鹿角郡
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鹿角郡(かづのぐん)は、秋田県北東部(陸中国北西端)に位置する郡。人口6,403人、面積178km²、人口密度36人/km²。(2008年5月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 小坂町(こさかまち)
[編集] 沿革
- 1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法制定に伴い、郡役所を花輪村に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、以下の町村が発足。(2町8村)
- 花輪町、柴平村、尾去沢村、毛馬内町、大湯村、錦木村、宮川村、曙村(現・鹿角市)
- 小坂村、七滝村(現・小坂町)
- 1914年(大正3年)5月12日 - 小坂村が町制施行し小坂町となる。(3町7村)
- 1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所廃止。
- 1928年(昭和3年)11月1日 - 大湯村が町制施行し大湯町となる。(4町6村)
- 1936年(昭和11年)10月1日 - 尾去沢村が町制施行し尾去沢町となる。(5町5村)
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 毛馬内町・錦木村が合併し、十和田町が発足。(5町4村)
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 小坂町・七滝村が合併し、小坂町が発足。(5町3村)
- 1956年(昭和31年)6月15日 - 宮川村・曙村が合併し、八幡平村が発足。(5町2村)
- 1956年(昭和31年)9月30日(4町1村)
- 花輪町・柴平村が合併し、花輪町が発足。
- 大湯町・十和田町が合併し、十和田町が発足。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 花輪町・尾去沢町・十和田町・八幡平村が合併し、鹿角市が発足、郡より離脱。(1町)
明治22年以前 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和39年 | 昭和40年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | |
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花輪町 | 花輪町 | 昭和31年9月30日 花輪町 |
昭和47年4月1日 鹿角市 |
鹿角市 | 鹿角市 | ||
柴平村 | 柴平村 | ||||||
尾去沢村 | 昭和11年10月1日 町制 |
尾去沢町 | |||||
毛馬内町 | 毛馬内町 | 昭和30年3月31日 十和田町 |
昭和31年9月30日 十和田町 |
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錦木村 | 錦木村 | ||||||
大湯村 | 昭和3年11月1日 町制 |
大湯町 | |||||
宮川村 | 宮川村 | 昭和31年6月15日 八幡平村 |
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曙村 | 曙村 | ||||||
小坂村 | 大正3年5月12日 町制 |
昭和30年4月1日 小坂町 |
小坂町 | 小坂町 | 小坂町 | ||
七滝村 | 七滝村 |
[編集] 市町村合併
平成の大合併において小坂町は当初、鹿角市との任意合併協議会と大館市および北秋田郡比内町・田代町との任意合併協議会の両方に参加したが、結局どちらとも合併せず単独町制を継続することになった。
昭和40年代後半の鹿角郡内の大型合併の際も小坂町を含めた合併案があったが、小坂町のみ単独町制を志向し、残りの3町1村が合併して鹿角市となった。
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市部 | 秋田市 | 能代市 | 横手市 | 大館市 | 男鹿市 | 湯沢市 | 鹿角市 | 由利本荘市 | 潟上市 | 大仙市 | 北秋田市 | にかほ市 | 仙北市 |
鹿角郡 | 小坂町 |
北秋田郡 | 上小阿仁村 |
山本郡 | 藤里町 | 三種町 | 八峰町 |
南秋田郡 | 五城目町 | 八郎潟町 | 井川町 | 大潟村 |
仙北郡 | 美郷町 |
雄勝郡 | 羽後町 | 東成瀬村 |