ひとりで生きてゆければ
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ひとりで生きてゆければ | ||
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オフコース の シングル | ||
リリース | 1976年5月5日 | |
録音 | 1976年2月26日 - 2月29日 | |
ジャンル | J-POP | |
レーベル | エキスプレス/東芝EMI | |
プロデュース | 武藤敏史、小田和正、鈴木康博 | |
オフコース 年表 | ||
眠れぬ夜 (1975年) |
ひとりで生きてゆければ (1976年) |
めぐる季節 (1977年) |
ひとりで生きてゆければは、1976年5月5日に発売されたオフコース(当時の表記はオフ・コース)通算8枚目のシングル (ETP-20259)。
目次 |
[編集] 解説
「ひとりで生きてゆければ」はアルバム『SONG IS LOVE』(1976年11月5日発売 ETP-72212)に収録されるが、アルバム収録曲と同内容。この曲は後に小田がシングル「遠い海辺」(1997年5月21日発売 FHDL-1105)のカップリング曲としてセルフカヴァーしているが、そこでは歌詞が一部書き換えられている。
このシングルより、プロデューサー武藤敏史の紹介で、武藤が以前ディレクターを担当していたジャネットの元メンバー大間ジローがレコーディングに初めて参加した。そして発売日の1976年5月5日、オフコースに加入する。
武藤によれば「この曲は『歌を捧げて』や『老人のつぶやき』のような静かな曲の系統に近いが、その中に新鮮なビートもあり、彼らの多用な音楽的な側面のうち、“静”傾向の曲を代表するもの、その真髄を示す曲だといえるとも思うし、僕の大好きな曲のひとつでもある」と語っているほか、大間の加入については「この曲のレコーディングからドラムの大間ジローが参加していることも、オフコース史のひとつのエポックになったと言えると思う。僕も小田、鈴木の両氏も常々、レコーディングのたび考えていたことなのだが、『ハイ、やりましょう』と言ってスタジオ・ミュージシャンが入って来て音を録る。そして終わったら『お疲れさま』と言って別れるというのじゃ、音楽を創造する人間としてはあまりに寂しい話じゃないだろうか。やはり作者の意図を充分に汲みとって、より完全な表現をしてもらうためには、普段から人間的な面での付き合いもあるミュージシャンの方がいいし、さらにステージでいつも一緒に演奏してくれるミュージシャンが必要でなかろうかと」「そのための第一弾として、僕がジローを紹介し、オフコースに加入する橋渡しをしたわけである」と当時を振り返っている。
「あいつの残したものは」は、「ひとりで生きてゆければ」と同時期にレコーディングされたが、このシングルのみでの収録曲。アルバム『ワインの匂い』(1975年12月20日発売 ETP-72123)収録の「あれから君は」の後日談であるかのような歌詞である。
なお、現在は非喫煙者の小田和正がタバコを手にしている写真がこのシングル盤の歌詞カードに使われている(自著『キャディ』(1994年3月25日 スタジオシップ刊)によれば、小田が禁煙したのは29歳のとき)。
[編集] 収録曲
[編集] SIDE A
- ひとりで生きてゆければ (3分42秒)
- 作詩・作曲:小田和正、編曲:オフ・コース
[編集] SIDE B
- あいつの残したものは (3分20秒)
- 作詩・作曲:鈴木康博、編曲:オフ・コース
- アルバム未収録曲
[編集] 参加ミュージシャン
[編集] ひとりで生きてゆければ
- 小田和正 - リードボーカル、コーラス、エレクトロニック・ピアノ、ハモンドオルガン、風鈴
- 鈴木康博 - ボーカル、コーラス、ガットギター、ハーモニカ、木魚
- 重実博 - エレクトリックベース
- 大間ジロー - ドラムス、トライアングル