R・リー・アーメイ
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R・リー・アーメイ Ronald Lee Ermey |
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生年月日 | 1944年3月24日(64歳) |
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出生地 | カンサス州エンポリア |
国籍 | アメリカ合衆国 |
ロナルド・リー・アーメイ(Ronald Lee Ermey, 1944年3月24日 - )は、アメリカ海兵隊の軍人、俳優。ニックネームは「ガニー(Gunny)」(Gunnery Sergeant:一等軍曹の略称)。海兵隊時代には軍事教練指導官を務めた。
軍を退役後に映画『フルメタル・ジャケット』でのハートマン軍曹に代表されるような極めて居丈高な軍人・父親役を演じた。現在はヒストリーチャンネルの番組"Mail Call"の司会などを務めている。また、オーストリアの有名銃器メーカーであるグロック社のオフィシャル・スポークスマンでもある。
2002年5月、海兵隊司令官ジェームズ.L.ジョーンズ大将によって一等軍曹(E-7)に名誉昇進した。海兵隊の歴史上、退役者が昇進したのは彼が初めてである。これによってニックネームの「ガニー」が事実となった(今までは映画の中のキャラが一等軍曹だったのでそう呼ばれていただけである)。
[編集] 経歴
カンサス州エンポリア生まれ。10代の頃は札付きの不良で、判事から「軍隊に行くか刑務所に入るか選べ」と迫られたという。1961年海兵隊入隊。後に、彼は「(海兵隊が)俺のやくざな生き方を止めた」("put a screeching halt to my unconventional manner")と述懐している。1965年から1967年までの2年間、カリフォルニア州サンディエゴの海兵隊サンディエゴ新兵訓練所(MCRD San Diego)に教練指導官(DI)として勤務。
1968年、第17海兵航空支援群の一員としてヴェトナムで戦う。沖縄でも2度ほど勤務する。この間何度も負傷し、1972年二等軍曹で傷痍除隊。しかし、負傷は戦闘によるものではないという事でパープルハート勲章(名誉戦傷章)は授与されなかった。
現在もPTSDとみられる戦闘経験の悪夢と闘っている。
彼の映画デビューは退役後、復員軍人奨学金(G.I. Bill)を得てフィリピンのマニラ大学に留学していたときである。彼は映画『地獄の黙示録』にヘリコプターパイロット役として出演し、またフランシス・コッポラ監督のテクニカルアドバイザーとして参加した。そしていくつかの映画で脇役を務めた後の1987年、スタンリー・キューブリック監督の映画『フルメタル・ジャケット』で鬼の教練指導官、ハートマン軍曹役で出演。当初、彼はテクニカルアドバイザーとして参加していたが、演技指導で彼の紡ぎだす罵詈雑言の迫力を見たキューブリック監督により、ハートマン軍曹役そのものが与えられた。軍曹の台詞の一部は彼が手がけ、また一部の演技は彼のアドリブである。これはアドリブなどを基本的に許さないキューブリック監督にしてはかなり異例の事である。キューブリック監督は彼を「これまで仕事をしてきた中で最高の俳優の一人で、1シーン撮るのにたった2、3回のテイクで十分だった」と評している。ちなみに、彼のセリフを翻訳する際は忠実に訳すことが条件であった。この映画出演がきっかけにより、キューブリック監督とは友人となり、キューブリック監督が死の直前に彼との会話でトム・クルーズとニコール・キッドマンに対して愚痴った話は有名となった。彼の演技は批評家たちの激賞を受け、ゴールデングローブ賞の最優秀助演男優賞にノミネートされた。
その後も、約60本の映画に出演し、またアニメやゲームソフトの声優、テレビ番組の司会などとして活躍している。
[編集] 主な出演作
- 地獄の黙示録 -Apocalypse Now(1979年)
- フルメタル・ジャケット -Full Metal Jacket(1987年)
- ミシシッピー・バーニング -Mississippi Burning(1988年)
- トイ・ソルジャー -Toy Soldiers(1991年)
- セブン -Se7Ven(1995年)
- リービング・ラスベガス -Leaving Las Vegas (1995年)
- デッドマン・ウォーキング -Dead Man Walking (1995年)
- 告発 -Murder in the First (1995年)
- さまよう魂たち-The Frighteners (1996年)
- テキサス・チェーンソー -The Texas Chainsaw Massacre (2003年)
- テキサス・チェーンソー ビギニング -The Texas Chainsaw Massacre: The Beginning (2006年)
(声の出演)