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高橋健二 (競輪選手) - Wikipedia

高橋健二 (競輪選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

獲得メダル
1981 ブルノ プロ・スプリント

高橋健二(たかはし けんじ。1952年7月13日- )は元競輪選手愛知県出身。日本競輪学校第30期生。1972年10月5日名古屋競輪場でデビューし、初出走初勝利を挙げたばかりか、この開催で完全優勝を果たす。

師匠は黒須道場の異名を取り、多くの競輪選手を輩出した黒須修典。黒須道場の1期先輩に北海道出身の久保千代志がいる。

また、父親、兄、弟(高橋美行)も競輪選手であった。そして、息子である宏和(80期生)も競輪選手である。

現役当時のニックネームは爽やかケンチャン

目次

[編集] 三強時代を終焉に追い込む

1975年に行われた第28回日本選手権競輪千葉競輪場)決勝で、高橋は岐阜の須田一二三を引きつれホームからカマシ気味に前団を叩いて出た。

すると、高橋のカマシに反応しようとした当時の三強の一角で、同大会を制することでグランドスラム達成がかかっていた福島正幸が落車。この福島の落車が影響して他の選手もまた高橋の逃げについていけない状態となり、高橋はそのまま押し切って優勝。当時22歳であった。

この決勝では福島の他、三強としては田中博もいたが、不思議なことに、1970年から1974年の5年間で3人合わせて11回も特別競輪を制覇してきた福島、田中、阿部道の三強がこの決勝を境に凋落したばかりか、これら三強と呼ばれる選手を追撃していた選手たちもほぼ同時に凋落することになるという、競輪界はヤング全盛時代と呼ばれる、これまでの流れとは全く違った新しい時代へと突入することになる。

[編集] 生死をさまよう

同年5月に行われた高松記念決勝で高橋は、徳島の新田計三の強烈な牽制を受け落車。バンクに叩きつけられ意識不明の状態となり、一時は生死をさまよったこともあった。しかし翌年9月に復帰することになる。

[編集] 中野浩一のよき相談相手

高橋が日本選手権を優勝した年に中野浩一がデビューしたが、中野は熊本の矢村正以外に九州で頼れる先輩がいなかったことから、後に世界自転車選手権で一緒に出場した縁もあって、高橋を頼るようになった。とりわけ、中部地区での斡旋が終わると、中野は自宅がある久留米にはすぐに戻らず、高橋の家に必ず何泊かするようになったという。

とりわけ、フラワーラインという勢力が後に台頭してくると、中野は最初に高橋に相談を持ちかけ、また高橋は同門の先輩ともいうべき久保千代志を通じ、久保がアニイと慕っていた北海道の藤巻昇をも味方に取り入れ、時折、地域とは関係がない、いわゆる「中野シンパライン」を形成し、フラワーラインに対抗するようになった。但し、フラワーラインのような一枚岩の結束ではなく、必要に応じてラインが形成されるだけだった。

一方で高橋は中野と特別競輪の決勝でしばし名勝負を演じた。しかしほとんど中野に軍配が上がり、ひいては高橋がしばらくタイトルから遠ざかるきっかけにもなってしまう。

[編集] 世界選手権で銅メダル

1981年の世界選、ブルノ大会(当時はチェコスロバキア)のプロスプリントで、高橋は銅メダルを獲得。またこの年のケイリンでは、久保が同じく銅メダルを獲得している。

[編集] 10年半ぶりの特別競輪制覇

1985年オールスター競輪一宮競輪場)において、高橋は中野にマーク。その後ろに弟の美行がつけ、さらにその後ろを藤巻が固めるという、まさに中野シンパのラインを形成。バックから捲った中野に対し、高橋は直線で鋭く中野を追い込み、10年6ヶ月ぶりに特別競輪を制覇した。2着は中野だったが、3着に美行が入り、藤巻兄弟以来の特別競輪での兄弟表彰台が実現した大会となった。

[編集] 50歳を過ぎてもS級選手

高橋の特筆すべき点は、50歳を過ぎてもS級選手であり続けたことである。現役を引退したきっかけがA級に陥落することになったためであり(2003年)、新人時代から一貫してトップクラスの座を維持したことは賞賛に値するもの。

ひいては、特別競輪の優勝回数が2回、通算勝利数も500勝に満たない(470勝)という成績でありながらも、高橋が引退してまもなく、ホームバンクであった名古屋競輪場で高橋を記念するS級シリーズが開催された。それだけ高橋の存在というのは、記録以上に記憶にとどめる側面が大きかったといえる。

現在はその功績を称え、高橋健二杯・メダリストカップを名古屋競輪場で開催。

[編集] 関連項目

[編集] 関連外部リンク


先代:
田中博
日本選手権競輪優勝者
1975年
次代:
新井正昭
先代:
吉井秀仁
オールスター競輪優勝者
1985年
次代:
伊藤豊明


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