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閔妃 - Wikipedia

閔妃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

明成皇后 閔氏
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閔妃
各種表記
ハングル 명성황후
漢字 明成皇后
平仮名
(日本語読み仮名)
びんぴ
片仮名
(現地語読み仮名)
ミョンソンファンフ
ラテン文字転写: Empress Myeongseong
Queen Min
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閔妃ミンビ、びんぴ、1851年10月19日 - 1895年10月8日)は、李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃[1]。尊号は孝慈元聖正化合天[2]諡号明成太皇后[3]なので、孝慈元聖正化合天明成太皇后となる。韓国では明成皇后、中国では 朝鮮王后(閔氏)または明成皇后と呼ぶ。

目次

[編集] 人物

閔致禄の娘。幼名は伝わっておらず不明。15歳の時(1866年)に王の実父である興宣大院君(以下、大院君)の夫人閔氏の推挙で王宮に入った。明成皇后が王妃に選ばれた理由は、それ以前の60年間に及ぶ外戚安東金氏の勢道政治による壟断からの脱却をはかるため、外戚としての影響力の少ない人物を選んだと言われる。しかしながら、その方策は裏目に出た。

大院君が失脚すると、明成皇后は彼女の一族を積極的に重職に登用し、閔氏による勢道政治を行った。当初明成皇后は開国政策をとり、日本日朝修好条規(江華島条約)を締結するなど積極的な開化政策を実施した。日本から顧問を呼び寄せ、軍隊の近代化も始まったが、従来の軍隊(旧式軍隊)は放置され、賃金未払いなどが発生し、新式軍隊に対する不満が重なっていた。それと開化政策に不満を持つ大院君等の勢力が合わさり朝鮮の旧式軍隊が1882年明成皇后暗殺をもくろんだ(壬午軍乱)。 その際、多くの明成皇后派要人や日本人が殺され、日本大使館が焼き討ちにされたが、事件を察知した明成皇后は侍女を自らの身替りとしていち早く王宮を脱出し、当時朝鮮に駐屯していた袁世凱の力を借りて窮地を脱した。この軍乱を指揮したとして、大院君は清に連行され天津に幽閉された。高宗の嘆願、朝貢も効果なく、幽閉は3年間続き、帰国したのは駐箚朝鮮総理交渉通商事宜の袁世凱と共にであった。

1884年の開化派の金玉均(1894年、明成皇后の刺客、洪鐘宇により上海で暗殺)らの甲申政変により一時期政権を奪われるが、これも清軍の力を使って政権を取り戻し、開化派の政権は3日で崩壊した。

1885年になると、ロシアの南下政策を警戒しだしたイギリスなどを牽制するために親露政策もとりはじめる。1894年東学党の乱(甲午農民戦争)が起きると清軍と日本軍の介入を招き、日清戦争の原因と戦場になった。日清戦争後、勝者である日本側の推す大院君派の勢力が強くなり、明成皇后の勢力は力を失っていく。そのため明成皇后は、親露政策をさらに推し進めていき、7月6日にロシア軍の力を借りて権力の奪回に成功する。この一件後の反明成皇后派の不穏な動きを察し、反対派の武装解除等を行った。[4]

これらの動きは明成皇后に不満を持つ大院君や開化派勢力、日本などの諸外国に警戒され、1895年10月8日大院君を中心とした開化派武装組織によって景福宮にて殺害され、その遺体は朝鮮人武装組織により焼却し尽くされた(乙未事変[5]

朝鮮が親露に傾くことに危機感を持った公使・三浦梧楼も暗殺事件への嫌疑がかれられたため、日本は国際的に非難され三浦を含む容疑者を召還し裁判にかけたが、首謀と殺害に関して[6]は証拠不十分し免訴となり、釈放した。

死後、皇后としての称号を剥奪され、平民に降格された[7]ため、当初は東九陵の崇陵でなく崇陵前に埋葬された。大韓帝国成立後の1897年井上馨らの働きかけにより「明成」の諡号を贈られた[要出典]後、清涼里の洪陵に移され、さらには高宗没後は南楊州市の金谷銅に位置する洪陵に高宗と彼女の合葬陵として現在の洪陵[8]に移された。

[編集] 略伝と関連年表

明成皇后と関連の深い事項に関する年表を示す。

  • 1851年 閔致禄の娘として生まれる
  • 1863年
    • 12月 25代朝鮮王哲宗が32歳で死去。
    • 高宗即位 11歳であったため父 李昰応は興宣大院君として摂政職となる
  • 1866年 9月 王妃となる
  • 1868年 高宗が宮女李尚宮に長子(完和君)を生ませる
  • 1871年 明成皇后 男子出産、男子は数日後死亡
  • 1873年
    • 11月 高宗親政 大院君失脚(摂政の座を降りる)
    • 閔氏が政権を取る。大院君系列の人々は追放・流刑・処刑等で追放。
    • 閔氏一族の官吏30数名 高官に
    • 12月 明成皇后の宮殿に仕掛けられた爆弾が爆発
  • 1874年
    • 3月 男子出産(坧、後の純宗)
    • 完和君を世子とする大院君派と坧を世子とする明成皇后派で争い
    • 11月 閔氏一族の最高実力者領議政 義兄 閔升鎬宅に爆弾 彼と母子が爆死
  • 1875年
    • 8月 李裕元を世子冊封使として清へ 王世子(世継ぎ)として認められる(帰国 翌年1月)
    • 9月 江華島事件→日朝修好条規
    • 11月 大院君の兄 李最応の家に火が放たれる事件
  • 1876年
  • 1877年
    • 高宗第5男子平吉誕生(1891年義和君に封じられる)
  • 1880年 側室の李尚宮が急死 その子(高宗の長男)完和君も変死(明成皇后による暗殺説が濃厚)
  • 1882年
    • 1月 純宗 戴冠式
    •    閔一族の高官閔台鎬の娘が世子嬪(皇太子妃)と決まる(後の純明孝皇后閔氏)
    • 7月 壬午軍乱 明成皇后は侍女を囮にして昌徳宮から脱出し閔応植に匿われるが実甥 閔泳翊は重傷 閔台鎬(純宗の妃 純明皇后の父)、閔永穆等は殺害される。[9]日本公使館包囲、焼き討ち、堀本工兵少尉ら数十名が死傷、花房義質公使ら逃亡→済物浦条約
    • 8月26日 政敵 大院君 清へ連行
    • 8月30日済物浦条約
  • 1883年
    • 当五銭を発行
  • 1884年
    • 12月 甲申政変  日本軍、王宮を占領。 明成皇后失脚。
    • 明成皇后 袁世凱と清軍の助けで政権奪回。日本公使館焼失、居留民被害。(→漢城条約、天津条約
    • 金玉均朴泳孝徐載弼らは3日間で失脚 日本へ亡命(家族は服毒自殺、処刑等)
  • 1885年
    • 1月9日 日朝 漢城条約(日本:井上馨、朝鮮:金弘集)
    • 4月15日 巨文島事件
    • 4月18日 日清 天津条約(日本:伊藤博文、清:李鴻章)日清両軍の撤退
    • 朝露密約. 日本 清に大院君の帰還要請。明成皇后側 大院君帰国の通達に難色
    • 10月3日 大院君 清から帰国(仁川)
  • 1891年 玄洋社設立[10]
  • 1892年 高宗29年春 大院君爆殺計画失敗[11]
  • 1896年 明成皇后政権 金玉均暗殺の目的で地運永を日本に送る[12]が同年6月22日に朝鮮に送還。
  • 1894年
    • 3月28日 閔政権 上海に刺客 洪鐘宇を送り、開化派の金玉均を暗殺
    • 金玉均の遺体は清の軍艦咸靖により朝鮮に届けられた。遺体は六支の極刑(凌遅刑)。父は死刑、母は自殺、弟は獄死、妻の兪氏と娘は奴婢として売られる。
    • 5月31日 農民軍全州占領 清と日本が出兵(甲午農民戦争全州和約(6月))
    • 7月 日本軍が王宮包囲、開化派中心の政権成立 閔氏政権を倒すクーデター
    •  金弘集を中心とする政権 甲午改革
    • 閔一族 閔泳翊、閔台鎬、閔泳穆、趙寧夏、趙寧夏が殺される
    • 8月1日 日清戦争宣戦布告
  • 1895年
    • 3月30日 日清休戦条約
    • 4月17日 下関条約
    • 5月4日 三国干渉受諾(明成皇后 親露政策へ)
    • 7月6日 明成皇后、ロシア公使ウェバーとロシア軍の力を借りてクーデターに成功 [4]
    • 7月10日 明成皇后に関する謀議の風説の報告[4]
    •  朴泳孝は明成皇后殺害計画を謀議したとされと京城を脱出、釜山経由で亡命
    • 9月1日 三浦梧楼、朝鮮国駐箚公使として着任
    • 10月7日 明成皇后派政権 訓練隊の解散と武装解除を通告
    • 10月8日 明成皇后殺害。死体は午前8時30分頃確認され、焼却。(乙未事変[13]
    • 10月10日 大院君の提言で 身分を剥奪され平民となる[14]
    • 10月11日 王太子上訴で廃庶人閔氏に嬪を与える。[15]
    • 10月15日 同復儀 22日→成服[16] 
    • 10月17日 三浦公使 解任 召還(18日)。→朝鮮国駐箚小村寿太郎弁理公使 
    • 10月19日 朝鮮王朝 明成皇后殺害で李周会、尹錫禹、朴鉄及び一族を処刑(李周会の妻子は田舎に身を隠す。高等裁判所裁判長 張博)
    • 10月27日 15歳から20歳までの妃の選抜(揀擇)の公示[17]
    • 11月26日 明成皇后を平民とした詔勅の取り消し→王后閔氏に[18]
趙羲淵 李周會 権鎮 免官
  • 1896年
    • 1月20日 三浦梧楼以下48名 証拠不十分にて免訴(広島地方裁判所)[20]
    • 怪文書「各大臣が日本兵と共謀して謀反、国王を退位させようと計画。ロシア公使館に逃げて加害を免れたし」が高宗に届く[21]
    • 2月 ロシア軍王宮突入 高宗、世子ロシア露国公使館へ(露館播遷
    • 明成皇后殺害事件史料で特赦された 禹範善 李斗鎬 李範来 李軫鎬 趙羲淵 権濚鎭等の処刑の勅令[21]
    • 5月11日 朝鮮国ニ渡航禁止ノ件[22]
    • 7月 27日 成嬪
  • 1897年 明成皇后の諡号を受ける
    • 尚宮嚴氏生下高宗第7子英親王李垠
    • 10月28日 下玄宮・返虞[8]
  • 1903年
    • 11月24日 禹範善、純宗の放った刺客 高永根、魯允明によって広島県呉市で暗殺される

[編集] 関連の話題

明成皇后を題材とした角田房子の小説[23]「閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母」およびKBSのドラマ「明成皇后」などにより、一部史実とは異なったことが一般では信じられている部分もある。

彼女の生涯をドラマ化したKBSの「明成皇后」が話題になり、関心が高まった。

2003年、従来は彼女のものとされていた肖像写真について、朝鮮王宮の女官を写したものではないかとする論説が発表されたり、彼女を名誉誹謗したとして罰金刑(罪名『死者に対する名誉毀損』)がソウル高等裁判所から作家金完燮に下されたりしたことは話題になった。

檜山良昭は事件当時景福宮にいた日本軍将校(日本で三浦とともに裁判にかけられて無罪となる)の一太刀が直接の死因となったとする推理作品を発表している(「閔妃殺人事件」 - 中央公論社の「ポンパドール伯爵夫人殺人事件」に収録)。

2001年出版の韓国金辰明著「皇太子拉致事件」でも暗殺事件が取り上げられている。ここでは残虐非道な日本人が妃を「死姦」したと記述し、根拠として小説家角田(参考文献)から示された石塚栄蔵報告書をもとに実話であるとしているが、詳細な資料検討の結果、フィクションであることが判明している[24]

[編集] 幾つかの誤りと誤解

秘密外交文書電報435号
空想小説『皇太子妃拉致事件』に出てくる架空の文書。ここには明成皇后暗殺の詳細が記載されているとしている。具体的には『日本の浪人が明成皇后の死体を屍姦し、死体を焼いて証拠隠滅した』という内容があるとされている。参考までに電報第 435 号(極秘扱)は「中山書記官より広田外務大臣宛電報」(昭和8年10月14日、『日本外交文書』昭和期II、第1部第2巻、69 頁)である。[25]
角田房子の示す明成皇后の写真と説明
「日本人写真師・村上天真撮影の閔妃といわれる写真」
「王宮の多くの官女のうち、明成皇后とおぼしき女性を的確に捕えたのは、まさに写真によってである。」(『韓国写真史』姜相圭、蛍雪出版社参照、参考文献 327ページ)
脚注及び外部リンク『明成皇后の写真はなかった』を参照。

[編集] 参考文献

  • 「朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期」講談社学術文庫(著者:Isabella L. Bird、翻訳:時岡敬子、講談社)ISBN 4061593404
  • 近世朝鮮史 (著者:林泰輔、早稲田大学出版部 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
  • 「閔妃暗殺―朝鮮王朝末期の国母」(著者:角田房子、新潮社)ISBN 4101308047
  • 「明治100年叢書 288巻 日韓外交史料5 韓国王妃殺害事件」 (編集:市川正明、原書房)
  • [有馬頼寧関係文書目録] 国立国会図書館専門資料部 (1989/01) ASIN: 4875822294
  • 「朝鮮旅行記」 『1895―1896年の南朝鮮旅行』の章 (著者:ロシア参謀本部中佐カルネイェフ、編集:ゲ・デ・チャガイ、翻訳:井上紘一、平凡社)  ISBN 4582805477
  • 「朝鮮王妃事件関係資料」 国会図書館憲政資料室 (編集 憲政史編纂会) マイクロフイルム 整理番号546
  • 「法制局参事官石塚英蔵傭聘ニ付朝鮮政府ヨリ依頼ノ件」朝鮮問題5(公信類) 陸奥宗光関係文書 国会図書館憲政資料室 資料番号 77-2
  • 「新聞集成明治編年史 第九巻 日清戦争」(編集:新聞集成明治編年史編纂會、出版:財政経濟学会) 昭和33年
  • 「梅泉野録 近代朝鮮誌・韓末人間群像」(著者:黄玹、翻訳:朴尚得、国書刊行会) ISBN 4336031584
  • 「訳注梅泉野錄」(著者:黄玹、翻訳:朴尚得、文学と知性社 全3巻) ISBN 89-320-1565-1 94900 89-320-1563-5 ( mun-hak-kwa ji-seong-sa)
  • The tragedy of Korea''(著者:Frederick Arthur Mackenzie、出版:London, Hodder and Stoughton 1908) LC Call Num: DS916 .M2.
    • 日本語訳 『朝鮮の悲劇』(訳注:渡部学、東洋文庫 222 平凡社)ISBN 4-256-80222-3.
  • 「武田範之とその時代」(著者:滝沢誠、三嶺書房) ISBN 491490649X
  • 「近代外交回顧録(第5巻) 近代未刊史料叢書 (5)」(著者:広瀬順晧、ゆまに書房) ISBN 4897149908
  • 「閔妃は誰に殺されたのか 見えざる日露戦争の序曲」(著者:崔文衡、彩流社) ISBN 4882028786

[編集] 脚注

  1. ^ 本貫は、驪興閔氏。KBSのドラマでは紫英ともされているが、明確な資料に基づいたものではない。本来は、閔妃とは閔氏の王妃という意味であり、固有名詞ではないが、近代朝鮮史で「閔妃」と言えば、この高宗の妃を一般に意味する。
  2. ^ 光武六年三月七日 韓国官報2141号 宮廷録事 GK17289_00I0079
  3. ^ 高宗太皇帝明成太皇后祔廟主監儀軌 請求記号2-2218 1921年 http://e-kyujanggak.snu.ac.kr
  4. ^ a b c アジア資料センター レファレンス コード:B03050001800
  5. ^ 朝鮮王国1895年(開国504年)11月14日(旧暦)官報号外「裁判宣告書」には、朴銑、李周會、尹錫禹の3名が明成皇后殺害の謀反罪によって絞首刑の判決が下っている。これは、被告等の供述と金召史の告発、対質陳供、李甲淳、金明濟、李敏宏の供述を証拠としている。高等裁判所裁判長は張博、豫備判事は鄭寅興、判事は洪鍾檍、書記は李徽善。
    アジア歴史資料センター、GK17289_00I0006韓国官報 資料請求番号 奎17289 GK17289_00I0006 開國五百年十一月十四日  號外 1. 裁判宣告書
  6. ^ 日韓外交史料 第五巻 韓国王妃殺害事件 市川正明編 原書房刊 文書番号353
  7. ^ (高宗実録 巻33 『高宗実録 乙未(三十二)年八月二十二日』)
  8. ^ a b 明成皇后殯殿魂殿都監儀軌 奎章閣 Ref. 奎 13890-1-3
  9. ^ 承政院日記高宗 19年 9月 22日前後にはその後の上訴等が記載
  10. ^ 梶川光・藤勝顕らが暗殺事件に参加したとされる。
  11. ^ 梅泉野録には明成皇后によると記述。 『大院君邸内火薬爆発ノ件』アジア歴史資料センター Ref.A04010006500には爆薬による爆殺計画と記載
  12. ^ 4.金玉均本邦退去ノ件/1 明治19年5月29日から明治19年7月26日(韓国亡命者金玉均ノ動静関係雑件(京城説伝) 第二巻)アジア歴史資料センター レファレンスコード B03030201100
  13. ^ 『高宗実録 乙未(三十二)年8月20日』
  14. ^ 『高宗実録 乙未(三十二)年8月22日』 廃王后閔氏為庶人。韓国官報号外も参照。開國五百四年八月二十二日號外 朕이臨御지三十二年에治化가普洽지못中에王后閔氏가其親黨을援引야朕의左右에布寘고朕의聰明을壅蔽야人民을剝割며朕의政令을濁亂야官爵을鬻賣야貪虐이地方에遍盜賊이四起야宗社가岌岌히危殆니朕이其惡의極믈知호是罰치못믄朕의不明이나亦其黨與顧忌미러니朕이是壓抑기爲야上年十二月에宗廟에誓吿야曰后嬪宗戚이國政에干涉믈許치아니다야閔氏의改悟믈冀호閔氏가舊惡을悛치아니고其黨與及群小輩濳相引進야朕의動靜을察고國務大臣의引接을防遏며又朕의國兵을解散다朕의旨矯야亂을激起고事變이出朕을離고其身을避야壬午往事蹈襲고訪求야도出現치아니니是王后의爵德에稱치못더러其罪惡이貫盈야可히先王宗廟承치못질朕이得已치못야朕家故事謹倣야王后閔氏廢야庶人을삼노라
    勅 宮內府大臣 李 載 冕 內閣總理大臣 金弘 集 外部大臣 金允植 內部大臣 朴定陽 度支部大臣 沈相薰 軍部大臣趙羲淵 法部大臣 徐光範 學部大臣臨時署理 徐 光 範 農商工部大臣署理 鄭 秉 夏
  15. ^ 韓国官報 号外 開国504年8月23日 にも同じ記載。
  16. ^ ソウル大学韓国学研究院 奎章閣 Ref. 奎 13885-1-3 明成皇后殯殿魂殿都監儀軌 殯殿都監(朝鮮)編
  17. ^ 韓国官報 開國五百四年九月八日 号外 GK17289_00I0004 本月七日에 宮內府大臣이揀擇節次取稟야十五歲로二十歲에至處女捧單라시聖旨奉홈
  18. ^ 開国504年10月10日 官報号外 Ref. GK17289_00I0005 GK17289_00I0005 詔勅 王后閔氏の其位号を復す。本年八月二十二日詔勅の取り消し。
  19. ^ 韓国王露公使館ヘ播遷関係一件 公文雑纂・明治二十九年・第九巻・外務省一・外務省一 朝鮮京城事変ノ顛末ニ関シ小村弁理公使ヨリ報告ノ件 アジア歴史資料センター レファレンスコード  A04010020500 5画像目/23画像
  20. ^ a b 新聞集成 明治編年史 第九巻 日清戦争期 時事 1986年1月23日記事
  21. ^ a b アジア資料センターレファレンス コード:B03050313400
  22. ^ 明治29年勅令第204号
    1. 文武官其ノ他官庁ノ命ニ依ル者ノ外日本臣民ハ管轄地方庁ノ許可ナクシテ朝鮮国ニ渡航スルコトヲ禁ス犯ス者ハ一月以上一年以下ノ重禁錮ニ処シ二十円以上二百円以下ノ罰金ヲ附加ス
    2.  本令ハ発布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
    明治29年5月11日に公布即日施行
  23. ^ ノンフィクションという分類に入れる人もあるがフィクションの歴史小説であるという評価の人もいる。例えば、角田の本の表紙にある「「日本人写真師・村上天真撮影の閔妃といわれる写真」は明らかに誤りで、宮中の女官の写真であり、婚礼においてクンモリで臨んだ記述にも誤りがある。詳細な資料収集には優れるが、同一事項に対して複数の資料収集を行い、それらを相互比較し、資料の真偽の判定等を学術的に行うことをしていないとの批判もある。特に閔妃殺害事件の首謀者、実行犯に関しては、角田が出した結論とは矛盾する資料も数多くあり、角田の結論は1つの仮説の1つであるという指摘もある。
  24. ^ 根拠 国立国会図書館憲政資料室蔵 憲政史編纂会収集文書 外交問題主要事件資料 546 朝鮮王妃事件関係資料 546-1 標題:"石塚英蔵書簡、法制局長官末松謙澄宛" マイクロフィルム
  25. ^ 韓国人の日本偽史(野平俊水)小学館 ISBN 4094027165

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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