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アントニオ・サリエリ - Wikipedia

アントニオ・サリエリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アントニオ・サリエリ
Antonio Salieri
基本情報
出生日 1750年8月18日
出身地 イタリアレニャーゴ
死没日・地 1825年5月7日
ジャンル 古典派音楽
  
Image:Logo_music_new2.jpg
クラシック音楽
作曲家
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アントニオ・サリエリAntonio Salieri1750年8月18日 - 1825年5月7日)はイタリアレニャーゴ生まれの作曲家である。

サリエリは同時代には世間からかなりの賞賛を得ていた。幼少のころからたぐいまれな才能を顕わしたあと、1766年ウィーンの宮廷へ招かれた。彼はそれ以後ウィーンにとどまり、1788年には宮廷楽長に任命され、亡くなる直前の1824年までその地位にあった。

彼はウィーンで作曲家として、特にオペラ室内楽それと宗教音楽において高い名声を博した。彼の43曲のオペラのうち、もっとも成功したのはDanaides1784年)とTarare1787年)だった。

サリエリは高い社会的地位を獲得し、しばしばハイドンなどの著名な作曲家との交際があった。教育者としての評価も高く、ベートーヴェンシューベルトリスト、更にはモーツァルトの息子フランツ・クサーヴァー・モーツァルトが彼の指導の恩恵を受けたのである。

サリエリに関する事柄で最も有名なのはモーツァルトと対立したことである。1820年代のウィーンでは、サリエリがモーツァルトから盗作したり、毒殺しようとしたと非難するスキャンダルが起こった。ただし、これらは何ひとつ立証されてはいない。これはロッシーニを担ぐイタリア派とドイツ民族のドイツ音楽を標榜するドイツ派の対立の中で、宮廷楽長を長年独占して来たイタリア人サリエリが標的にされたといわれている。

このスキャンダルを元に当時すでにロシアの大詩人プーシキンが『モーツァルトとサリエリ』なる劇詩を発表しているが、それをモチーフにした作品にリムスキー=コルサコフによるオペラ『モーツァルトとサリエリ』やピーター・シェーファーの戯曲『アマデウス』(1979年)、その映画化作品でアカデミー賞を受賞した『アマデウス』(1984年/2001年完全版)などがある。これらの作品はどれもサリエリをモーツァルトに対し深い嫉妬を持ち、きわめて不誠実なことをした人物として描いている。しかし、後者の映画『アマデウス』はサリエリへの新解釈としても知られる。

但し彼が精神病院で余生を閉じたり、モーツァルトを死に追いやったと告白する描写は当時のスキャンダラスな風聞を元にしており事実とは大きく異なる。実際に彼は死の直前まで入院していたが、それは痛風と視力低下が元で起こった怪我の治療の為であり、精神を病んでいた訳では無い。ただ、身に覚えの無い噂に心を痛めていたらしく、弟子のモシェレスにわざわざ自らの無実を訴えた所、かえってこれがモシェレスの疑念を呼び、彼の日記に「モーツァルトを毒殺したに違いない」と書かれてしまう結果になる。また実際の彼はイタリア出身の為、最後まで流暢なドイツ語が話せなかった。

彼は以前ロッシーニからも「モーツァルトを本当に毒殺したのか?」と面と向かって尋ねられた事があり、その時は毅然とした態度で否定する余裕があったが、病苦と怪我で気が弱くなっていたのは事実である。

意外に知られていないが、ベートーヴェンの『ウェリントンの勝利』初演に参加し、砲手や太鼓奏者のための副指揮者を担当した。

経済的に成功した為か、弟子からは一切謝礼を取らず、逆に才能のある弟子や生活に困る弟子には支援を惜しまなかった。慈善活動にも熱心で、職を失って困窮する音楽家やその遺族の為に、互助会を組織し、慈善コンサートを毎年開催し、有力諸侯に困窮者への支援の手紙を書くなどしている。

今日におけるサリエリの負のイメージはモーツァルトの書簡が元になっている。彼の主張によれば「ウィーンで自分が高い地位に付けないのはサリエリが邪魔をする為」となっているが、公平に見てこれは、僻み、逆恨み的な言い掛かりである。当時サリエリはオペラで最も成功した音楽家であると同時に、様々な面で面倒見の良い人物として知られていた。対してモーツァルトは素行に些か問題があり、人望の面で明らかに差があったのは事実である。音楽家としてもモーツァルトは当初、作曲で勝りながら、台本の選択を誤り、オペラ対決で聴衆の好みに精通していたサリエリに負けている。サリエリが厚遇されていたのは貫禄の差と言うより他無い。

近年、まだ一部の動きではあるが、サリエリの再評価をする向きがあり、チェチーリア・バルトリがサリエリのアルバムを出し、またオペラもDVD化されている。

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