは、2003年からの戦闘で旧政権支持者の120万人が死亡したが、抵抗がイラクの解放まで継続すること、旧政権残党が自爆攻撃を実行してきたこと、そしてアメリカ軍がイラクから撤退し、イラク現政府を廃止してイラク・バアス党を「イラク人民の合法的な代表」と認めるならば、アメリカと休戦に向けて交渉する用意がある旨を表明した。 また、旧政権残党には、休むことなく、多国籍軍の供給ラインを切断し、イラク国民を傷つけることなく敵を攻撃するよう命じた。

[編集] 健康問題

イッザト・イブラーヒームは数年前から白血病を患い、処置のため6カ月ごと輸血を受けていたとされる。1999年治療のためオーストリアウィーンに滞在中に同国にいた反体制派がオーストリア政府に彼を「人道に対する罪」で逮捕するよう訴えたため、慌てて帰国した経緯がある。

[編集] 家族

妻はジャウハル・マジード・アッ=ドゥーリー、サンドゥス・アブドゥッ=ガフール、ニザール・アル=ラビーイー、インティッサール・アル=ウバイディーの全部で4人。 実子は何人かは不明。子沢山だったらしく、サッダームの主治医を務めたアラー・バシール氏によると「子供の人数が多すぎて、彼自身、名前や顔を覚えていない」と語っている。 一番年下の妻は、イブラーヒームが見初めて結婚した。

[編集] 関連項目


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