行田のフライ
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行田のフライ(ぎょうだのフライ)は、埼玉県行田市の「名物料理」。
行田市の地元住民は単純に「フライ」と言うとこの「行田のフライ」のことを指す。なお、行田の名物料理には「ゼリーフライ」というものがあるが、これは「フライ」とは全くの別物である。
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[編集] 概要
お好み焼きとクレープの中間の食べ物と形容される。油で揚げることはない。
お好み焼きよりも緩めに水で溶いた小麦粉を鉄板の上で薄く伸ばし、店舗によっても異なるが豚肉や長葱、干海老、切りいかなどお好み焼きの材料に近いものを載せて焼く。黄身を崩した目玉焼き状の玉子が入る場合もある。その一方で、お好み焼きでは必須であるキャベツは入らない(一部店舗に例外あり)。焼き上がりにウスターソースか醤油を表面に塗り、青海苔を振りかける。当初は焼く時にフライパンを用いたため「フライ」と呼んでいた。どちらかといえば軽食やおやつ感覚の食べ物である。
また、フライと共に焼きそばがメニューに存在する店も多く、セットメニューになっている店も多い。また、フライ単体で300円前後、焼きそばを追加しても500円~600円前後と安価なのも特徴である(※大きさが『並』、フライは玉子無しの場合)。なお、この焼きそばについては店によって盛りつけ方が異なり、大きく大別しても、別々の皿で出す所、フライと同じ皿に盛る所、焼いたフライをピザのカルツォーネ様に二つ折りにしてその間に焼きそばを挟み込む所、と様々である。
[編集] 由来
古くは、埼玉県の県北地域で「たらし焼き」、「水焼き」などと呼ばれていた、農家の子供達が鍋や小麦粉を持ち寄っておやつとして食べたものである。味付けにはソースは用いず醤油を塗った。通常は小麦粉を水で溶いただけの物だが、長葱を入れる場合もあった。砂糖を入れてホットケーキのようにすることもあった。
「フライ」の命名者は行田市天満の古沢商店の初代店主といわれている(現店主の母親、故人)。初代店主が1925年(大正14年)に近くの足袋工場で働く女性工員に、休憩時のおやつとして出し始めたのがきっかけ。当時はフライ焼きと呼ばれていた。手ごろな値段で手軽に食べられてなおかつ腹持ちがよいことからファーストフードとして親しまれ、多くはこれら女工たちの手を経て地元家庭や市内飲食店に広まって行ったとされる。その際、広まっていく間に「フライ焼き」から「フライ」へと名前が省略された。
行田市の足袋工業の発展と共に広まっていったことから、布が来ると書いて「布来(フライ)」、足袋工業の発展が富をもたらしたとして、富が来ると書いて「富来(フライ)」などと当て字をすることがある。
[編集] 現在のフライ
現在では行田市とその周辺地域(例えば隣接する熊谷市でも名物の一つして「フライ」を挙げている)に50件以上もの「フライ屋」があるほど、地元住民にはなじみの料理である。
森田信吾のグルメ漫画「駅前の歩き方」でも紹介され、その他テレビの情報番組でも度々取り上げられるなどしており、現在では行田市にとっては忍城跡とならぶ観光資源の一つとなっている。この為、行田市観光協会がフライを扱う食堂の一覧を記した「行田フライマップ」を作成、市役所やJR行田駅前の観光案内所、市内のフライ食堂の各店舗などで配布を行っている。
その一方で名物料理としても健在であり、古くから行田に在住する家庭では作る事も珍しくなく、フライ店にしてもあくまでその主たる顧客は地元地域の住民である。その為、観光客が多い日曜日が定休日となっている店も少なくない。
しかし行田市周辺地域以外での知名度は高くなく、他地域での常設店舗はさいたま市北区のサティ内など、ごくわずかな例外を除き存在しない。