馬淵澄夫
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馬淵 澄夫(まぶち すみお、昭和35年(1960年)8月23日 ‐ )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(2期)。学歴は横浜国立大学工学部卒業。
生年月日 | 昭和35年(1960年)8月23日 |
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出生地 | 奈良県奈良市 |
出身校 | 横浜国立大学卒業 |
学位・資格 | 工学士(横浜国立大学) |
前職 | 会社役員 |
所属委員会 内閣役職 |
衆・予算委員会委員 衆・安全保障委員会委員 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 奈良県第1区 |
当選回数 | 2回 |
所属党派 | 民主党(野田・前原グループ) |
党役職 | 政策調査会副会長 奈良県総支部連合会代表 奈良県第1区総支部長 |
会館部屋番号 | 衆・第1議員会館437号室 |
ウェブサイト | まぶちすみお |
目次 |
[編集] 概要
- 2000年6月25日の第42回衆議院議員総選挙(通称:神の国解散)に奈良県第1区から出馬したが自由民主党の前職・森岡正宏に敗れ落選した。
- 2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙(通称:マニフェスト選挙)に同区から出馬し「なら家族宣言」を掲げ自民党前職・高市早苗を破り初当選した。
- 2005年春、郵政民営化をめぐり開かれた衆議院郵政民営化特別委員会に所属した。
- 2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙(通称:郵政解散)に同区から出馬し郵政民営化法案に反対した森岡正宏と自民党から送り込まれた刺客で前奈良市長の鍵田忠兵衛との三つ巴の争いを展開したが鍵田を約6000票差で破り再選。
- 総選挙の敗北を受け行われた民主党の代表選挙で前原誠司の推薦人となり、前原が当選。党政策調査会副会長、衆議院予算委員会の委員、郵政民営化特別委員会の党次席理事に就任。
- 2005年秋に発覚した耐震強度偽造事件をめぐり、国会で民主党議員の主な質問者となった。
- 2006年の小沢一郎の代表就任に伴って政策調査会の副会長を離職したが、党役員人事の改変に伴い、再び副会長に復帰した。また、政策調査会の委員として予算委員会委員を常任するほか、安全保障委員会に所属する。
[編集] これまでに経験した役職
- 1期目
- 2期目
[編集] その他
- 子供が多いことで知られ、6児の父で11人家族である。
- 構造計算書偽造問題では同党の下条みつ議員らと共に民主党による批判・追及の中心を務めた。国会での証人喚問で姉歯秀次元1級建築士や木村建設の木村盛好社長、篠塚明元東京支店長、総合経営研究所の内河健社長、ヒューザー小嶋進社長などの各証人達を“四ヶ所メモ”などのいわゆる「隠し球」で鋭く追及した。これに伴い「みのもんたの朝ズバッ!」「ザ!情報ツウ」「ワイド!スクランブル」「きょう発プラス!」「サンデープロジェクト」「報道2001」「報道ステーション」「ウェークアップ!ぷらす」「スーパーモーニング」などのテレビ番組に多数回出演した。
- 元阪神タイガースの八木裕に似ていることから、八木の愛称である「神様」と有権者に呼ばれたこともある。
- ボディビルを趣味でしている。「身体を鍛えると、心がおおらかになる」と効用を語る。
- ボーイスカウト奈良第12団に所属している。
- 2008年6月7日読売テレビの番組で、「国策として日本人のカロリー摂取を制限すべき」と主張した。
[編集] 略歴
[編集] 経歴
- 昭和53年(1978年)
- 3月 東京都立上野高等学校卒業。
- 昭和57年(1982年)
- 建設会社員、コンピューター関連商品製造販売会社取締役(史上最年少の上場企業取締役)・北米法人最高経営責任者、文具会社役員などを歴任。
[編集] 政歴
- 平成12年(2000年)
- 6月25日 第42回衆議院議員総選挙(奈良1区・民主党公認)落選。54,684票。
- 平成15年(2003年)
- 11月9日 第43回衆議院議員総選挙(奈良1区・民主党公認)当選。79,529票。
- 平成17年(2005年)
- 9月11日 第44回衆議院議員総選挙(奈良1区・民主党公認)2期目当選。73,062票。
[編集] 親族
- 馬淵昌也 学習院大学文学部外国語教育研究センター教授 従兄弟