貞永方久
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貞永 方久(さだなが まさひさ、1931年9月22日 - )は日本の映画監督。
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[編集] 来歴
敗戦と同時に無一文のまま日本に引き上げ、戦後の動乱を身いっぱいに受けて育つ。
大分県立別府鶴見丘高等学校から九州大学法学部を1956年に卒業。
大学時代は演劇活動に熱中し、木下惠介、黒澤明らを通じて日本映画に強い関心を抱いており、卒業後、松竹京都撮影所演出部に入社。大曾根辰保、五所平之助、篠田正浩、野村芳太郎の作品の助監督を務めた。1961年からはテレビのドキュメンタリー番組の演出も手がけ始めた。1965年、京都撮影所の閉鎖に伴い大船に移籍。1968年、助監督職のまま山根成之との共同監督で、原田芳雄主演のハードボイルド作品「復讐の歌が聞える」で監督デビュー。1971年9月、「黒の斜面」で監督に昇進。その後も「嫉妬」(1971年)「影の爪」(1972年)「夜が崩れた」(1978年)と、女の情念を描いたサスペンス・ドラマを得意とし、その一方で「流れの譜」(1974年)「海嶺」(1983年)「良寛」(1997年)などの大作も手がけた。
テレビ映画の演出も多数あり、『ジョン万次郎』(1968年)、『坊っちゃん』(1970年、ともに日本テレビ)は原作をほとんど生かして撮影し自信作とする。他に『はやと』(毎日放送、1969年)などがあるが、特にABCテレビの「必殺シリーズ」では第2作『必殺仕置人』から参加した。松竹での劇場版「必殺仕掛人 春雪仕掛針」(1974年)、「必殺! THE HISSATSU」(1984年)、完結作「必殺! 主水死す」(1996年)でもメガホンをとった。
[編集] 代表作
[編集] 映画
- 復讐の歌が聞える(1968年)
- 黒の斜面(1971年)
- 嫉妬(1971年)
- 影の爪(1972年)
- 必殺仕掛人 春雪仕掛針(1974年)
- 流れの譜/第一部・動乱、第二部・夜明け(1974年)
- メス(1974年)
- 球形の荒野(1975年)
- 童貞(1975年)
- 超高層ホテル殺人事件(1976年)
- 錆びた炎(1977年)
- 夜が崩れた(1978年)
- 奥州安達原(1979年)
- 海嶺(1983年)
- 必殺! THE HISSATSU(1984年)
- 必殺! 主水死す(1996年)
- 良寛(1997年)
[編集] オリジナルビデオ
- あばよ白書(1995年)
- 仁義4(1995年)
- 仁義5 関東頂上決戦(1995年)
[編集] テレビ
- ジョン万次郎(日本テレビ、1968年)
- はやと(毎日放送、1969年)
- 坊っちゃん(日本テレビ、1970年)
- 家族日誌(TBS、金曜ドラマ第1作。1972年)
- 必殺シリーズ(ABC、1973年-1987年)
- 大空港(フジテレビ、1978年-1979年)
- 赤かぶ検事奮戦記(第2シリーズ)(ABC、1981年)
- 迷宮課刑事おみやさん(ABC、1985年)
- 大忠臣蔵(テレビ東京開局25周年記念新春12時間時代劇、1989年)
- 天下の副将軍水戸光圀 徳川御三家の激闘(テレビ東京新春12時間時代劇、1992年)
- 編笠十兵衛(テレビ東京、1997年)