金允植
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金允植 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김윤식 |
漢字: | 金允植 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
きん・いんしょく |
片仮名: (現地語読み仮名) |
キム・ユンシク |
ラテン文字転写: | Kim Yoon-sik |
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金允植(キム・ユンシク、1835年 - 1922年)は、19世紀から20世紀前半にかけての、朝鮮の政治家・思想家。本貫は清風金氏、字は洵卿(スンギョン、순경)、号は雲養(ウニャン、운양)で、ソウル出身。文集に『雲養集』、『天津談草』、『陰晴史』、『壬甲零稿』などがある。
甲申政変の時に袁世凱の援軍で開化派をとり除いた。甲午改革の金弘集内閣の外務大臣だった。1896年露館播遷の時に乙未事変を座視したという理由で済州島に配せられたが1907年赦免を受けた。
日韓併合に協力して、併合後に政府から子爵(朝鮮貴族)を授けられるが、3.1独立運動の時に韓国独立請願書を日本政府と朝鮮総督府に提出して、弾圧後に幽閉、爵位を剥奪された。大宗教(檀君を神と思う宗教)の教主である羅喆を援助して大宗教の教徒になった。
[編集] 肖像
日韓併合に対する功績のためか、1915年以後発行された朝鮮の紙幣であった朝鮮銀行券は、金允植をモデルとしたものといわれている寿老人の肖像が入るようになった。(異説あり)この紙幣は日本による植民地支配が終焉を迎えた後もしばらく有効であった。