親父の一番長い日
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親父の一番長い日 | ||
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さだまさし の シングル | ||
リリース | 1979年10月12日 | |
ジャンル | ニューミュージック | |
時間 | 21分13秒 | |
レーベル | フリーフライト | |
チャート最高順位 | ||
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さだまさし 年表 | ||
関白宣言 (1979年) |
親父の一番長い日 (1979年) |
道化師のソネット (1980年) |
「親父の一番長い日」(おやじのいちばんながいひ)は、シンガーソングライターさだまさしが1979年10月12日に発表したシングルである。
目次 |
[編集] 解説
[編集] 親父の一番長い日
「親父の一番長い日」は1978年の軽井沢音楽祭のために制作された楽曲である。ライナーノーツによると、「今迄になかったものを作ろうと」山本直純と3ヶ月間密かに打ち合わせを重ねて制作されたという。
一人の女性の誕生から結婚に至る人生と、娘の成長に一喜一憂する父親の姿が女性の兄の視点から描かれている。 佐田家がモデルとなっており、さだが妹の玲子をモデルに制作した一連の楽曲(「雨やどり」、「秋桜」等)の大集成ともいえるものである。 あまりにリアルに描かれているため、玲子が本当に結婚したと勘違いされることも多かったという(現実の玲子は2008年5月現在1度も結婚していない)。
シングルに収録されているテイクは1979年8月28日に歌舞伎座で演奏された際のライヴ収録である。シングル盤の発売日である10月12日がさだの父親の誕生日であり、ライナーノーツには父親に対する献辞がある。
「親父の一番長い日」は前作「関白宣言」から引き続き、2作連続、通算3作目となるオリコンシングルチャートで1位を記録した。この後もさだは何作もヒット曲を生み出したが、オリコンチャートで1位になったシングルは2008年5月時点で本作が最後である。A面曲の演奏時間12分30秒は、長らく同チャートの1位作品としては最長であった。この記録は2001年5月14日付でN.M.L.の「ZERO LANDMINE」(18分27秒)が1位になることにより塗り替えられ、現在は2位の記録である。
ポピュラー楽曲としては異例の演奏時間の長さから(カップリング曲の「椎の実のママへ」も8分43秒とかなり長い)ため、日本初の12インチ・シングル盤として発売された。当時日本では前例のない形態のレコードであったため、ラジオ番組等で流す際に回転数を間違える(LPと間違えて33回転で再生される)放送事故がしばしば発生した。
1980年公開の映画『関白宣言』にはこの曲の歌詞を再現したシーンもある。
[編集] 椎の実のママへ
「椎の実のママへ」はさだの叔母(母親の妹)に当たる女性の生涯を描いた楽曲であり、叔母への哀悼歌である。彼女は離婚後に故郷の長崎で「椎の実」という名前のスナックを経営しており、それがタイトルの由来となっている。彼女の息子(さだの従兄弟)の水難事故死が、さだが「精霊流し」を制作したきっかけとなっていた。その事実が歌詩中にも触れられている(同時に「精霊流し」のイントロから冒頭にかけてのメロディが挿入される)。さだにとってあまりにも重いテーマの楽曲であるため、さだはコンサートでは決してこの曲を歌おうとしなかったが、デビュー20周年コンサートでその封印を解きレコーディング以来14年ぶりの歌唱を行った。その際オリジナルの歌詩の一部に史実に反する箇所があったとして歌詩を修正している。シングル盤の歌詩では漢口の「大使館」と歌われていたが、当時漢口には大使館はなくあったのは日本領事館であったため「領事館」に改められた。
レコーディングはさだ1人の演奏による弾き語りの形式で行われた。
ライナーノーツにはさだの母親に対する献辞がある。
さだの自伝的小説『精霊流し』を原作とするドラマおよび映画においても、この叔母をモデルとするキャラクターが重要人物として描かれる。
[編集] 収録曲
[編集] Side - A
「親父の一番長い日」(作詩[1]・作曲:さだまさし、編曲:山本直純)
[編集] Side - B
「椎の実のママへ」(作詩・作曲・編曲:さだまさし)
[編集] 脚注
- ^ さだの作品はすべて作詞ではなく「作詩」とクレジットされているので誤記ではない。
オリコン週間シングルチャート第1位 1979年10月29日付~1979年12月3日付(6週連続) |
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前作: 桑名正博 『セクシャルバイオレットNo.1』 |
さだまさし 『親父の一番長い日』 |
次作: 久保田早紀 『異邦人』 |