MJ -MUSIC JOURNAL-
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MJ -MUSIC JOURNAL- ミュージックジャーナル |
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ジャンル | 音楽情報番組 |
放送時間 | 水曜日22:00~22:54(54分) |
放送期間 | 1992年10月14日~1994年3月23日 |
放送国 | 日本 |
制作局 | フジテレビジョン |
プロデューサー | 大前一彦 |
出演者 | 古舘伊知郎 加山雄三 田中律子 |
音声 | ステレオ放送 |
MJ -MUSIC JOURNAL-(エムジェイ ミュージック ジャーナル)は、1992年10月14日から1994年3月23日までの、毎週水曜日22時から22時54分まで、フジテレビ系列で放送された音楽情報番組である。
司会は古舘伊知郎、加山雄三、田中律子が務めた。司会の三人が使っていたテーブルにはLED式フリーパターンが設置され、音楽業界情報などを流していた。これまでの音楽がメインだった番組とは一線を画し、『音楽』をキーワードに、音楽をあらゆる観点から検証する企画を中心に構成された。
目次 |
[編集] エピソード
- 奇抜な検証コーナーでCHAGE and ASKAを検証した際は、「チャゲアスは演歌だ」と結論付けたことで、CHAGE and ASKAが激怒し、一時彼らとフジテレビが険悪な関係に陥った。しかし、この件に関してASKAは後に他のテレビ番組で「演歌だと言われて怒ったという事になっているが、そうではない。それでは演歌を真剣にやってらっしゃる方に失礼だ。番組側と番組に関しての打ち合わせをした際、こちらが要求した事とは全く正反対の事をやられ、打ち合わせとは全く違う内容の番組をやられたため、これは明らかに悪意があると思い怒った。これをされたら誰だって怒る」といった内容の発言をした。
- 放送中、視聴者からのファックスを随時紹介する形式を取っていたため、山形テレビがテレビ朝日系列へネットチェンジするために放送が打ち切られる時、その苦情や嘆きの声が番組中で紹介されるなどして大問題となった。
- また、CM時にMC陣の後ろのFAXガールがアップになり、脚を組み替えるという演出もあった。
- 1992年10月28日には後にメディア露出が極端に少なくなるZARDが出演し、「IN MY ARMS TONIGHT」を歌唱した。因みに、同曲はテレビ朝日系『ミュージックステーション』でも1度披露されているが、このテレビ出演の2回にはZARDでベースを担当していた星弘泰の姿がなく、この以前に脱退状態となっていたと考えられる。
- 番組では毎週「MJ RANKING」と題して、オリコンなどを元にしたシングルランキングTOP10を毎週発表していた。1994年最初の放送では、1993年シングルランキングTOP100(MJ RANKING)を発表した(データは、オリコン1993年間TOP100を使用)。100位→71位、70位→41位、40位→11位、10位→1位。ランキングの合間に、ゲストとのトーク・ライブがあった。(なお、2008年現在NHK総合テレビで放送されている「MUSIC JAPAN」にも同名のコーナー「MJランキング」があるがそれとは無関係)
- 1993年ごろからは遠距離恋愛などをテーマに特集を構成。番組で女性ボーカリストを公募し「遠恋ソング」なるものを作ったり、山根康広の「Get Along Together」を番組で勝手に遠恋ソングに推薦したりし、さらには遠距離恋愛をテーマにしたMJ番組オリジナルCMを制作して放送したりもした。
- 番組内で大プッシュしたTHE BOOM、橘いずみは放送後、それぞれ(ヒット曲)や他局での歌番組出演など頻繁にメディア露出が増え、この番組で紹介したアーティストはヒットすると確信したコメントがあったが、それ以降ヒットしたミュージシャンは出なかった。
[編集] 番組の終焉とHEY!HEY!HEY!登場までの音楽番組空白期間
[編集] フジテレビ系生放送音楽番組の消滅
視聴率の不振にあえぐ音楽番組の起爆剤として登場したMJだったが、1993年以降の遠距離恋愛企画など、音楽番組らしからぬ特集中心の構成に偏り、歌手の歌部分を減らしてしまった(中には1曲だけの回もあった)ことや、また同時刻に「ニュースステーション」(テレビ朝日系)や、日本テレビ系の連続ドラマ枠などの強力裏番組があり、やはり視聴率的にも苦戦した。
また、古舘伊知郎をメイン司会に起用したことから「いっそのこと『夜のヒットスタジオ』に戻したほうがいいのでは」との業界内での批判が起きるなど(番組制作内部でも、アシスタント役の田中律子からは「芳村真理さんを目標に司会したい」、古館に至ってはオープニング時に花などが番組に届けられた際に、「夜ヒットだったらここで真理さんが華々しく花を持ってくるのが恒例」云々といった趣旨の発言がなされるなど「夜ヒット」復活を暗に希望しているかのような発言も多くなされていた)、スタート当初からの番組に対する逆風も強く、結局、1994年3月23日、わずか1年半で放送打ち切り。それと同じくして、フジテレビは開局時の『ザ・ヒットパレード』から35年にわたるゴールデンタイムの生放送音楽番組を撤退することになる。
『MJ』終了から半年後の10月17日にダウンタウンを起用した音楽バラエティ番組『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』を登場させるまで、フジテレビでは半年に及ぶゴールデンタイム音楽番組の空白期間を作ったことになったが、『MJ』終了から『HEY!HEY!HEY!』開始までのつなぎ番組としてウッチャンナンチャンのお笑い番組『ゲッパチ!UN アワーありがとやんした!?』を1994年4月から9月まで放送した。
[編集] MJ後のゴールデン枠音楽番組空白期間
ゴールデンタイム音楽番組の空白期間中もフジテレビでは『ミュージックフェア'94』は日曜23:00枠で放送を継続。また関東ローカルで隔週水曜日深夜に『SWITCH MUSIC』という音楽番組を放送。同番組は全10回放送中アーティスト計36組が出演、ハイビジョン試験放送でも放送された。
さらにこの当時、民放ゴールデンタイムの音楽番組で唯一の生き残りになった『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)でも司会の有賀さつき(当時)が1994年4月15日放送のオープニングで「老舗の歌番組も、民放で唯一つ、この番組(Mステ)だけになってしまいました」と淡々と語った(ただしミュージックフェアも放送を継続していたため間違いでもある)。
[編集] MJスペシャル
MJでは通常放送以外にも、特集比重の通常版よりアーティストが多数出演して歌を披露する割合の多いスペシャルも改編期を中心に放送された。
[編集] 関連項目
- SOUND ARENA(番組スポンサー上の前枠番組)
- FNS歌謡祭
- MUSIC JAPAN - 本番組とは無関係だが、MJの通称を扱う音楽番組で、NHK総合テレビで現在放送されている。
- ミュージック・ジャンプ - 1990年代末期にNHK-BS2で放送されていた。こちらも通称MJだが本番組とは無関係。
[編集] 前後番組の変遷
フジテレビ 水曜日22時台 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
逃亡者
※ここまでドラマ枠 |
MJ -MUSIC JOURNAL-
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フジテレビ 生放送の音楽番組枠 | ||
SOUND ARENA
(→スポンサー枠の前番組) |
MJ -MUSIC JOURNAL-
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HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP
※ただし、非生放送音楽番組(生放送は不定期) |