See also ebooksgratis.com: no banners, no cookies, totally FREE.

CLASSICISTRANIERI HOME PAGE - YOUTUBE CHANNEL
Privacy Policy Cookie Policy Terms and Conditions
別府大分毎日マラソン - Wikipedia

別府大分毎日マラソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

別府大分毎日マラソン(べっぷおおいたまいにちまらそん)は、大分県大分市大分市営陸上競技場をスタート及びゴール地点、別府市の国際観光港付近を折り返し地点として42.195kmを走破するフルマラソン大会である。通称・別大マラソン(べつだい-)。毎年2月の第1日曜日に開催される。


目次

[編集] 概要と歴史

「幻の五輪代表」として知られ、日本陸上競技連盟五輪代表コーチも務めた池中康雄が提唱して創設された大会である。大分市臨海部と、別大国道をメインコースとした海沿いの全般的に平坦なコース(最大高低差約7m)で、マラソンランナーの登竜門と言われることが多い。またじもと大分県出身選手の最優秀賞として創設者の名を取った 「池中杯」が贈られる。

1980年代より、当大会の1週間後に東京国際マラソンが毎年開催されるようになってから有力選手があまり集まらなくなってきたが、2007年に東京国際マラソンが市民マラソン(東京マラソン)化することもあってレベルが著しく低下する事から、当大会のレベルが相対的に上昇。2001年の50回と2005年の54回、2007年の56回の各大会は、それぞれの年にある世界陸上競技選手権の代表選考会になっている(一部を除き参考レース扱い。その場合は選考会議に判断が委ねられる)。その為年によって出場選手のレベルに差が出てくることが懸念される。

2004年の53回大会より公認ペースメーカーが導入された。ペースメーカーは、契約上完走してはいけないようで、53回大会で実質独走していたペースメーカーのランナーが、40km付近でコーチに止められるという出来事があった。また、1994年の43回大会では先頭を走っていた外国人選手数名が正規の折り返し地点から140メートル程手前で折り返し、失格になったのを知らずにそのままゴールインしたことがあった。

テレビは1979年より主催の毎日新聞社系列であるRKB毎日放送と、地元のOBS大分放送の共同制作、TBS系列で放送される。RKBとOBSの共同制作になっているが、RKBが主催に名を連ねており、実況はRKBアナウンサーが担当する他、テロップ、提供クレジットもRKB出しであることから、実質RKB制作番組であり、2008年の第57回大会でテレビ放送して30回を迎えた。ラジオはNHKラジオ第1で放送。

[編集] 大会運営

[編集] 特別協賛

[編集] 協力

  • SEIKO(大会公式計時)
  • マツダ(系列販売会社の九州マツダからオフィシャルカーを提供)
  • 明治乳業(オフィシャルドリンク「ヴァーム」を提供。2000年~2005年)
  • アサヒ飲料(スーパーH2O等を提供。2006年~)

[編集] 参加資格

  • 日本陸上競技連盟登記登録者(男子)であること。
  • 外国選手の場合は、それぞれの国の陸上競技団体の証明を有すること。
  • マラソンは本大会当日時点で20歳以上で下記の日本陸上競技連盟公認記録をもつこと。
    • 記録証等(コピー可)を添付すること。 また、所属する都道府県陸上競技協会の承認印を受けること
    1. マラソンは2時間50分以内
    2. 30キロレースは1時間50分以内
    3. ハーフマラソンは1時間15分以内
  • 上記のほか日本陸上競技連盟、都道府県陸上競技協会、日本実業団陸上競技連合、および日本学生陸上競技連合(実業団と学連は地域連盟の推薦で可)の推薦がある者。

[編集] 歴代優勝者

※優勝者の氏名・国名・所属は当時。

回数 開催年月日 氏名 国名・所属 優勝タイム 備考
1 1952年1月20日 浜村秀雄 日本・秋穂陸協 2時間01分50秒 35kmのコースで実施
2 1953年2月1日 山田敬蔵 日本・同和鉱業 2時間29分05秒
3 1954年2月7日 内川義高 日本日大 2時間34分48秒
4 1955年2月12日 西田勝雄 日本九州電工 2時間29分19秒
5 1956年2月12日 廣島庫夫 日本旭化成 2時間26分24秒
6 1957年2月10日 貞永信義 日本鐘紡防府 2時間26分40秒
7 1958年2月10日 廣島庫夫 日本・旭化成 2時間25分16秒
8 1959年2月8日 築地美孝 日本東京教育大 2時間23分40秒
9 1960年2月14日 渡邊和己 日本・九州電工 2時間23分30秒
10 1961年3月12日 宇和博 日本・旭化成 2時間23分45秒
11 1962年2月11日 宍戸英顕 日本東洋大 2時間23分54秒
12 1963年2月17日 寺沢徹 日本倉敷レイヨン 2時間15分15秒 世界最高記録
13 1964年2月2日 寺沢徹 日本・倉敷レイヨン 2時間17分48秒
14 1965年2月7日 寺沢徹 日本・倉敷レイヨン 2時間14分38秒
15 1966年2月13日 寺沢徹 日本・倉敷レイヨン 2時間14分35秒 寺沢4連覇達成
16 1967年2月5日 君原健二 日本八幡製鐵 2時間13分33秒
17 1968年2月4日 佐々木精一郎 日本・九州電工 2時間13分23秒
18 1969年2月2日 上岡忠明 日本東洋工業 2時間14分03秒
19 1970年2月8日 君原健二 日本・八幡製鐵 2時間17分12秒
20 1971年2月7日 君原健二 日本・八幡製鐵 2時間16分52秒
21 1972年2月6日 御船芳郎 日本リッカー 2時間19分10秒
22 1973年2月4日 君原健二 日本新日鐵 2時間14分55秒
23 1974年2月3日 浜田安則 日本鹿児島中央高教員 2時間13分04秒
24 1975年2月2日 小沢欽一 日本神戸製鋼 2時間13分10秒
25 1976年2月1日 重竹幸夫 日本・九州電工 2時間14分22秒
26 1977年2月6日 浜田安則 日本・鹿児島中央高教員 2時間13分57秒
27 1978年2月5日 宗茂 日本・旭化成 2時間09分05秒
28 1979年2月4日 喜多秀喜 日本・神戸製鋼 2時間13分29秒
29 1980年2月3日 武冨豊 日本・神戸製鋼 2時間13分29秒
30 1981年2月1日 宗茂 日本・旭化成 2時間11分30秒 双子の弟・が同タイムで2位
31 1982年2月7日 ボブ・ホッジ アメリカ合衆国 2時間15分43秒 初の外国人覇者
32 1983年2月6日 西村義弘 日本・新日鐵大分 2時間13分55秒
33 1984年2月5日 コール・フリント オランダ 2時間12分05秒
34 1985年2月3日 谷口浩美 日本・旭化成 2時間13分16秒
35 1986年2月2日 児玉泰介 日本・旭化成 2時間10分34秒
36 1987年2月1日 西村義弘 日本・新日鐵大分 2時間12分03秒
37 1988年2月7日 ブルーノ・ラフランキ スイス 2時間11分58秒
38 1989年2月5日 清水悟 日本鐘紡 2時間12分26秒
39 1990年2月4日 ボグスラフ・ブシェック ポーランド ポーランド 2時間11分56秒
40 1991年2月3日 森下広一 日本・旭化成 2時間08分53秒
41 1992年2月2日 ディオニシオ・セロン メキシコ 2時間08分36秒
42 1993年2月7日 マウリリオ・カスティーヨ メキシコ 2時間13分04秒
43 1994年2月6日 中富肇 日本NEC 2時間11分28秒
44 1995年2月5日 パトリック・キャロル オーストラリア 2時間09分39秒
45 1996年2月4日 ゲルト・タイス 南アフリカ共和国 2時間08分30秒
46 1997年2月2日 ローランド・ベラ エクアドル 2時間12分00秒
47 1998年2月1日 清水昭 日本・杵築東芝 2時間09分11秒
48 1999年2月7日 エデル・モデノ ブラジル 2時間09分54秒
49 2000年2月6日 榎木和貴 日本・旭化成 2時間10分44秒
50 2001年2月4日 西田隆維 日本エスビー食品 2時間08分45秒
51 2002年2月3日 サミー・コリル ケニア 2時間11分45秒
52 2003年2月2日 サムソン・ラマダーニ タンザニアの旗 タンザニア 2時間09分24秒
53 2004年2月1日 武田宏旦 日本四国電力 2時間12分02秒
54 2005年2月6日 入船敏 日本・カネボウ 2時間09分56秒
55 2006年2月5日 ゲルト・タイス 南アフリカ共和国 2時間09分45秒 10年ぶりの優勝という“珍”記録
56 2007年2月4日 藤田敦史 日本富士通 2時間10分23秒
57 2008年2月3日 足立知弥 日本・旭化成 2時間11分59秒 初マラソン

[編集] 世界記録

1963年の第12回大会で、寺沢徹が 2時間15分15秒8 の世界最高記録を樹立している。この記録は2008年現在まで、日本国内のレースで日本人選手が記録した最後のマラソン世界記録となっている。

[編集] 女子の参加

世界的に女子のマラソンが広まっていた1979年の28回大会では試験的に女子の参加が認められ、当時鬼太鼓座に所属していた小幡キヨ子が2時間48分52秒で完走した。この記録は、当時日本最高記録に相当する(この時点では陸連は女子のマラソンを道路日本記録の公認対象にしていなかった)ものであった。

しかし、同年秋に東京国際女子マラソンがスタートしたこともあり、その後は女子の参加は認められなくなっている。

[編集] テレビ中継

  • テレビ中継は毎日新聞系列であり大会主催者であるRKB毎日放送と、地元OBS大分放送の共同制作によって1979年より毎年行われている。
  • RKBは主に中継人員を派遣、OBSは中継人員派遣と全国送り出しの業務を担っている。OBS本社は競技コースの沿道にあり、ここに放送センターをおいて大分市・別府市の各所に電波基地局を設置。
  • かつてはTBSも制作幹事局に加わっていたが、現在はMBS毎日放送JNN九州・沖縄・山口各社とともに制作協力の立場をとっている。しかしTBSは現在も、陸上競技を多く担当する中村秀昭を第2中継車担当として移動中継車とともに派遣している。かつては1991年の第40回大会では石井智(故人)が第一中継車の実況(実際は放送センターの放送はなくメイン実況)を務めた。

[編集] 完走率

[編集] 外部リンク


aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -