別府湾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
別府湾(べっぷわん、Beppu Bay)は、大分県の中央部に位置する湾である。1883年の海図制定以前はかんたん湾(菡萏湾。「かんたん」(菡萏)は蓮の花を意味する。)と呼ばれていたが、由来については、地名から、形からなど諸説ある。
目次 |
[編集] 沿岸市町
上記市町は、大分県の都市計画において、「別府湾広域都市圏」の名称で呼ばれている。
[編集] 概要
大分県中部に位置する、国東半島と佐賀関半島に挟まれた湾である。東に向かって開き、伊予灘に面する[1]。湾の南側を画す佐賀関半島の先、四国の佐田岬との間は狭隘な豊予海峡になっている。面積475km²、平均水深36m、高崎山沖に最深位置があり水深約70m。
別府湾の沿岸には、北に杵築市、速見郡日出町、西に別府市、南に大分市が位置している。一級河川大野川や大分川、二級河川境川などが流入し、大野川、大分川の河口付近には大分平野が形成されている。佐賀関半島以南の海岸線が典型的なリアス式海岸であるのに対して、別府湾は概して出入りの少ないなだらかな海岸線が続き、糸ヶ浜(日出町)、関の江海水浴場、SPAビーチ(的ヶ浜公園)(以上、別府市)、田の浦海水浴場(大分市)などの海水浴場を擁する。北部の杵築市には貴重な干潟が残る守江湾がある。
大分市の市街地東部から鶴崎にかけての沿岸には埋立地が造成され、大分臨海工業地帯が形成されている。大分市の別府湾沿岸にある西大分には「かんたん」の地名が残っており、ウォーターフロントの再開発により「かんたんサーカス」がオープンしている。別府市と大分市の市境には高崎山が湾に向かってせり出しており、この山に遮られた両市を直接結ぶ一般道は実質的に湾岸の国道10号(別大国道)のみとなっている。
この湾の展望を提供する施設がある。十文字原、別府湾サービスエリア、別府タワーやビーコンプラザのグローバルタワーなどのほか、日出城、府内城も展望がかなう位置にある。湾岸にある大分マリーンパレス水族館には、湾に棲む生き物たちを展示した「別府湾プール」がある。
[編集] 歴史
- 16世紀中頃 - 大友宗麟の時代、南蛮貿易港湾に指定される。
- 1551年 - フランシスコ・ザビエルが、山口から府内(現在の大分市)への途上で、日出からポルトガル船に乗船し別府湾を横断する。
- 1596年9月4日 - 湾南東部を震源とするマグニチュード7.0の地震が発生。その際に沈んだとされるのが、瓜生島と久光島である。
- 1883年 - 海図に別府湾の名称が用いられる。
[編集] 交通
下記の港湾から四国、本州に至る定期航路が就航している。大分ホーバーフェリーは湾を横断し、大分空港と大分市街地を接続している。別府港、大分港は重要港湾、佐賀関港は地方港湾に指定されている。
[編集] 生物
一村一品に選ばれている特産物として、速見郡日出町の城下かれい(カレイ)、そして同町と杵築市の豊後別府湾ちりめん(カタクチイワシ)がある。
メバル、カサゴ、マゴチ、カワハギ、チヌ、マダイ、イワシ、コノシロ、タチウオ、アナゴ、アオリイカのほか、関サバ・関アジで知られる佐賀関に面していることもあり、サバ、アジも漁獲される。かつては帆船を利用しての漁が行われ、「海底の泥を掻くようなもの」だったため「ドロコギ漁」と呼ばれた。
2003年には体長10mのザトウクジラが迷い込み、地元テレビ局や新聞各紙で連日報道された。付けられた愛称は「かんちゃん」。また2004年5月には、同種のクジラが座礁、死亡しているのが地元漁師により発見された。同じ個体であるかどうかについては、識者により意見が分かれている。
[編集] イベント
湾に沿う別大国道を走る別府大分毎日マラソン、湾を縦断する「別府大分国際オープンウォータースイムレース」や「別府湾縦断ボートセーリング大会」など各種スポーツ大会が開催される。また、例年、「夏の宵まつり納涼花火大会」、「べっぷクリスマスHANABIファンタジア」がSPAビーチにて催されている。別府港から出航し1時間半にわたり湾を巡る遊覧船ツアーがあった。