黒田長礼
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黒田 長礼(くろだ ながみち、1889年(明治22年)11月24日 - 1978年(昭和53年)4月16日)は、日本の鳥類学者で侯爵。正字では長禮。
東京市赤坂区福吉町(現在の東京都港区赤坂)生まれ。黒田長政から数えて福岡黒田家14代目の当主。祖父は筑前福岡藩の第12代藩主黒田長知、曽祖父は11代藩主・黒田長溥。父は貴族院副議長を務めた 黒田長成侯爵、母は清子(島津忠義の娘)である。自邸内に鴨池があったため、幼時より鳥類に親しんで育つ。
学習院高等科から東京帝国大学理科大学動物学科、同大学院に進む。1917年(大正6年)、大学院2年在学中、鳥類採集に出かけた朝鮮半島にて新種のカモ「カンムリツクシガモ」を発見。命名者となる。1924年(大正13年)、琉球列島の鳥相に関する研究で東京帝国大学から理学博士号を受ける。鳥類学の学位を日本で初めて取得した人物となった。
宮中に入り宮内省主猟官や式部官を務めた。1939年(昭和14年)10月2日、父長知の死去により、家督を相続した。それにともなって、侯爵議員として貴族院議員に就任する。1947年(昭和22年)から1963年(昭和38年)まで日本鳥学会会頭。
日本における分類生物学の草分けのひとりで、日本野鳥の会の設立発起人のひとりである。絶滅種であるカンムリツクシガモ、ミヤコショウビンが新種として認定されたのは長礼の功績が大きい。『鳥類原色大図説 全3巻』(1933-34)や『ジャワの鳥』(2巻 1933-36) 、 Parrots of the World in Life Colours (1975)などの30冊以上の著書があり、ブックメーカーと呼ばれた。
妻は閑院宮載仁親王の第二王女の茂子女王。息子も鳥類学者で、山階鳥類研究所所長の黒田長久である。娘は陸軍中佐山内豊秋(陸軍少佐侯爵山内豊景の養嗣子)に嫁ぐ。
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