甲午改革
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甲午改革 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 갑오개혁 |
漢字: | 甲午改革 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
こうごかいかく |
片仮名: (現地語読み仮名) |
カボゲヒョク |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
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甲午改革(こうごかいかく)は李氏朝鮮の高宗の時代に行われた一連の全面的な改革のこと。 甲午農民戦争を受けて1894年(干支で甲午)に始まり、1896年に終わった。この改革における日本の影響と、朝鮮の近代化に与えた影響の程度について、歴史家の間で議論が続いている。
甲午改革は日本の明治維新に似ており、次のような強烈な改革をもたらした。
- 朝鮮は主権国となる。清との宗属関係を廃止し、完全に独立する。
- 国王は単独で(両班によらず)施政を行う。
- 才能ある者は教育の機会を与えられる。
- 軍隊は素性によらず、徴兵によって築かれる。
- 人材は門地によらず実力登用とする。
- 革の加工とそれに関わるものは賎業とは見なされない。
- 奴隷制及び身分制の廃止。
当時、李氏朝鮮の支配はロシア帝国、日本、アメリカ合衆国といった朝鮮への影響力を競う外部からの開国、改革、近代化といった強い圧力にさらされていた。甲午改革は主として、親日派官僚集団によって行われた。