MKグループ
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MKグループ(エムケイグループ)は、傘下の青木信明代表取締役のエムケイタクシー(前本社所在地京都市北区上賀茂、現京都市南区西九条)を中心とし、低料金で、タクシー業以外にも、エムケイタクシーの運転手の企業などへの派遣・警備業・人材派遣業・観光バス・旅行案内・ガソリンスタンド・自動車整備・車検・保険・キャッシング・バイキング・インターネットカフェ・カラオケ・レストラン・ボウリング場などを多角経営するグループである。エムケイグループ会長は青木定雄(社内ではオーナーと呼ばれる)、代表取締役社長は長男青木信明である。
エムケイグループの構成
エムケイタクシー本社「エムケイ株式会社」現所在地京都市南区西九条 代表取締役社長青木信明 資本金9,500万円。
国内各地のエムケイタクシー、
「大阪エムケイ株式会社」代表取締役社長青木義明(青木定雄の三男) 資本金9,500万円。
「東京エムケイ株式会社」代表取締役社長青木政明(青木定雄の次男) 資本金2億円。
「神戸エムケイ株式会社」代表取締役社長青木義明 資本金8,000万円。
「名古屋エムケイ株式会社」代表取締役社長青木義明 資本金9,500万円。
他に「エムケイ観光バス株式会社」(京都市南区上鳥羽)、
「エムケイ石油株式会社」(京都市南区西九条)、
「エムケイボウル・パルケ・シエル」(京都市北区上賀茂エムケイタクシー本社社屋内にあった旧「エムケイ産業株式会社」から2006年8月吸収合併)、以上8社。
上記のエムケイタクシー本社「エムケイ株式会社」で運転手派遣・警備業・人材派遣業も行い、「エムケイ石油株式会社」でセルフのガソリンスタンド・自動車整備・鈑金・車検・保険・キャッシング、およびエムケイタクシーの事故車両などの破損修理もおこなっている。旧「エムケイ産業株式会社」から吸収合併した「エムケイボウル・パルケ・シエル」で600円バイキング・インターネットカフェ・カラオケ・レストラン・ボウリング場・バッテイングセンター・バドミントン・卓球・フットサルの場所貸し業、エムケイチャリテイカップ、などをおこなっている。(2008年5月時点)
1960年に青木定雄が京都市で「ミナミタクシー」を設立。1961年自社タクシー運転手の厚生対策の社宅ミナミホームセンター、1969年には「MK団地」を建設、1972年身体障害者優先乗車など、創業当初から独創的経営を実施。1977年に「桂タクシー」と合併し、両社の頭文字から取ったMKタクシーへ社名変更。1983年森英恵デザインの制服、2001年米軍のGPS衛星の電波利用の自動配車システム導入、1997年大阪府と東京都、2001年愛知県、2002年兵庫県、にタクシー業を進出させ、福岡の「第一交通産業グループ」同様に全国規模のタクシー事業の展開を行う。ただし、本社のある京都や進出した全国各地で、青木定雄と青木信明の経営手法には賛否両論を呼んでいる(エムケイタクシー、青木定雄の項参照)。
2005年 3月29日産経新聞の報道によると青木定雄会長の近畿産業信用組合から、同会長のMKグループ傘下の、京都・神戸・大阪の各MKタクシーおよび京都のMK石油へ、長期運転資金という不明瞭な名目で、融資先担保の評価額が大きく融資金額以下にもかかわらず、86億円にのぼる融資が行なわれたという。なお、近畿産業信用組合には8,670億円もの公的資金、すなわち国民の税金が投入されている(財務省近畿財務局公表内容及び産経新聞報道等より)。
2005年 8月に傘下の大阪エムケイの元従業員(運転手)等から労働基準法違反等の集団訴訟(いわゆる「給料0円裁判」)を起こされている。
2006年 2月16日に大阪ドームの競争入札で、エムケイグループの傘下大阪エムケイが唯一応札した。応札額は最低入札価格の100億円であった。この件で青木定雄は大阪市民と京都市民から幅広く出資を募り、球場施設の運営を行う新会社を設立するという計画であった。これに対し2月22日大阪ドームの管財人は大阪エムケイの応札内容は不確実性が高いとの判断から不適格とし応札は無効となった。
2008年5月、かねてから近畿産業信用組合の普通銀行への転換を希望する、エムケイグループと近畿産業信用組合会長の青木定雄は、立命館大学法学部中退の青木定雄の経営手腕に遠く及ぶべくもない、東京都知事石原慎太郎配下の東京都官僚のずさん経営の結果400億円もの東京都民の税金の投入の追加出資をしたにも関わらず、なおも破綻が懸念される新銀行東京の、近畿産業信用組合への事業提携ないしは、事業譲渡すなわち売却を、東京都知事石原慎太郎へ申し出た(読売新聞2008年5月22日報道などから)。