詰め込み教育
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詰め込み教育(つめこみきょういく)とは、機械暗記による知識量の増大を目指す教育方法。
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[編集] 概要
詰め込み教育は、試験の点数は上がる反面、児童・生徒の学習の動機付けに欠ける短所があると、一般には言われている。
普通教育の最終目標が、大学入学試験突破にあった日本では、少なくとも1970年代までは、この教育方法が一般的であった。だが詰め込み教育の一番の問題として、「テスト過ぎたらすべて忘れる」といった成績のための暗記が一般的になったことがある。また、膨大な量の知識だけをひたすらに暗記させた結果、「なぜ、そうなるのか」といった単純な疑問や創造力が欠如してしまう点も問題である。
詰め込み教育の詰め込みと並行した大学入試の競争激化により、受験者を振り落とすための難問・悪問が入試試験において頻出した。「学校の勉強は社会では役に立たない」と21世紀になってもいわれ続けている事にはこういう背景がある。
1980年代以降、詰め込み教育の短所に対する反省から、児童・生徒の学習の動機付けに重点を置くゆとり教育が導入された。しかし、「ゆとり教育」政策導入後しばらくして(明確な証明は為されていないながら)「ゆとり教育は学力低下を招く」という世論が力を増し、文部科学省は「ゆとりの教育」の見直しを検討するに至った。
[編集] 詰め込み教育への評価
元東京大学の教授で、「超勉強法」などを執筆した野口悠紀雄は、ゆとり教育を批判し、詰め込み教育の必要性を訴えている。ただし、野口悠紀雄は経済学者で、教育学についての専門的知識・学問的業績はなく、あくまで自身や東大生たちの受験経験と、効率論を踏まえた自論である。
野口の論ずるところによると、土台となる基礎的知識の少ない小中学生に対して、「自由に創造しなさい」と指導しても、多くの生徒にとっては困惑する場合が多く、その結果も成熟度のない未熟なものにしかなり得ないと説いている。この事は特に、小中学校の教育において、顕著になるとされる。
たとえば、音楽の素養のない生徒に対して、いきなり自由に作曲させるのではなく、ある程度の音楽的な知識と、ピアノの基礎を学ばせる事が必要なのと同じである。これは「ゆとり教育」を完全否定しているのではなく、高校の生徒や大学・大学院の学生にこそ「ゆとり教育」が必要であることを示している。
[編集] 弊害
この教育の結果、前述のように「テストを過ぎたらすべて忘れる」等の問題点の他、詰め込み教育の結果「四当五落」「一浪は当たり前」と言われるほどの受験戦争になり、その結果として勉強についていけない児童・生徒が増加し、いじめ、校内暴力、非行、体罰、落ちこぼれなどの問題が発生し、学校問題レベルではなく、社会問題となるほどの課題となったと言われている。