イギリス領ソマリランド
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イギリス領ソマリランド(イギリスりょう ソマリランド、英語:British Somaliland)は、1884年から1960年まで存在した、アフリカの角におけるイギリスの保護領・植民地のことを指す。
[編集] 概要
1870年代まで、この地域はエジプトのムハンマド・アリー朝が支配していた。だが1884年、アデン駐留のイギリス軍が駐屯するようになり、ソマリランドの各部族と協定を締結、1887年には同国により保護領化された。1898年までは行政上イギリス領インド帝国の統治下にあったが、いったんイギリス外務省に所管が移され、1905年に植民地省の管轄となった。
1900年から、イギリスの内陸進出に反発したソマリ族の宗教指導者モハメド・ビン・アブドラ(マッド・ムラーと呼ばれた)による反乱が相次ぎ、内陸からイギリス勢力を駆逐、1920年に和解した。その間にイタリアが内陸部の支配権を確立、イタリア領ソマリランドを成立させている。
第二次世界大戦中の1940年8月3日、17万5千人の軍勢を率いたイタリア軍(7割はアフリカ人)がイタリア領東アフリカよりイギリス領ソマリランドに侵入、8月19日には主都ベルベラが占領され、同地域は完全にイタリアの支配下に入った。その後イタリア領ソマリランド、エチオピア、エリトリアで構成されるイタリア領東アフリカとは別個の行政体として統治されるが、1941年3月16日に連合軍の上陸作戦が行われ、その月のうちにイギリスが奪還した。
再びイギリスの施政下に戻ったイギリス領ソマリランドは、1960年6月26日にソマリランド共和国として独立する。ここに、イギリス領ソマリランドの73年間におよぶ統治が終了した。だがこの独立は、同年7月1日に予定されていたイタリア領地域の独立を見越して同地域との統合を目的としたもので、この独立は5日間だけの限定的なものであった。予定通り7月1日に両地域は統合され、ソマリア共和国が発足した。しかしその後、南部優遇の経済政策などを推し進めたモガディシュの中央政府に対して北部のソマリ国民運動は反発を強めてゆき、モハメド・シアド・バーレ政権崩壊後の混乱の隙に旧イギリス領ソマリランド地域のソマリア共和国からの脱退・分離独立を計画し、1991年6月にソマリランド共和国として再度独立した。現在のところ国際的な承認はないが、すでにソマリアとは全く別の国家として機能している。