KONDO Racing
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KONDO Racing(こんどー-れーしんぐ)は、近藤真彦がオーナー兼監督を務めるレーシングチーム。2000年3月に発足。正式な商号は株式会社エムケイカンパニー。
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[編集] 参戦暦
[編集] フォーミュラ・ニッポン
[編集] 2000年度
- 近藤真彦 0pt
- 土屋武士 0pt ※第9戦のみ参戦
オリンピックをメインスポンサーに、近藤自身がステアリングを握り参戦した。
[編集] 2001年度
2001年より近藤は監督業に専念し、ドライバーを金石勝智と立川祐路にスイッチ。
[編集] 2002年度
- 荒聖治 3pts(11位)
- 金石勝智 0pt
2002年は金石が残留し、新たに荒聖治が加入した。
[編集] 2003年度
- 立川祐路 0pt
- ドミニク・シュワガー 0pt
2003年は立川が2年ぶりにチームに復帰し、ドミニク・シュワガーとの2台体制となったが、チームの成績は低迷し続けた。
[編集] 2004年度
- 道上龍 7pts(10位)
- 立川祐路 3pts(14位)
2004年からメインスポンサーがイエローハットとなり、ドライバーはトヨタのエース格である立川に加え、ホンダのエース格・道上龍と非常に気合の入った体制となったが、残念ながら結果は伴わなかった。
[編集] 2005年度
- 山本左近 9pts(10位)
- ヤレック・ヤニス 0pts ※第3戦まで参戦
- ロニー・クインタレッリ 12pts(9位) ※第4戦より参戦
2005年はドライバーを山本左近とヤレック・ヤニスに一新。シーズン途中からはヤニスの代役として、前年の全日本F3チャンピオンであるロニー・クインタレリが加入し、チームの調子も上向きとなった。
[編集] 2006年度
- 山本左近 3.5pts※第3戦まで参戦
- 柳田真孝
- 荒聖治 ※第4戦から参戦
第3戦までは山本左近と柳田真孝がドライブ。第4戦からは山本左近のF1参戦により荒聖治が3号車をドライブすることとなった。
[編集] 2007年度
- 柳田真孝
- ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ
[編集] 2008年度
- 横溝直輝
- ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ
[編集] SUPER GT
[編集] 2006年度
- WOODONE ADVAN KONDO Z
- ドライバー:エリック・コマス/柳田真孝
- タイヤ:ヨコハマ
- マシン:日産・フェアレディZ(06年型)
初年度より、元F1ドライバーのコマスと日産の成長株である柳田の強力ラインアップと好調な06年型のZを投入したことで、非常に気合が入っていたものの、横浜タイヤは日産・Zとのデータはなく、まずはタイヤの開発戦争が課題である。第5戦からコマスが腰痛が原因で一時離脱し変わって荒聖治を起用。コマスはいったん第6戦で復帰するもののなかなか調子が戻らず結局今シーズンいっぱい離脱を余儀なくされ荒が最終戦まで柳田とコンビを組むことに。最終戦ではマシン救済もあって2位争いをした上で3位に入り念願の初表彰台を獲得した。
[編集] 2007年度
- WOODONE ADVAN Clarion Z
- ドライバー:ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ/荒聖治
- タイヤ:ヨコハマ
- マシン:日産・フェアレディZ(07年型)
昨年の最終戦でようやく初表彰台を上げ、今年度の目標は初優勝となりそのために必要な体制を作るべく体制強化を図った。ドライバーには05年の全日本F3王者で昨年ハセミモータースポーツから参戦したオリベイラを迎え、昨年途中から起用された荒とコンビを組んだ。序盤戦は旧規定ベースの06年型で挑んだものの、特認だったため性能調整ウェイトが科せられ、更に新規定のワークスマシンの方が昨年の車よりも速かったため非常に不利な戦いを強いられた。第3戦から念願の新車にスイッチしたが、クラッシュによりリタイア。このように、2007年度は常に苦戦を強いられてきたが、第4戦のセパンサーキットでは、猛暑による路面の温度の上昇からタイヤの磨耗が早く、多くのチームが2ピット作戦を用いた中、熱い路面とタイヤとのマッチングが良く、タイヤの磨耗が他のチームに比べて遅かったことから1ピット作戦を成功させ、見事予選14番手から優勝を果たした。もちろんチーム初勝利であり、近藤は涙を流して歓喜した。
[編集] 2008年度
- WOODONE ADVAN Clarion GT-R
- ドライバー:ジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ/荒聖治
- タイヤ:ヨコハマ
- マシン:日産・GT-R(08年型)
昨年は新車投入が第3戦からでその間は旧型マシンでの参戦だったため苦しんだが、今シーズンは開幕戦より新型マシンであるGT-Rを投入することとなった。既に多くのテストもこなしており、今年も昨年に引き続いて優勝を狙いつつシリーズタイトル獲得も狙う。なお、マシン以外の体制は昨年と同様である。
[編集] ル・マン24時間耐久
[編集] 2002年度
- ドライバー:近藤真彦/Francois MIGAULT/Ian McKellar Jur.
- マシン:童夢S101
- 結果:予選/23位(予選1日目時点),決勝/リタイア
[編集] 2003年度
[編集] 2004年度
- ドライバー:道上龍/加藤寛規/福田良
- マシン:童夢S101
- 結果・予選/7位,決勝/リタイア