別府大分毎日マラソン
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別府大分毎日マラソン(べっぷおおいたまいにちまらそん)は、大分県大分市・大分市営陸上競技場をスタート及びゴール地点、別府市の国際観光港付近を折り返し地点として42.195kmを走破するフルマラソン大会である。通称・別大マラソン(べつだい-)。毎年2月の第1日曜日に開催される。
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[編集] 概要と歴史
「幻の五輪代表」として知られ、日本陸上競技連盟五輪代表コーチも務めた池中康雄が提唱して創設された大会である。大分市臨海部と、別大国道をメインコースとした海沿いの全般的に平坦なコース(最大高低差約7m)で、マラソンランナーの登竜門と言われることが多い。またじもと大分県出身選手の最優秀賞として創設者の名を取った 「池中杯」が贈られる。
1980年代より、当大会の1週間後に東京国際マラソンが毎年開催されるようになってから有力選手があまり集まらなくなってきたが、2007年に東京国際マラソンが市民マラソン(東京マラソン)化することもあってレベルが著しく低下する事から、当大会のレベルが相対的に上昇。2001年の50回と2005年の54回、2007年の56回の各大会は、それぞれの年にある世界陸上競技選手権の代表選考会になっている(一部を除き参考レース扱い。その場合は選考会議に判断が委ねられる)。その為年によって出場選手のレベルに差が出てくることが懸念される。
2004年の53回大会より公認ペースメーカーが導入された。ペースメーカーは、契約上完走してはいけないようで、53回大会で実質独走していたペースメーカーのランナーが、40km付近でコーチに止められるという出来事があった。また、1994年の43回大会では先頭を走っていた外国人選手数名が正規の折り返し地点から140メートル程手前で折り返し、失格になったのを知らずにそのままゴールインしたことがあった。
テレビは1979年より主催の毎日新聞社系列であるRKB毎日放送と、地元のOBS大分放送の共同制作、TBS系列で放送される。RKBとOBSの共同制作になっているが、RKBが主催に名を連ねており、実況はRKBアナウンサーが担当する他、テロップ、提供クレジットもRKB出しであることから、実質RKB制作番組であり、2008年の第57回大会でテレビ放送して30回を迎えた。ラジオはNHKラジオ第1で放送。
[編集] 大会運営
- 主催:毎日新聞社、RKB毎日放送、九州陸上競技協会、大分県、大分市、別府市、大分県教育委員会、大分市教育委員会、別府市教育委員会
- 主管:大分陸上競技協会
- 後援:(財)日本陸上競技連盟、日本実業団陸上競技連合、(財)大分県体育協会、スポーツニッポン新聞社
[編集] 特別協賛
[編集] 協力
- SEIKO(大会公式計時)
- マツダ(系列販売会社の九州マツダからオフィシャルカーを提供)
- 明治乳業(オフィシャルドリンク「ヴァーム」を提供。2000年~2005年)
- アサヒ飲料(スーパーH2O等を提供。2006年~)
[編集] 参加資格
- 日本陸上競技連盟登記登録者(男子)であること。
- 外国選手の場合は、それぞれの国の陸上競技団体の証明を有すること。
- マラソンは本大会当日時点で20歳以上で下記の日本陸上競技連盟公認記録をもつこと。
- 記録証等(コピー可)を添付すること。 また、所属する都道府県陸上競技協会の承認印を受けること
- マラソンは2時間50分以内
- 30キロレースは1時間50分以内
- ハーフマラソンは1時間15分以内
- 上記のほか日本陸上競技連盟、都道府県陸上競技協会、日本実業団陸上競技連合、および日本学生陸上競技連合(実業団と学連は地域連盟の推薦で可)の推薦がある者。
[編集] 歴代優勝者
※優勝者の氏名・国名・所属は当時。
回数 | 開催年月日 | 氏名 | 国名・所属 | 優勝タイム | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1952年1月20日 | 浜村秀雄 | 日本・秋穂陸協 | 2時間01分50秒 | 35kmのコースで実施 |
2 | 1953年2月1日 | 山田敬蔵 | 日本・同和鉱業 | 2時間29分05秒 | |
3 | 1954年2月7日 | 内川義高 | 日本・日大 | 2時間34分48秒 | |
4 | 1955年2月12日 | 西田勝雄 | 日本・九州電工 | 2時間29分19秒 | |
5 | 1956年2月12日 | 廣島庫夫 | 日本・旭化成 | 2時間26分24秒 | |
6 | 1957年2月10日 | 貞永信義 | 日本・鐘紡防府 | 2時間26分40秒 | |
7 | 1958年2月10日 | 廣島庫夫 | 日本・旭化成 | 2時間25分16秒 | |
8 | 1959年2月8日 | 築地美孝 | 日本・東京教育大 | 2時間23分40秒 | |
9 | 1960年2月14日 | 渡邊和己 | 日本・九州電工 | 2時間23分30秒 | |
10 | 1961年3月12日 | 宇和博 | 日本・旭化成 | 2時間23分45秒 | |
11 | 1962年2月11日 | 宍戸英顕 | 日本・東洋大 | 2時間23分54秒 | |
12 | 1963年2月17日 | 寺沢徹 | 日本・倉敷レイヨン | 2時間15分15秒 | 世界最高記録 |
13 | 1964年2月2日 | 寺沢徹 | 日本・倉敷レイヨン | 2時間17分48秒 | |
14 | 1965年2月7日 | 寺沢徹 | 日本・倉敷レイヨン | 2時間14分38秒 | |
15 | 1966年2月13日 | 寺沢徹 | 日本・倉敷レイヨン | 2時間14分35秒 | 寺沢4連覇達成 |
16 | 1967年2月5日 | 君原健二 | 日本・八幡製鐵 | 2時間13分33秒 | |
17 | 1968年2月4日 | 佐々木精一郎 | 日本・九州電工 | 2時間13分23秒 | |
18 | 1969年2月2日 | 上岡忠明 | 日本・東洋工業 | 2時間14分03秒 | |
19 | 1970年2月8日 | 君原健二 | 日本・八幡製鐵 | 2時間17分12秒 | |
20 | 1971年2月7日 | 君原健二 | 日本・八幡製鐵 | 2時間16分52秒 | |
21 | 1972年2月6日 | 御船芳郎 | 日本・リッカー | 2時間19分10秒 | |
22 | 1973年2月4日 | 君原健二 | 日本・新日鐵 | 2時間14分55秒 | |
23 | 1974年2月3日 | 浜田安則 | 日本・鹿児島中央高教員 | 2時間13分04秒 | |
24 | 1975年2月2日 | 小沢欽一 | 日本・神戸製鋼 | 2時間13分10秒 | |
25 | 1976年2月1日 | 重竹幸夫 | 日本・九州電工 | 2時間14分22秒 | |
26 | 1977年2月6日 | 浜田安則 | 日本・鹿児島中央高教員 | 2時間13分57秒 | |
27 | 1978年2月5日 | 宗茂 | 日本・旭化成 | 2時間09分05秒 | |
28 | 1979年2月4日 | 喜多秀喜 | 日本・神戸製鋼 | 2時間13分29秒 | |
29 | 1980年2月3日 | 武冨豊 | 日本・神戸製鋼 | 2時間13分29秒 | |
30 | 1981年2月1日 | 宗茂 | 日本・旭化成 | 2時間11分30秒 | 双子の弟・猛が同タイムで2位 |
31 | 1982年2月7日 | ボブ・ホッジ | アメリカ合衆国 | 2時間15分43秒 | 初の外国人覇者 |
32 | 1983年2月6日 | 西村義弘 | 日本・新日鐵大分 | 2時間13分55秒 | |
33 | 1984年2月5日 | コール・フリント | オランダ | 2時間12分05秒 | |
34 | 1985年2月3日 | 谷口浩美 | 日本・旭化成 | 2時間13分16秒 | |
35 | 1986年2月2日 | 児玉泰介 | 日本・旭化成 | 2時間10分34秒 | |
36 | 1987年2月1日 | 西村義弘 | 日本・新日鐵大分 | 2時間12分03秒 | |
37 | 1988年2月7日 | ブルーノ・ラフランキ | スイス | 2時間11分58秒 | |
38 | 1989年2月5日 | 清水悟 | 日本・鐘紡 | 2時間12分26秒 | |
39 | 1990年2月4日 | ボグスラフ・ブシェック | ポーランド | 2時間11分56秒 | |
40 | 1991年2月3日 | 森下広一 | 日本・旭化成 | 2時間08分53秒 | |
41 | 1992年2月2日 | ディオニシオ・セロン | メキシコ | 2時間08分36秒 | |
42 | 1993年2月7日 | マウリリオ・カスティーヨ | メキシコ | 2時間13分04秒 | |
43 | 1994年2月6日 | 中富肇 | 日本・NEC | 2時間11分28秒 | |
44 | 1995年2月5日 | パトリック・キャロル | オーストラリア | 2時間09分39秒 | |
45 | 1996年2月4日 | ゲルト・タイス | 南アフリカ共和国 | 2時間08分30秒 | |
46 | 1997年2月2日 | ローランド・ベラ | エクアドル | 2時間12分00秒 | |
47 | 1998年2月1日 | 清水昭 | 日本・杵築東芝 | 2時間09分11秒 | |
48 | 1999年2月7日 | エデル・モデノ | ブラジル | 2時間09分54秒 | |
49 | 2000年2月6日 | 榎木和貴 | 日本・旭化成 | 2時間10分44秒 | |
50 | 2001年2月4日 | 西田隆維 | 日本・エスビー食品 | 2時間08分45秒 | |
51 | 2002年2月3日 | サミー・コリル | ケニア | 2時間11分45秒 | |
52 | 2003年2月2日 | サムソン・ラマダーニ | タンザニア | 2時間09分24秒 | |
53 | 2004年2月1日 | 武田宏旦 | 日本・四国電力 | 2時間12分02秒 | |
54 | 2005年2月6日 | 入船敏 | 日本・カネボウ | 2時間09分56秒 | |
55 | 2006年2月5日 | ゲルト・タイス | 南アフリカ共和国 | 2時間09分45秒 | 10年ぶりの優勝という“珍”記録 |
56 | 2007年2月4日 | 藤田敦史 | 日本・富士通 | 2時間10分23秒 | |
57 | 2008年2月3日 | 足立知弥 | 日本・旭化成 | 2時間11分59秒 | 初マラソン |
[編集] 世界記録
1963年の第12回大会で、寺沢徹が 2時間15分15秒8 の世界最高記録を樹立している。この記録は2008年現在まで、日本国内のレースで日本人選手が記録した最後のマラソン世界記録となっている。
[編集] 女子の参加
世界的に女子のマラソンが広まっていた1979年の28回大会では試験的に女子の参加が認められ、当時鬼太鼓座に所属していた小幡キヨ子が2時間48分52秒で完走した。この記録は、当時日本最高記録に相当する(この時点では陸連は女子のマラソンを道路日本記録の公認対象にしていなかった)ものであった。
しかし、同年秋に東京国際女子マラソンがスタートしたこともあり、その後は女子の参加は認められなくなっている。
[編集] テレビ中継
- テレビ中継は毎日新聞系列であり大会主催者であるRKB毎日放送と、地元OBS大分放送の共同制作によって1979年より毎年行われている。
- RKBは主に中継人員を派遣、OBSは中継人員派遣と全国送り出しの業務を担っている。OBS本社は競技コースの沿道にあり、ここに放送センターをおいて大分市・別府市の各所に電波基地局を設置。
- かつてはTBSも制作幹事局に加わっていたが、現在はMBS毎日放送、JNN九州・沖縄・山口各社とともに制作協力の立場をとっている。しかしTBSは現在も、陸上競技を多く担当する中村秀昭を第2中継車担当として移動中継車とともに派遣している。かつては1991年の第40回大会では石井智(故人)が第一中継車の実況(実際は放送センターの放送はなくメイン実況)を務めた。