井戸
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井戸(いど)は地下水、温泉、石油、天然ガスなどをくみ上げるため、または水を注入するために、地面を深く掘った設備である。
単に「井戸」といった場合は、地下水を飲用目的に汲み上げるため施設を指すことが多い。以下、地下水を汲む井戸について説明する。
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[編集] 歴史
人は昔、川の近くに集落を作り、そこに張り出しを作って洗い物や水汲みをした。後に水を堰き止めて水を溜めるようになった。これらの張り出しや水を溜めたもののことを「井戸」と呼んでいた。
やがて、山の麓に横穴をあけ、地下水を溜めて使うようになった。これにより、人は川から離れて集落を作ることができるようになった。井戸掘削の技術の向上によって縦に穴を掘れるようになり、地下水のある所ならどこでも住めるようになり、人々の居住範囲は拡がっていった。
[編集] 井戸の種類と構造
地表から帯水層まで穴を掘ってつくる。概ね垂直に掘削する場合が多いが、崖地などでは水平方向に掘削して作成する。
井戸を掘る事を特に鑿井(さくせい)と呼ぶが、現在では読める人も少なくなっているため、鑿井業者はさく井と表記する事が多い。なお、鑿(のみ)は大工道具のノミを意味する。
現在日本では、新しく伝統的な井戸を設置する(下記に示す丸井戸やまいまいず)事は少なくなってきている。しかし、水源としての地下水は今もって重要であり、自治体によっては表流水ではなく、地下水のみを水道水源として井戸を使用している地域もある。水道水源の取水設備としての揚水井戸には浄水場が併設され、全体として浄水場と呼ばれることもある。
- 横井戸
- 崖地などで、水平方向に井戸を掘削し、設置する。カナートがその代表的な井戸である。
- 丸井戸(地域によって呼称が異なり「ガワ井戸」と呼ぶこともある、英語では Dug well)
- 概ね直径1~3mの孔を、人力により垂直に地下水面に達するまで掘削する。孔壁が崩壊しないように、掘削しながら、孔壁に石積みブロックで、周りを補強しながら掘削していく。地層の硬さ等によって異なるが、おおよそ10~20m位掘ることができる。地下水位が浅い地域、特に自由地下水が豊富な地域(例えば関東地方では関東ローム層が分布する台地上)において、作成されていた井戸である。日本国内ではボーリング工法(掘削工法としての上総掘りも含む)による掘り抜き井戸を造る技術が普及する以前や、ボーリング工法を採用するまでもなく地下水位が浅い地域で多く設置されていた。現在ではボーリングによる井戸設置が一般化したため、丸井戸作成の職人が少なくなり、新しく造られることは少なくなってきている。
- まいまいず井戸(地域により呼称が異なる)
- 丸井戸の掘削方法で帯水層に達することができぬほど地表と地下水面(帯水層)が離れている場合には、地表から人が降りてゆくための穴をらせん階段状に掘り、汲み上げ深さ(地下水面)と帯水層との高低差を近づける工夫がなされていた。こうした井戸を武蔵野台地では「まいまいず井戸」と呼び、特に武蔵野台地西部によく見られる。ボーリング工法による掘削(掘削工法としての上総掘りも含む)が普及する以前に深い地下水を取水するために作成されていた井戸である。現在ボーリングによる井戸造りが主として行われているため、新しく造られることはほとんどない。
- 掘り抜き井戸
- 難透水層を掘り抜き、深い帯水層の地下水を汲み上げる井戸。ボーリング工法(掘削工法としての上総掘りも含む)により作成する。降水の少ない砂漠地帯でも水を得ることができる。オーストラリア中央部は、掘り抜き井戸が多いことで有名である。
- 浅井戸と深井戸
- 井戸の取水深度(帯水層の深度)に関係なく、井戸の深さ(孔底深度)が浅い井戸を浅井戸と言い、孔底深度が深い井戸を深井戸という。それぞれに深度や帯水層の定義はなく、いずれも一般的な通称である。地域に分布する帯水層の深度によって、また地域によっても、それらの深度が異なる。
- 自由地下水(上記の丸井戸)を取水している井戸を浅井戸、上記の掘り抜き井戸を深井戸と称することが見られるが、この言い方(分類基準)は決まっているものではない。
- 自噴井
- 被圧地下水(胚胎する地下水の水面が、その帯水層上面よりも高い状態)に井戸を掘り、その水面が地表面以上になると、地下水は汲み上げなくても井戸から噴き出す。この状態の井戸のことを言う。掘り抜き井戸で被圧帯水層を取水してる井戸にこの現象が現れる。地域的には扇状地の先端(地形としては扇端部と言う)にあることが多い。
- 江戸下町の井戸
- 江戸時代の江戸の下町地域の井戸は、地下水取水のための設備ではなく、玉川上水を起源とする、市中に埋設された上水道の埋設管路(ライフライン)からの取水設備であった。これは大部分の下町地域は太田道灌により海を埋め立てて造成された地域であり、井戸を掘っても海水ばかりがでて使い物にならなかったため、埋設管路により下町に水を供給し、これを井戸(形状としては丸井戸の形)に接続させ、給水を行っていたものである。(夏には、水屋という水を売って歩く商売もあった。)
[編集] 一般的な井戸の設備
- 孔口(井戸の口元の事)
- 井戸孔内に雨水などが入らぬよう囲いや屋根を設ける。
- 取水方法
- 垂直の井戸の場合には、丸井戸(上記参照)ではつるべと桶によって水を汲むほか、掘り抜き井戸ではポンプ(手押し式、電動式)で水を汲み上げる。自噴井(上記参照)の場合には、自然と水が流れ出る。
- 横井戸(上記参照)の場合には、自然流下により取水する場合が多い。
- 井戸管(井戸ケーシングとも言う)
- ボーリングで掘削した井戸には、孔内に井戸管を挿入する。井戸管には、地下水を取水するスリット(縦ないし横に幅0.5~2mm程度の切れ目が入っている)を入れたストレーナー(日本国内ではこのように言うが、世界的な標準ではスクリーンと言う)と呼ばれる構造を設置する。なおストレーナーの周囲には、充填砂利(グラベルパッキングとも言う)を入れ、帯水層を構成する地層を井戸孔内に入れないようにし、井戸が詰まらないようにする。
[編集] 井戸と風俗
井戸は、戸別に置かれる場合もあるが、高価であるため、集落の中では数戸単位で設置されることが多い。この場合、生活の一部である井戸端は格好の会話の場所となった。また、井戸には水を汲み出して行う大規模な清掃が必要であり、これを井戸替え、井戸浚え(いどさらえ)、晒井戸(さらしいど)などと呼ぶ。井戸替えも専門の業者が行う他、使用者が共同で当たり地域における夏の年中行事として行なわれる。
水は生活にとって欠かせないものであり、それを汲み上げる井戸は重要視された。日本においては井戸神として弥都波能売神(みづはのめのかみ、水神)などが祀られた。井戸の中に鯉などが放たれていることもある。魚が棲めるということは水が清いということである。この魚を井戸神とみなす地方もあり、井戸の魚はとってはいけないとされる。イモリも井戸を守る「井守」から来ているという説がある。禁忌も多くあり、例えばむやみに井戸を覗き込んではいけないとされた。
その一方で、地下の黄泉に繋がる異界への入り口とも考えられていた。幽霊が出るなどはその一例である。また平安時代に小野篁が井戸を通って地獄に通ったとされる伝説も有名。最近では鈴木光司によるホラー小説『リング』があり、井戸が作品のキーポイントとなっている。
「井戸に毒を入れた」という表現・流言があるように電気・ガスなどがない時代においてライフラインの根幹を破壊する行為の象徴として井戸は位置づけられている。
[編集] 非常災害用井戸
東京都や埼玉県をはじめとした地方自治体では、大地震発生の際にライフラインが絶たれることを想定し、機能する既存の井戸を非常災害用井戸として指定し、非常時の飲料水など生活用水の確保を行っている。これらの井戸では定期的に水質検査を行っており、使用上の問題はないが、無指定の井戸については大腸菌等の細菌や、重金属により汚染されている場合も考えられることから注意が必要である。
[編集] 厚生労働省による飲用を目的とする井戸の衛生対策
厚生労働省は昭和62年に「飲用井戸等衛生対策要領」を生活衛生局長名で通知(最終改正は平成16年)。飲用を目的とする井戸設置者等に対して、以下の3項目を求めている。
- 周辺にみだりに人畜が立ち入らないように適切な措置を講ずること
- 構造(ポンプ、吸込管、弁類、管類、井戸のふた等)並びに井戸周辺の清潔保持等につき定期的に点検を行い、汚染に対する防護措置を講ずるとともに、これら施設の清潔保持に努めること
- 定期及び臨時の水質検査を行うこと
飲用目的井戸の水質検査の受検率は6%強程度にとどまっていると推定されている(平成16年度厚生労働省調べ)。また、受検された井戸のうち26%は一般細菌、大腸菌、硝酸態窒素等の一般項目が水道法の水質基準(飲用に適する基準)に適合しておらず、さらに7%(受検井戸数は一般項目の1/3程度)はヒ素等の重金属が水道法の水質基準に適合していない状況である(同)。
[編集] 井戸と生物
井戸は人工物であり、孤立しているから、原則的には生物は棲まない。しかし、地下水中にもわずかに特殊な生物が生息しており、それが井戸から見つかる例はある。イドミミズハゼやイドウズムシはそのような経緯で発見されたものである。
[編集] 特殊な井戸の名称
石油生産の場合は油井(ゆせい)、天然ガス生産の場合はガス井(ガスせい)と言い、いずれも生産井(せいさんせい、Production well)とよぶ場合もある。
地盤沈下抑止や、石油生産を向上させるために、直接帯水層に、水を注入する井戸については、注入井(ちゅうにゅうせい、Injection well)または涵養井(かんようせい、Recharge well)と言う。
地すべりを抑止するために、地中から地下水を排水することを目的として、直径4メートル程度の井戸を掘削し、井戸内部からすべり面に向けて、水平に排水用井戸を設置する対策工法がある。これらの井戸を集水井(しゅうすいせい)と呼ぶ。
地下水の水位や水質、地表付近の不飽和土中の地中ガスを観測するために設置する井戸を、特に観測井(かんそくせい)と呼ぶ。
[編集] 井戸を題材とした作品
- 番町皿屋敷(江戸時代の怪談)
- 朝顔や釣瓶とられてもらひ水(加賀千代女の俳句)
- リング(鈴木光司のホラー小説。映画化もされる)
- 能『井筒』。幼馴染と遊んだ井戸を見下ろす場面がクライマックス。筒井筒も参照。
[編集] 参考
- 和文通話表で、「ゐ」を送る際に「井戸のヰ」という。
- 聖書では特にイエス・キリストが「ヤコブの井戸」でサマリア人の女に水を求める話(ヨハネ)が有名である。
- 日本の政府開発援助、NGOの手などにより、アフリカ諸国を中心に、井戸の掘削、手押しポンプの設置などが進められている。