門松
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門松(かどまつ)とは、正月に家の門の前などに立てられる一対になった松や竹の飾りのこと。松飾りとも。古くは、木のこずえに神が宿ると考えられていたことから、門松は年神を家に迎え入れるための依代という意味合いがある。地域の言い伝えにより松を使わない所もある。
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[編集] 飾り付け
現在の門松は中心の竹が目立つが、その本体は名前で解るとおり松である。 もと、平安の貴族達が好んだ小松引きと言う行事で持ち帰った「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣から変遷したもので、現在も関西の旧家などでは門松の代わりに、玄関の両側に白い和紙で包んだ根が付いたままの小松(松の折枝は略式)が飾られているのはその流れを汲むものである。
地方により門松の様式に差がある。関西では3本組の竹を中心に、前面に葉牡丹(紅白)後方に長めの若松を添え、下部を竹で巻く。豪華になると梅老木や南天、熊笹やユズリハなどを添える。関東では、3本組の竹を中心に、周囲に短めの若松を配置し、下部をわらで巻くという形態が多い。
竹の先端部の形状は、斜めに切った「そぎ」と、真横に切った「寸胴(ずんどう)」の2種類がある。 「そぎ」は徳川家康が始めたもので、徳川家康の生涯唯一の敗北として知られる「三方ヶ原の戦い」(1572年)のあと、対戦相手の武田信玄に対して、次は斬るぞという念を込めたのが始まりという俗説がある。 実際は武家が昔ながらの寸胴、庶民がそこから発展させた派手なそぎを好んだのが基らしい。
[編集] 設置期間
12月の10日ごろに、山から松の木(枝)を取ってくる「松迎え」をおこなう。これで、山から歳神様(歳徳神)を家に迎えるという説もある。
早いところでは20日ごろから飾る。しかし、現代ではクリスマスなどのイベントもあるため、25日以降に設置される場合が多い。12月29日に飾るのは「二重苦」、また9の末日でもあるので「苦待つ」に通じ、12月31日に飾るのは「一日飾り」といって神をおろそかにするということから、12月28日までに飾るか12月30日に飾るのが良い、とされている。 飾る期間は、1月6日の夕方に片付けて、翌1月7日の「七日正月」を併せて7日までを「松の内」と呼ぶことが多いが、地域により1月15日の小正月まで飾るなど、さまざまである。
[編集] 入手
生花店やホームセンター、造園業や工務店などで作られ、設置・撤去まで一括でおこなうサービスもある。 これらのサービスでは、1対あたり1万~5万円が相場であることが多い。(本式になるほどさらに値が張る) ちなみに、生花を利用するので、翌年に使い回しはできない。
[編集] 現況
自然破壊や、設置期間の終了後にゴミになるなど環境問題などの関係や、藁など材料の入手難、集合住宅の発達など社会環境の変化などからか、画像の様な本格的な門松が設置されることは少なくなった。
また、一般家庭用に小さな寄せ植え風の門松などが年末に店頭に並ぶようになったため、このタイプの門松を置く場合がある。さらに省略版として、枝振りのいい若松に、紅白や金銀の水引を蝶結びにし、門柱などに付ける方法もあり、手軽なことから多く使われる。
商店でも、現状では1月2日に初売りを行う場合が多いためか、本格的な門松が置かれるのは大型百貨店やパチンコ店など一部の業種か、正月は無人に近くなる都心のオフィスビルなどに限られることが多い。スーパーマーケットなど多くの商店では「賀正」「謹賀新年」といった語と、新年のあいさつ文、門松や鶴、亀、日の出などの絵を印刷したポスターを張って済まされることが多い。元日も営業する場合、ポスターの貼付も省略されることもある。
[編集] 和歌
「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」の歌は一休の作とされているが、一休と親交のあった遊女、地獄大夫が一休のために詠んだものとの説もある。
[編集] 起源説等
新年に松を家に持ち帰る習慣は平安時代に中国から伝わり、室町時代に現在のように玄関の飾りとする様式が決まったという説がある。