開化派
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開化派 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 개화파 |
漢字: | 開化派 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
かいかは |
片仮名: (現地語読み仮名) |
ケファパ |
ラテン文字転写: | |
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開化派(かいかは、韓:개화파、ケファパ)は李氏朝鮮末期の政治グループ。別称独立党。
明治維新などの影響を受けて1870年代に朝鮮宮廷内の青年貴族官僚(両班)を中心に形成され、日本と結んで朝鮮の清からの自主独立と近代化をめざした。1882年の壬午軍乱以後、清と結ぶ保守的な事大党と対立し、1884年、金玉均・朴泳孝らが中心となり日本の援助で甲申政変を起こし政権を握ったが、清の介入で3日で失敗し金玉均・朴泳孝らは日本に亡命した。1894年の日清戦争時に親日政権に参加し再び政権を握ったが、1895年親露派に追われた。