アントニオ・カッサーノ
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アントニオ・カッサーノ | ||
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名前 | ||
ラテン文字 | Antonio CASSANO | |
基本情報 | ||
国籍 | イタリア | |
生年月日 | 1982年7月12日(25歳) | |
出身地 | バーリ | |
身長 | 175cm | |
体重 | 73kg | |
選手情報 | ||
在籍チーム | サンプドリア | |
ポジション | FW | |
背番号 | 99 | |
利き足 | 右 | |
代表歴 | ||
2003- | イタリア | 11(3) 2008年5月29日現在 |
アントニオ・カッサーノ(Antonio Cassano、1982年7月12日 - )は、イタリア・バーリ出身の同国代表、セリエA・サンプドリア所属のサッカー選手(FW)。
目次 |
来歴
バーリの貧しい旧市街で育つ。[1]。地元のクラブASバーリのユースチームからトップチームへと昇格し、1999年12月11日のレッチェ戦でセリエAにデビュー、一週間後にはインテル・ミラノ戦でゴールを挙げた。イタリアのトップクラブはこぞってカッサーノの獲得に乗り出し、2001年夏に当時のセリエAチャンピオンであったASローマに2,850万ユーロの移籍金で移籍した。[2]
イタリア代表でのデビュー戦となった2003年11月のポーランド戦では代表初ゴールも決めた。EURO 2004では、デンマーク戦で相手選手に唾を吐いて出場停止となったフランチェスコ・トッティに代わって先発出場したスウェーデン戦で同点ゴール、ブルガリア戦で逆転ゴールを決めたが、イタリアは総得点の差でグループリーグ敗退した。[3][4]
気難しい性格から問題児と呼ばれることが多く、監督とのいさかいは数え切れない。イタリアでは彼の問題行動を表す「カッサナータ (Cassanata)」という新語も生まれた。[5][6]特に衝突もしたが父親のように慕っていた[7]ファビオ・カペッロ監督がユヴェントスに移籍した後は、ルディ・フェラー、ルイジ・デル・ネリ、ルチアーノ・スパレッティと殆どの後任監督と衝突した。この時期、移籍市場ではユヴェントス移籍の噂が絶えなかった。
2006年1月、スペインのレアル・マドリードに500万ユーロの移籍金で移籍した。[8]2005-2006シーズンは調整不足が祟り満足な結果を残せず、マスコミから「マドリードはブラジルのブタ(ロナウド)だけでなくイタリアからもブタ(カッサーノ)を連れてきた」と酷評を受けた。2006年8月にファビオ・カペッロがレアル・マドリードの監督に就任すると復調の兆しを見せるようになる。2006年9月には新監督のロベルト・ドナドーニによって、約1年ぶりにイタリア代表にも招集された。EURO 2008予選2試合に出場したが、それ以降はまた代表から遠ざかっている。2006年10月30日のヒムナスティック・タラゴナ戦後、ロッカールームでカペッロ監督を侮辱する言動をしたことで全体練習への謹慎処分を受けた。[9][10]2006-2007シーズン冬の移籍市場では他クラブへの移籍話が飛び交ったが、結局マドリードに残留し、このシーズンのリーグ優勝を経験した。
2007年8月にマドリードからサンプドリアに買い取りオプション付きの1年のレンタル移籍で移籍した。[11]
エピソード
勉強が苦手らしく中学時代は留年になりかかったこともあるという。
ローマ時代のチームメイト、フランチェスコ・トッティとは親しかったが移籍話が取りざたされ、カッサーノが不穏な動きを取るようになったことから2人の関係はこじれ、現在は不仲だという。
選手経歴
脚注
- ^ "カッサーノのマドリー入りが決定" uefa.com. 2006年1月3日. 2008年5月4日閲覧.
- ^ "“問題児”カッサーノがマドリーに参上" uefa.com. 2006年1月4日. 2008年5月4日閲覧.
- ^ "カッサーノ新エース襲名弾/欧州選手権" nikkansports.com. 2004年6月20日. 2008年5月4日閲覧.
- ^ "修復されなかったカテナチオ。" - goo スポーツ:NumberWeb -. 2008年5月4日閲覧.
- ^ "カッサーノは異国で大人になれるか。" - goo スポーツ:NumberWeb -. 2006年1月6日. 2008年5月4日閲覧.
- ^ "【豊福 晋の欧州蹴球日記】“カッサナータ”に悩まされるローマ" OCNスポーツ. 2004年11月16日. 2008年5月4日閲覧.
- ^ "カペッロ「カッサーノはサッカー選手として新しく生まれ変わる」" livedoor スポーツ. 2006年1月7日. 2008年5月4日閲覧.
- ^ "レアル・マドリード カッサーノのサンプドリアへの期限付き移籍を発表" AFPBB News. 2007年8月15日. 2008年5月4日閲覧.
- ^ "マドリー、カッサーノの練習参加を禁止" uefa.com. 2006年10月30日. 2008年5月4日閲覧.
- ^ "カッサーノ、チームに謝罪。‘カッサーノ問題’もようやく一件落着" livedoor スポーツ. 2006年11月12日. 2008年5月4日閲覧.
- ^ "サンプドリアがカッサーノを獲得" uefa.com. 2007年8月14日. 2008年5月4日閲覧.
イタリア代表 - UEFA欧州選手権2008 | |
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1 ブッフォン | 2 パヌッチ | 3 グロッソ | 4 キエッリーニ | 5 ガンベリーニ | 6 バルツァッリ | 7 デル・ピエロ | 8 ガットゥーゾ | 9 トーニ | 10 デ・ロッシ | 11 ディ・ナターレ | 12 ボリエッロ | 13 アンブロジーニ | 14 アメリア | 15 クアリャレッラ | 16 カモラネージ | 17 デ・サンクティス | 18 カッサーノ | 19 ザンブロッタ | 20 ペッロッタ | 21 ピルロ | 22 アクィラーニ | 23 マテラッツィ | 監督 ドナドーニ |
イタリア代表 - UEFA欧州選手権2004 | |
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1 ブッフォン | 2 パヌッチ | 3 オッド | 4 ザネッティ | 5 カンナヴァーロ | 6 フェラーリ | 7 デル・ピエロ | 8 ガットゥーゾ | 9 ヴィエリ | 10 トッティ | 11 コッラーディ | 12 トルド | 13 ネスタ | 14 フィオーレ | 15 ファヴァッリ | 16 カモラネージ | 17 ディ・ヴァイオ | 18 カッサーノ | 19 ザンブロッタ | 20 ペッロッタ | 21 ピルロ | 22 ペルッツィ | 23 マテラッツィ | 監督 トラパットーニ |
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