西原春夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西原 春夫(にしはら はるお、1928年3月13日 - )は、日本の法学者。専門は刑法。東京都出身。
目次 |
[編集] 略歴・人物
東京都出身。旧制成蹊高等学校を経て、1951年に早稲田大学第一法学部を卒業。齊藤金作に師事し、1956年に同大学大学院法学研究科博士課程を修了する。その後、同大学の助手・講師・助教授を経て、1967年に同大学教授となる。1972年~1976年までは同大学法学部長を務め、1982年に同大学総長となる。総長就任後は、日本私立大学団体連合会会長(1988年~1992年)や文部省大学設置・学校法人審議会会長(1991年~1993年)を兼任し、私学の顔として活動した。1990年に早稲田大学総長を退任。1998年からは学校法人国士舘の理事長の職にあたり、2005年からは名誉顧問に就任。
草野豹一郎(大審院判事)・齊藤金作と続く、早稲田刑法学の継承者として学究活動を行う。間接正犯の研究を行った後、高度成長期の新旧過失論争に際しては、藤木英雄らと共に新過失論を展開した(藤木・板倉宏はその後、新・新過失論を提唱するに至る)。なかでも、信頼の原則を日本で初めて紹介し、交通事犯における過失論研究の第一人者となった。早稲田刑法学の独自色たる共犯論の分野においては、師の草野・齊藤と同様、共同意思主体説を提唱した。 因みに弟弟子に当たる人物として、早稲田大学法学部教授の曽根威彦がおり、早稲田大学の大学院博士前期課程在籍中の1969年に恩師である齊藤金作が死去した為、西原にも兄事していた。
また、学究活動の一方で、早稲田大学総長や日本私立大学団体連合会会長等、学内外の行政活動においても活躍した。取り分け、西原が総長を務めた当時(80年代)の早稲田大学は、折からの私学ブーム(共通一次試験の導入と、ラグビーブームが有力私立大学の隆盛をもたらした)も手伝って、絶頂期を迎えた。受験志願者数で圧倒的優位を占めた他、政治経済学部の受験偏差値が東京大学に並んだのもこの頃であった(勿論、受験科目数などが異なるので単純比較は出来ない。あくまで当時のメディアの論調である)。実社会においても、上場企業の役員を最も多く輩出したり(90年代に入って、慶應義塾大学に逆転される)、時の政界の最大派閥(経世会)を牛耳ったりと、その勢いたるやフィクサーかの如く凄まじいものがあった。
早稲田大学社会科学部教授(専門は比較憲法学)の西原博史は、実子である。
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『間接正犯の理論』(成文堂 1962年)
- 『刑事法研究 全2巻』(成文堂 1967年)
- 『交通事故と信頼の原則』(成文堂 1969年)
- 『犯罪各論』(筑摩書房 1974年)
- 『交通事故と過失の認定』(成文堂 1975年)
- 『刑法総論』(成文堂 1977年)
- 『刑法の根底にあるもの』(一粒社 1979年)
- 『法律学を学ぶ意義』(成文堂 1986年)
- 『道しるべ』(講談社 1988年)
- 『早稲田の杜よ永遠に』(小学館 1995年)
- 『犯罪実行行為論』(成文堂 1998年)
[編集] 共編著
- 『刑事政策講座 全3巻』(成文堂 1971年 - 1972年)
- 『刑法を学ぶ』(有斐閣 1973年)
- 『刑法200題』(有斐閣 1974年)
- 『刑法学 全6巻』(有斐閣 1977年 - 1978年)
- 『現代刑法講座 全5巻』(成文堂 1977年 - 1982年)
- 『判例刑法研究 全8巻』(有斐閣 1980年 - 1983年)
[編集] 門下生
|
|
|