アパッチプロレス軍
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本社所在地 | 東京都墨田区 |
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代表者 | 不明 |
外部リンク | http://www.apache-pro.com/ |
特記事項:旗揚げ戦:2004年8月30日 | |
アパッチプロレス軍(-ぐん)とは、FMW解散後に金村キンタローらによって結成されたプロレスチームである。
目次 |
[編集] 概要
前身は2002年5月5日に冬木弘道が設立したWEW(ワールド・エンターテイメント・レスリング)で、冬木が2003年3月19日に死去し、7月7日に社名を冬木軍プロモーションと改めた。
アパッチプロレス軍としては、2004年8月30日に後楽園ホールで旗揚げ戦を行った。インディーとデスマッチの地位向上を目指し、ZERO1-MAXや大日本プロレスと相互に参戦し合う。当初はWMFの所属選手もメンバーだったが、現在は絶縁している。
2005年1月5日に金村が以前からインディー団体に批判的な長州力と対戦し敗れ、その時の「負ければ長州の軍門に下る」という公約をめぐって、金村は孤立し、BADBOY非道が仕切っていたが、ようやく和解した。
2006年は新日本プロレスにも参戦。新日本の選手から「長州が連れて来た雑魚」と酷評されるが、勿論彼等は否定している。しかし、彼らの試合は新日所属選手同士の試合以上に盛り上がっていることも事実であり、それを認めたくないという声もある。
アカレンジャーズの佐々木貴が突如、反アパッチ軍として金村たちを裏切る。ただ1人孤立した状態と思われたが、大日本の伊東竜二、関本大介など加え「たかし軍団」となり、やがてHi69、BBH、TAKAみちのく、真壁刀義など団員が増え、アパッチ、大日本と暴れまくっている。さらに真壁のたかし軍団加入により、LOCK UPにもアパッチ軍とたかし軍団の抗争ストーリーがもつれ込むようになった。
「生温いアパッチの活性化」というたかし軍団の当初の目的が達成されたのか、正規軍とたかし軍団の抗争は2007年に一段落したが、真壁はこの抗争を期にG・B・Hを、GENTAROがジ・ウィンガー・Hi69とデスマッチ否定派閥「PULP PACKS」をそれぞれ結成。これに応戦する為、葛西純は大日本で結成・活動していた「045邪猿気違's」の活動範囲をアパッチへ拡大。佐々木貴も3.14大日本後楽園大会・デスマッチヘビー級選手権で対戦した宮本裕向を、たかし軍団へ組み入れた。
2006年12月からは、各選手のセルフプロデュース興行を実施。現在まで葛西純・佐々木貴・黒田哲広をプロデューサーとして開催され、いずれも成功を収めている。冬季開催時には、各選手をテーマにしたちゃんこ鍋が販売された(葛西はキムチ風、佐々木は海老入り、黒田は地元・北海道の海の幸を取り入れた)。
葛西・佐々木はこのセルフプロデュース興行の中で、「金村・黒田体制からの自立」という共通の目標が生まれ、「WEWヘビー奪還」を目標とするマンモス佐々木とも意見が一致。「新生アパッチ」と称した新体制の旗揚げを高らかに宣言した。
「対メジャー」路線がアパッチ本隊vsG・B・Hの、「デスマッチ・イデオロギー」が045邪猿気違's vs たかし軍団 vs PULP PACKSの対立概念になっている。
2008年2月18日、金村キンタローが大日本プロレスの女性スタッフに猥褻行為を行っていた事件が公に発覚。アパッチプロレス軍勢の話し合いの結果、2月の自主興行をもって金村の無期限出場禁止及び解雇処分、並びにアパッチプロレス軍としての興行の無期限活動自粛を、同22日に金村の懲戒解雇処分を発表したため、現在社長の席は空席となっている。3月22日、金村キンタローと被害者との和解が成立。3月23日、BADBOY非道が退団を発表。3月27日、金村キンタローがメビウス新宿大会にて復帰。
アパッチファンのために4月17日に黒田哲弘による自主興行、5月16日に佐々木貴による自主興行が開催された。その際に6月に団体のロゴマークを一新し、活動再開を発表した。
6月、アパッチプロレス軍興行により活動再開。
[編集] タイトルホルダー
アパッチプロレス軍が関わる他団体管轄の王座と保持者(2007年9月23日現在)
[編集] 所属選手
[編集] 参戦選手
[編集] スタッフ
[編集] レフェリー
- 李日韓(大日本プロレス所属)
- 大橋篤(大日本プロレス所属)
- トミー茨城(KAIENTAI-DOJO所属)
[編集] リング・アナウンサー
- 味方冬樹(KAIENTAI-DOJO所属)
- 村上健(大日本プロレス所属)