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国鉄101系電車 - Wikipedia

国鉄101系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国鉄101系電車
南武支線用の101系(2003年5月、川崎新町駅にて撮影)
南武支線用の101系(2003年5月、川崎新町駅にて撮影)
起動加速度 3.2km/h/s(全電動車編成)
2.0km/h/s(4M3T編成)
営業最高速度 100km/h
設計最高速度 100km/h
減速度 3.5km/h/s(全電動車編成)
3.0km/h/s(4M3T編成)(常用最大)
編成定員 座席48・立席88(先頭車)
座席54・立席90(中間車)
全長 20,000mm
全幅 2,832mm
全高 3,935mm
軌間 1,067mm
電気方式 直流1,500V
歯車比 84:15(5.6)
駆動装置 中空軸平行カルダン駆動方式
制御装置 直並列組合せ制御、抵抗制御、弱め界磁制御
ブレーキ方式 発電ブレーキ電磁直通ブレーキ
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国鉄101系電車(こくてつ101けいでんしゃ)は、1957年昭和32年)に登場した日本国有鉄道(国鉄)の直流通勤形電車

登場当時はモハ90系電車と称していたが、称号改正に伴い1959年(昭和34年)に101系と改番された。

目次

[編集] 概要

国鉄の電車として初めて中空軸平行カルダン駆動方式などの近代的メカニズムを搭載した、いわゆる「新性能電車」の嚆矢となった系列である。この系列で採用された基本システムは、1980年代前半に至るまでの国鉄電車に広く応用された。

1953年(昭和28年)以降、大手私鉄では旧来の吊り掛け駆動方式から脱却して新世代のカルダン駆動方式を採用した高性能な通勤電車が開発され、通勤輸送の質的改善に大きな成果を上げていた。しかし、保守的な国鉄では1956年頃に至っても性能的にやや旧式化した72系などの量産を継続していた。101系は、国鉄旧性能車を刷新して電車列車の近代化を図る意図をもって、大手私鉄の採用実績を見極めた上で開発されたものである。直接的には、当時最混雑路線であった中央線の輸送改善を目的として製造された。

開発当初は高加減速性能の向上を狙って全電動車方式(オールM編成)を採用しており、試作車10両1本が1957年(昭和32年)に登場し、翌1958年(昭和33年)3月には量産車が同じく全電動車10両で同線に投入された。しかし、投入してみると同線の変電所の容量不足が問題となり、早くも同年12月には2両の付随車(T)を組み込む編成に変更され、全電動車による高加減速性能という当初の思想は後退することとなった。さらに1960年(昭和35年)には付随車が4両に増えた。ただ、付随車として製造された車両も後に電動車に容易に改造(電装)できるように製造されており、クハ100形の初期車とサハ100形には電装を見越してパンタグラフ取り付け台も設けられていた。

[編集] 計画の頓挫

1960年に山手線(色は現在と異なり黄色)に投入された。同線では101系以前に72系などの20m級電動車と戦前製の17m級の制御車付随車を組み合わせることで8両編成としていたが、オール20m車となる101系ではホーム有効長が不足するため、4M3Tの7連での投入となった。しかし、加速力の不足から山手線一周の所要時間は旧形車よりも遅いという結果となってしまった。後にホーム延伸工事を行い6M2Tに増強されたことにより、この問題は部分的にではあるが解消された。

これに前後して、国鉄では中央急電(後の中央快速線)で101系の主電動機負荷試験を行った。この結果、10両編成の場合、6M4Tまでは許容範囲だが、MT比1:1では乗車率150%程度では問題がないが、乗車率250%を超えた場合、モーターの巻き線温度が許容値を超えることが確認された。現在ではラッシュ時でも乗車率250%を超えることは稀だが、当時は300%弱が常態化している路線が多数あった。このため、101系を国鉄の通勤路線に投入するには、変電所の改修(電力供給容量の増強)が必要な上に、電動車の製作コストが高く費用対効果の面で難があった。また、全電動車という前提が崩れたことにより、加速力が減少し、結果的に山手線のような駅間の短い区間には不向きとなってしまった。その後の国鉄通勤形電車の標準車は、加速性能を重視したMT55形モーターの採用により、MT比1:1かつ低い限流値でも101系6M4T編成並みの起動加速度を確保する103系に取って変わられた。

なお、101系の製造が完全に打ち切られたのは103系の製造開始から6年が経過した1969年(昭和44年)であった。これは山手線から総武緩行線に101系を転用する際に編成両数の違いから中間に制御車2両を組み込む必要が生じたことと、大阪環状線など一部の増備に際して形式統一の見地から新造車が必要となったためである。また、一部には151系181系化改造によって余剰となったMT46形主電動機が流用された。製造両数は1,535両に及んだ。

最初の投入線区である中央快速線での運用を終了したのは、201系量産開始後の1985年(昭和60年)3月14日のダイヤ改正である。ちなみに、1973年(昭和48年)に同線でも運用を開始した103系の運用終了は1983年(昭和58年)3月であったが、これは起動時の加速度は103系に劣ったものの、全界磁速度からの伸びは103系に比べて格段に良いと言われた。またブレーキの応答性も高く、減速時の扱いはむしろ103系よりも良いといわれていた[1]ほか、他線区に比べ冷房化率の低い中央・総武緩行線と南武線に103系の冷房車を回し、早急な冷房化率の平均化を目指したものと思われる。

[編集] 構造

[編集] 車体

1956年(昭和31年)に試作された72系全金属車の基本構造を引き継いだ全金属製セミ・モノコック構造で、切妻形の極めてシンプルなデザインもほとんど変わらない。

しかし、客用ドアは従来の1m幅の片開き扉から1.3m幅の両開き扉に変更され、開閉速度と客扱い能力が向上した。国鉄車両での両開き扉の採用は、1941年に試作されたサハ75形021号(初代。木造車サハ25形の鋼体化17m車で戦災廃車)の例があるが、本格的な採用は101系が最初である。サハ75形は1ドアにつきドアエンジンを2個使用していたが、101系では1ドアに1個となっている。

客室窓はアルミサッシを用いた全開可能な2段上昇式で、ドア間は2組を1セットにまとめたデザインとなっている。通風器は900番台試作車が80系と同様の押し込み式であったが、量産型は通風能力を重視して72系と同様の大型グローブ式に逆戻りしている。また、側面雨樋は、900番台試作車では外板をそのまま立ち上げてきれいに隠していたが、量産型では生産性を重視して通常の外付け型となっている。

[編集] 車内設備

内装は72系全金属車の延長上にあり、ビニール化粧板を用いて薄緑色基調で簡素にまとめられている。蛍光灯照明と当時としては広い窓面積で、車内は明るかった。

また、当時の国鉄では通勤電車には扇風機さえ設けないのが普通だったが、居住性改善のために扇風機を標準装備とした。1970年代以降、主に中央線特別快速に運用されていた車両など一部が国鉄時代にAU75形冷房装置を搭載して冷房化されたほか、JR化以後も最後まで南武支線に残存していた車両も1990年に集約分散型クーラーAU712形により冷房化された。


運転室は72系全金属車の構成をほぼ踏襲する形となった。101系では多段式電動カム軸制御器や電磁直通空気ブレーキなど新技術の採用があったためマスコンハンドルやブレーキ弁が新型のものとなっているが、その他メーター類やスイッチ類をはじめとする設備類は、72系全金属車とほとんど変わらない仕様となっている。

[編集] 走行機器

[編集] 台車

台車は、電動車が新開発のDT21形であり、付随車が初期車はモーター取り付け準備が施されたDT21T形からその後は通常の付随台車のTR64形に変更されている。鋼板プレス部材を溶接組立したウイングばね形のボルスター式ペデスタル台車で、気動車用のDT22形台車(ただし枕バネの吊り方は若干異なる)と主要部分を共通仕様としている。開発当時、金属ばねより格段に乗り心地が優れるなど、長所の多い空気バネ台車がすでに技術的に確立されており、本形式にも使用可能であったが、国鉄では製造コスト低減のためコイルばねを採用した。その後、本形式以外の通勤・近郊形電車にも広く採用され、国鉄電車用の廉価な台車として四半世紀に渡って製造され続けた。

なお、廃車になった一部の台車は103系3000番台や121系などに流用されている。

[編集] モーター

モーターは、新開発のMT46形(量産車はMT46A形)で直巻整流子電動機である。端子電圧375V・電流300A・出力100kW・回転数1,860rpmの中空軸平行カルダン駆動方式。その後1963年頃までに登場した初期の国鉄新性能電車の各系列に用いられた。

[編集] 制御器

制御器も、新開発のCS12形(量産車はCS12A形)である。2両分8個の主電動機を制御する多段式電動カム軸制御器で、その基本構成は東京急行電鉄旧5000系1954年)に採用された東芝製電動カム軸制御器PE-11形(弱め界磁起動1段、直列12段、渡り2段、並列11段、弱め界磁3段、発電制動20段)の影響が強いと言われる。この起源をさらに遡れば、アメリカゼネラル・エレクトリック社のシステムに辿り着く。制御段数は力行時28段(直列13段、並列11段、弱め界磁4段)、発電制動時24段(直列13段、並列11段)である。

これもその後多くの国鉄電車に採用され、実に平成時代まで製造される息の長い制御装置となった(415系1500番台で使用)。

[編集] ブレーキ

ブレーキは、電磁直通方式のSELD方式である。大手私鉄におけるHSC-Dブレーキ(1954年に小田急電鉄で初採用)とほぼ同一のもので、空気ブレーキと電気ブレーキを連動させ、迅速かつ強力なブレーキ性能を得られるシステムである。また、乗客数(荷重)に応じてブレーキ力を自動調節する「応荷重装置」も装備され、ラッシュ時でも安定した制動力を得ている。

それと同時に「セルフラップ機構」が導入された。ブレーキハンドルを回した角度に比例してブレーキ力が働くシステムで、ブレーキ操作が著しく単純化・省力化されたことは重要である。

空気ブレーキが応答性の高い電磁直通ブレーキに変更されたのに併せて、基礎ブレーキの構成も一新され、車体にブレーキシリンダー1基(80系は2基)を設置してそこから各台車にブレーキロッドでブレーキ力を伝達していた従来の構成を全面的に改め、各台車に4基(つまり各車輪ごとに1基)のブレーキシリンダーを設置して伝達距離を大幅に短縮することにより、応答性と保安性を向上させた。

[編集] 主抵抗器

101系では、電気ブレーキとして発電ブレーキが搭載されたことによる主抵抗器の発熱量の増大が予想されたため、従来の自然通風式を改めて強制通風式の主抵抗器を採用した。主抵抗器は2群に分けたケーシングに収められ、2群の中央に置かれた冷却用送風機により送風を行う。この送風機は電動発電機も兼ねており、電動発電機の電機子軸を両側に延長してその延長部分に送風用ファンを付けた形となっている。

[編集] 形式一覧

  • クモハ101形 - Mc - 旧モハ90形500番台奇数番号
  • クモハ100形 - M'c - 旧モハ90形500番台偶数番号
  • モハ101形 - M - 旧モハ90形0番台奇数番号
  • モハ100形 - M' - 旧モハ90形0番台偶数番号
  • クハ101形 - Tc
  • クハ100形 - T'c
  • サハ101形 - T - 旧サハ98形奇数番号
  • サハ100形 - T' - 旧サハ98形偶数番号

※クハ100・101形は1959年の車両称号規定の改正後に登場したため、旧番号は持たない。

[編集] 番台区分別概説

[編集] 200番台

サハ101-255
サハ101-255

中央線快速電車1960年(昭和35年)に6M4T化が実施されたが、編成が基本編成7両(4M3T)+付属編成3両(2M1T)となり、基本編成中の電動発電機(MG)と空気圧縮機(CP)の所要数が不足するため、MG・CP付きのサハ101形・100形が登場し、番台区分上200番台が起こされた。

後年片町線に配置されたサハ101-258・281・289・100-241~244についてはMGとCPの撤去が行われ、基本番台のサハ101-146~148・100-108~111に編入された。

  • サハ101-201~301、サハ100-201~294


[編集] 800番台

モハ100-810
モハ100-810

中央本線臨時列車での運用に用いられていた旧型国電を置き換えるため、トンネル断面の小さい高尾以西への入線に対応するためにパンタグラフ取り付け部の屋根高さを低くした構造の車両で、1961年(昭和36年)にパンタグラフを備えたクモハ・モハ100形のみが登場した。

特徴として、他系列の低屋根車と同じく低屋根部分は扇風機に代わってファンデリアが備えられていた。国鉄時代末期までは全車武蔵小金井電車区に配置されていた。なお、後年にはモハ100形808~810が鶴見線で運用されたほか、後述する「たんぽぽ」の改造種車も800番台である。

  • クモハ100-801~806、モハ100-801~811

[編集] 900番台

国鉄初の新性能電車として試作されたモハ90形を量産化改造して登場した番台区分である。量産車に合わせて押し込み型通風器をグローブ型に取り替えたり、パンタグラフのPS16形への交換、ドア窓と戸袋窓のHゴム化、車体外板を上方に延長する形で埋め込まれていた雨樋を外付け式に改造するなどの各種量産化改造が行われたが、一部の車両は雨樋端部が運転台前面に回っている、台車の構造が異なる、乗務員室手すりが非埋め込み式であるなど、最後まで量産車とは異なる外観となっていた。

東京総合車両センターに静態保存されていた頃のクモハ101-902
東京総合車両センターに静態保存されていた頃のクモハ101-902

1957年(昭和32年)10月11月に登場して間もない試作車(当時はモハ90系)4両を用いて東海道本線で高速度試験が実施された。試験車はDT21X台車の歯数比を3.95の高速型に変更し、一部車両の台車をまくらバネからベローズ式空気バネに変更したDT21Yに換装して乗り心地の比較検討も行われている。この試験の成果により、国鉄初の特急形電車で後の国鉄特急形電車の礎となったモハ20系(称号改正に伴い151系→181系)新幹線電車の成功に大きく貢献した。また、この試験の際に切妻型ながら当時の国鉄車両における速度記録である135km/hを記録した(狭軌の日本国内記録は小田急3000形電車 (初代)の145km/h)。

老朽化のため1979年(昭和54年)までに廃車されているが、このうち上記の高速度試験に供されたクモハ101-902は、この車両を製造したJR東日本東京総合車両センター(旧・大井工場)正門前に静態保存された。その後、2007年(平成19年)10月14日埼玉県さいたま市に開設された鉄道博物館に移設され、展示されている。

  • モハ90000・90002・90004→モハ100-901~903
  • モハ90001・90003・90005→モハ101-901~903
  • モハ90500・90502→クモハ100-901・902
  • モハ90501・90503→クモハ101-901・902

[編集] 910番台

変電所容量などの問題により当初目指した全電動車方式での投入が困難な情勢となったため、消費電力低減のために電力回生ブレーキの試験車として1960年(昭和35年)にクモハ100・101形の制御電動車同士の1ユニットのみが試作された。

この試験の結果、常用回生ブレーキは制御機器の重量増、保守困難、回生失効の問題などが挙げられ、時期尚早として導入は見送られた。その原因として、当時は半導体技術が未熟であったため、磁気増幅器を用いた回生であったことが挙げられる。しかし、磁気増幅器を使用した抵抗制御車の常用回生ブレーキ車は古くはすでに戦前に登場しており、101系のような大量輸送向けの車両としては小田急電鉄2600形が製造され2004年まで活躍していた。どちらかというと、安価な通勤車を大量導入しなければならない国鉄の財政事情が許さなかったというのが実際である[要出典]

103系試作車に挟まれて性能試験を行っていた写真が残されている。

試験終了後は、中央線編成に無動力の代用クハとして挿入されて運用され、後にそれぞれクハ100・101-911に改造されたが、1979年(昭和54年)に廃車された。

[編集] 1000番台

1973年(昭和48年)4月1日武蔵野線府中本町新松戸間開業に伴い、一部区間に長大トンネルが存在する同線向けに101系の初期車に対して難燃化対策(A-A基準に準拠したA基準化改造)を施したことにより登場した番台区分である。6両編成15本の計90両が改造された。開業時に11編成(66両)が準備され、1978年(昭和53年)10月2日の新松戸~西船橋間延伸開業時に4編成(24両)が増備されている。

先頭車はすべて制御電動車のクモハであり、電動車と付随車の比率は4:2(4M2T)である。また、自動列車停止装置(ATS)は同線用のS形(当時の列車区間用)と当時の電車区間用のB形が併設された。これに加えて同線用の列車無線を搭載したため、運転席後部の中央窓をふさいでいたのが特徴である。なお、改造から同線転用まで時間のあった車両は転用時まで中央快速線や中央・総武緩行線にも使用された。

  • 編成:(←西船橋方面)McM'TT'MMc'(府中本町方面→)

改造(転用)後は全車が豊田電車区(現・豊田車両センター)配置(東所沢電車区常駐)で、武蔵野線で運用されていたが、1986年(昭和61年)3月3日のダイヤ改正で豊田区の青梅線五日市線用の103系5連が6連に増強されてから共通運用となり、103系や201系とともに両線の6連運用にも充当された。また南武線仙石線に貸し出されたことや、大宮支線経由の府中本町大宮間臨時列車に充当されたこともあった。しかし、種車が経年の高い初期車が中心であったこと、また武蔵野線への103系増備に伴い、1987年(昭和62年)までに基本番台よりも先に全車が営業運転を終了した。これにより首都圏からオレンジ色(朱色1号)塗装の101系が消滅した。なお、国鉄分割民営化時にクモハ101-1006とクモハ100-1003の2両は保留車としてJRに継承されたが、翌1988年(昭和63年)3月までに廃車となった。また、サハ101-1007はすべり粘着試験台車TR910形を装着し試験用に用いられたほか、後述の秩父鉄道へ譲渡された車両もある。

[編集] 運用

JRからの定期運用終了直後にはさよならイベントが行われた(2003年12月14日、鶴見駅にて撮影)
JRからの定期運用終了直後にはさよならイベントが行われた(2003年12月14日、鶴見駅にて撮影)
南武支線で運用当時の101系(1998年2月、尻手駅にて撮影)
南武支線で運用当時の101系(1998年2月、尻手駅にて撮影)

101系は電動車が1966年(昭和41年)、付随車が1969年(昭和44年)まで製造され、1979年(昭和54年)までは事故以外の廃車はなかったが、同年に201系の試作車が中央快速線に登場したことから同線を皮切りに老朽化に伴う廃車が始まった。結局、総製造数1,535両のうち最終的にJRに継承されたのはわずか224両だった。なお、国鉄時代に廃車になった車両はすべて非冷房車で、冷房改造済み車両は103系750番台に改造された車両を含めてすべてJRに継承されている。

[編集] 関東地区

首都圏では、山手線京浜東北線中央快速線青梅線五日市線武蔵野線で使用されていた車両は国鉄時代に廃車または他区への転属によって姿を消し、東日本旅客鉄道(JR東日本)には210両が継承され、中央・総武緩行線南武線鶴見線で運用された。このうち南武線のみ冷房車が含まれていた。しかし、民営化後間もなくこれらの各線からは次々と撤退し、1992年以降は南武線の浜川崎駅尻手駅間(南武支線)の2両編成3本(6両)のみとなっていた。

南武支線用の車両はJR発足後にワンマン化(塗色も変更)と冷房化の2つの改造を受けており、他線で使用されていた車両が全廃された後も長い間使われていたが、205系1000番台への置き換えにより2003年(平成15年)11月28日までに定期運用を終了した。

[編集] 関西地区

近畿圏では、大阪環状線桜島線(JRゆめ咲線)・片町線(学研都市線)・関西本線大和路線)で使用されていたが、関東地区以上にハイペースで103系への改造や廃車による撤退が進み、西日本旅客鉄道(JR西日本)に継承されたのは片町線で使用されていた14両(うち冷房車8両)のみであった。同線での編成はMM'×2が中央・総武緩行線からの転入車、他は大阪環状線からの転入車であった。その後、Tを抜いて6連化して桜島線に転用されたが、207系量産先行車(第1編成)によって置き換えられる形となり、1991年(平成3年)3月に同線での営業運転を終了し、同年4月29日のイベント電車の運転を最後に翌1992年(平成4年)に全廃された。103系への改造車はその後も一部が残存したが、2002年(平成14年)10月までにすべて廃車となった。

時期は前後するが、1982年(昭和57年)の水害で関西本線王寺駅に留置されていた60両が使用不能(電気機器の冠水による絶縁劣化および床材が水を吸い膨れ上がった)となり、急遽関東地区から廃車予定車を転属させ2年間使用に充てられた。この時、元中央快速線の車両はオレンジ地に前面黄帯入り、元中央・総武緩行線の車両は関西地区には福知山線103系にしかなかった黄色のまま使用され、共に異彩を放っていた。

[編集] 改造車

鶴見線で使用されていた101系冷房改造車(1990年12月、武蔵白石駅にて撮影)
鶴見線で使用されていた101系冷房改造車(1990年12月、武蔵白石駅にて撮影)

[編集] 冷房改造

103系冷房試作車の成功を受け、当時101系が主力だった中央快速線用として1972年(昭和47年)からAU75系列による冷房化が行われた。主に後期製造分が改造対象とされたが、翌1973年から103系冷房量産車が同線にも直接投入されたこと(余剰になった101系は同年4月1日開通の武蔵野線へ転用)、また101系自体の経年および性能上の問題により比較的少数に留まっている。103系の場合と違い、側面行先表示器は取り付けられていない。新宿~八王子・高尾間で京王線の特急と競合する関係から特別快速を中心にした運用に限定充当されたが、冷房改造による重量増により6M4Tでは各駅停車として運転されるダイヤに合わせることが性能上困難となるため、夏季以外も同様に運用を限定した。

  • 試作冷房改造車:1972年に改造された40両はクーラーが後位寄りに位置していること、冷房用電源として210kVAMGを1編成に2台搭載した5両給電方式であることが特徴である。なお、MGはクモハ・モハ100形に搭載されたが、後者は1編成に2両連結されているため、冷房用MGありとMGなしが存在し、後者は基本的に附属編成に組み込まれた。そのため見かけは3+7編成であるが、高圧三相引き通しが渡されているため、営業運転中の分割はできなかった。
後年、試作冷房改造車は、大部分が中原電車区に集結し6両編成に組みかえられた。MG無しのモハ100形を組み込んだ編成は210kVAのMG1台で6両に冷房電源を供給するよう組成したが、AU75の所要電力は35kVAと計算されており、中央線快速では5両給電だった210kVAMGでも6両まで給電可能であった。
  • 量産冷房改造車:1976年以降に改造された52両はクーラーが車体のほぼ中心に位置していること、冷房用電源が160kVAMGとなりすべてのクモハ・モハ100形に装備されたことが試作冷房改造車と異なる。中央快速線のほか、中央・総武緩行線南武線片町線用としても改造された。
    • 組成上の関係からクハ101形に冷房改造車は存在していない。また、サハ100形は0番台2両のみが試作冷房改造の対象だった。

関東地区配置車は後年すべて中原電車区に集約されて南武線と鶴見線で使用された。また、片町線に配属された6連2本は同線の7連化に伴い非冷房車と混結の6M1Tになり、JR化後には6連化の上桜島線に転用された。これらの車両転配および車両需給の関係で、サハ101形の一部がサハ103形750番台に改造されている(後述)。

101系冷房改造車は経年が比較的新しかったことから国鉄時代に廃車になった車両は皆無で、国鉄からJRになって2年後の1989年に南武線で発生した踏切事故によりクハ100-91が101系冷房車で初の廃車になった。その後、首都圏のJR線の冷房化率がほぼ100%になった1990年夏頃から老朽廃車が始まり、1992年5月までに全廃された。

なお、上記の車両とは別に南武支線用については分割民営化後の1989年(平成元年)に各車屋根上に設置したSIVを用いて給電するAU712での冷房改造が行われた。

[編集] 103系への改造

サハ101形とクハ100・101形の一部がサハ103形750番台とクハ103形2000・2050番台に改造編入されている。詳しくは国鉄103系電車の項を参照。

[編集] 「シーサイドライナーヨコスカ」への改造

1986年(昭和61年)に横須賀線の末端区間である逗子久里浜間の輸送力の適正化と高頻度運転化を図るため、大船工場(現・鎌倉総合車両センター)にて1000番台2連を改装して登場したのが「シーサイドライナーヨコスカ」である。

それまで、この区間では113系により最長11両編成の列車が運行されていたが、比較的乗客が少なく、不経済ともいえた。そのため、国鉄末期に逼迫した財政事情を鑑みてこの区間の合理化が計画され、逗子~久里浜間の普通列車に101系の2・4両編成を投入し、逗子で東京方面行列車と接続させる案が考えられた。このための車両が「シーサイドライナーヨコスカ」である。塗色を白地に青・赤の帯に改め、ヘッドマーク取り付けなどを行う意欲的な計画だったものの、結局この案は実施されず、車両も実際には運行されることはなかった。民営化のための車両数削減が原因ともされる。

現在この区間ではE217系が日中は4両の付属編成を中心に、朝夕は逆に11両の基本編成を中心に運行されているが、近年は土曜・休日の日中の利用客の増加から、日中も11両の基本編成を中心とした運用となっている。

  • 編成:クモハ101-1015+クモハ100-1015

[編集] 事業用車への改造

戦前からの省型電車や買収国電などからの改造車が多く、老朽化が進んでいた牽引車配給車救援車荷物車郵便車などの置き換えを目的に、救援車の機能を備えた牽引車としてクモヤ145形および配給車としてクモル145形・クル144形飯田線の新性能化に伴い登場した郵便荷物電車であるクモユニ147形が101系の改造で登場している。これらは101系からの改造とはいっても、車体を新製し、モーター・ブレーキ・台車などを流用したものと考えてよい。これらの車両のうちクモユニ147形全車とクモヤ145形600番台2両がクモハ123形40・600番台に再改造され、東海旅客鉄道(JR東海)の身延線で運用されていたが、2007年(平成19年)に313系に置き換えられた。

元クモハ101-170 「たんぽぽ」東京総合車両センター西エリアにて(2006年夏の一般公開時に撮影)
元クモハ101-170 「たんぽぽ」
東京総合車両センター西エリアにて(2006年夏の一般公開時に撮影)

東京総合車両センター(旧・大井工場)には「たんぽぽ」と呼ばれる入れ換え車両が存在する。元クモハ100形1両が全長を6m程短くした14mに改造されてクモハ101形と2両編成を組んでいる(17m級2両編成相当)。元車号はクモハ100-802+クモハ101-170である。ただし、車籍はなく移動機械扱いとなっている。現在ではモーターカーなどに役目を譲り、ほとんど稼動することなく他の保存車両とともにセンター内に留置されており、塗装などに傷みが見られる。
ちなみに、クモハ100-802は中央線101系さよなら運転に使用された車両で、車番が示すとおり低屋根車である。

←新宿 クモハ100-802+クモハ101-170 横浜→

(方向は便宜上、車号は元車号)

[編集] 私鉄への譲渡車

秩父鉄道1000形(2007年12月、熊谷駅にて撮影)
秩父鉄道1000形(2007年12月、熊谷駅にて撮影)
(左より)カナリアイエロー、オレンジバーミリオン、スカイブルーの塗装が施された秩父鉄道1000形(2007年12月、三峰口駅にて撮影)
(左より)カナリアイエローオレンジバーミリオンスカイブルーの塗装が施された秩父鉄道1000形(2007年12月、三峰口駅にて撮影)

現在、JR線上からは消滅した101系であるが、埼玉県羽生三峰口間を走る秩父鉄道では国鉄時代の1985年(昭和60年)頃からJR化後まで譲渡された3両編成12本(計36両)が在籍している。形式は1000形となり、M'cMTc(クモハ100形 - モハ101形 - クハ101形)の編成で譲渡された。入線当時は黄色に茶帯の塗装に前面に「秩父鉄道」と表記されていた塗装で比較的原型を保っていたが、後のワンマン化を前にクリームを基調として赤と青の帯を施した塗装に変更された。その後、冷房化(中間車は非冷房のまま)やパンタグラフの2基搭載化などを経て、2008年3月現在も全車が在籍している。なお、鉄道博物館の開館に併せて4編成が同年秋からオレンジバーミリオン・スカイブルー・カナリアイエロー・ウグイス(関西線色)の4種類の塗装へ順次復元されている。詳細については秩父鉄道1000形電車を参照のこと。

なお、京福電気鉄道福井支社(→えちぜん鉄道)や福井鉄道などが他社から車両を譲り受けた際は、軌間が合わないなどの理由から台車や電装品を101系の廃車発生品に交換するなど、部品提供の事例がある。また、愛知環状鉄道では開業にあたって車両を製造する際に、経費削減の観点からモーターなどに101系の廃車発生品を採用している。

[編集] その他

  • 廃車になった101系の部品の一部は、その後の新製車や改造車に流用されており、クハ104形500番台、クハ118形、クハ120形などには台車が、715系0番台には歯車装置が流用されている。
  • 2006年(平成18年)5月14日に閉館した交通博物館には、101系のドア装置の可動モックアップが展示されていた。その後、2007年(平成19年)7月10日から9月9日まで江戸東京博物館で開催された「大鉄道博覧会」に展示された。
  • 大阪府大阪市交通科学博物館には、電車の構造を説明する目的で、101系の前面から1つ目の扉部分までの[[モックアップ]が展示されている。
  • 2007年10月14日鉄道の日)に開館した鉄道博物館には、クモハ101-902が展示されている。なお、その隣の台車を運転できる装置の運転台も101系のものである。

[編集] 関連商品

Nゲージ鉄道模型として、関水金属(KATO)とマイクロエースから数タイプずつ製品化され、グリーンマックスからはキットが発売されている。また、Bトレインショーティーでも製品化されている。

16番ゲージ鉄道模型として、カワイモデル、つぼみ堂、小高模型、歌川模型ホビーモデルエンドウから製品化されていた。

[編集] 脚注部

  1. ^ 101系の走行性能に合わせて103系の限流値を落として使用していたのが原因。応荷重装置を使う場合の103系冷房車の空車時の限流値は300Aだが、中央線の103系は応荷重装置を使わず、空車以下の290Aに限流値を固定して使っていたので、加減速ともに悪かった。これは中央線だけでなく101系が先に入った路線に共通してなされた措置である。なお、力行ノッチ曲線で見る限り103系の高速域での引張力は101系よりも大きく、高速でも103系の加速力の方が高かった。

[編集] 参考文献

  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1997年11月号 No.487 特集:101系通勤形電車
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2002年11月号 No.724 特集:101系電車
  • 手塚一之「101系が走り拔けた時代」/交友社『鉄道ファン』2004年3月号 No.515 p78~p91
  • フリーランスプロダクツ「特集:101系その顔の世界」/交友社『鉄道ファン』2005年3月号 No.527

[編集] 関連項目

他の言語


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