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蝦夷征討 - Wikipedia

蝦夷征討

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

蝦夷征討(えみしせいとう)とは、日本古代において蝦夷に対して朝廷が行った征討である。中央史観の強かった時代には蝦夷征伐と呼ばれた。

目次

[編集] 古墳時代

蝦夷についての最も古い言及は、『日本書紀』にあるが、伝説の域を出ないとする考えもある。しかし、5世紀の中国の歴史書『宋書』倭国伝には、478年倭王武が宋 (南朝)に提出した上表文の中に以下の記述がある。

「昔から祖彌(そでい)躬(みずか)ら甲冑(かっちゅう)を環(つらぬ)き、山川(さんせん)を跋渉(ばっしょう)し、寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を平らぐること、九十五国。」

この記述から、この時代には既に蝦夷の存在と、その統治が進んでいた様子を窺い知ることが出来る。日本武尊以降、上毛野氏の複数の人物が蝦夷を征討したとされているが、これは毛野氏が古くから蝦夷に対して影響力を持っていたことを示していると推定されている。例えば俘囚の多くが吉弥侯部氏を名乗っているが、吉弥侯部、君子部、公子部は毛野氏の部民に多い姓である。

[編集] 称徳以前

7世紀頃には、蝦夷は現在の宮城県中部から山形県以北の東北地方と、北海道の大部分に広く住んでいたと推察されているが、大化年間ころから国際環境の緊張を背景とした蝦夷開拓が図られ、大化3年(647年)の渟足柵設置を皮切りに現在の新潟県宮城県以北に城柵が次々と建設された。658年阿倍比羅夫が水軍180隻を率いて蝦夷を討った。しかし、個別の衝突はあったものの蝦夷と朝廷との間には全面的な戦闘状態はなかった。道嶋嶋足のように朝廷において出世する蝦夷もおり、総じて平和であったと推定されている。

[編集] 三十八年戦争

宝亀元年(770年)には蝦夷の首長が賊地に逃げ帰り、翌2年の渤海使が出羽野代(現在の秋田県能代市)に来着したとき野代が賊地であったことなどから、宝亀年代初期には奥羽北部の蝦夷が蜂起していたとうかがえるとする研究者もいるが[1]光仁天皇以降、蝦夷に対する敵視政策が始まっている。宝亀5年(774年)には按察使大伴駿河麻呂が蝦狄征討を命じられ、弘仁2年(811年)まで特に三十八年戦争[2]とも呼ばれる蝦夷征討の時代となる。一般的には4期に分けられる[3]

[編集] 第1期

桃生城に侵攻した蝦夷を征討するなど、鎮守将軍による局地戦が行われた。蝦夷の蜂起は日本海側にも及び、当時出羽国管轄であった志波村の蝦夷も反逆、胆沢地方が蝦夷の拠点として意識され始めた。後半は主に出羽において戦闘が継続したが、伊治呰麻呂らの協力もあり、宝亀9年(778年)までには反乱は一旦収束したと考えられている。

[編集] 第2期

宝亀11年(780年)から天応元年(781年)まで。伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)とも呼ばれる。

宝亀11年3月22日780年5月1日)、呰麻呂は伊治城において紀広純らを殺害、俘囚軍は多賀城を襲撃し略奪放火をした。

正史の記録には以後の経過が記されていないが、出羽国雄勝平鹿2郡郡家の焼亡、由理柵の孤立、大室塞の奪取及び秋田城の一時放棄と関連づける見解もある[1]藤原小黒麻呂が征東大使となり、翌天応元年(781年)には乱は一旦終結に向かったと推察されている。

[編集] 第3期

延暦8年(789年)に、前年征東大使となった紀古佐美らによる大規模な蝦夷征討が開始された。紀古佐美は5月末まで衣川に軍を留め、進軍せずにいたが、桓武天皇からの叱責を受けたため蝦夷の拠点と目されていた胆沢に向けて軍勢を発した。北上川の西に3箇所に分かれて駐屯していた朝廷軍のうち、中軍と後軍の4,000名が川を渡って東岸を進んだ。この主力軍は、「賊帥夷、阿弖流爲(アテルイ)居」(『続日本紀』)のあたりで前方に蝦夷軍約300名を確認し交戦し、当初は朝廷軍が優勢であった。この蝦夷軍を追って巣伏村に至り、そこで前軍と合流しようと考えたが、前軍は対岸の蝦夷軍に阻まれて渡河できなかった。その時、蝦夷側に約800名の加勢が現れ反撃に転じ、更に東山から蝦夷軍約400名が現れて後方を塞いだ。朝廷軍は壊走し、別将の丈部善理ら戦死者25名、矢にあたる者245名、川で溺死した者1,036名、裸身で泳ぎ来る者1,257名の損害を出し、紀古佐美の遠征は失敗に終わったという。5月末か6月初めに起こったこの戦いは、寡兵をもって大兵を破ること著しいもので、これほど鮮やかな例は日本古代史に類を見ない(巣伏の戦い)。

延暦13年(794年)には、再度の征討軍として征夷大使大伴弟麻呂、征夷副使坂上田村麻呂による蝦夷征伐が行われた。この戦役については「征東副将軍坂上大宿禰田村麿已下蝦夷を征す」(『類聚国史』)と記録されているが他の史料がないため詳細は不明である。しかし、田村麻呂は四人の副使(副将軍)の一人にすぎないにもかかわらず唯一史料に残っているため、中心的な役割を果たしたらしい。

延暦20年(801年)には坂上田村麻呂が征夷大将軍として遠征し、夷賊(蝦夷)を討伏した。このとき蝦夷の指導者アテルイは生存していたが、いったん帰京してから翌年、確保した地域に胆沢城を築くために陸奥国に戻っていることから、優勢な戦況を背景に停戦したものと見られている。『日本紀略』には、同年の報告として、大墓公阿弖利爲(アテルイ)と盤具公母禮(モレ)が五百余人を率いて降伏したこと、田村麻呂が2人を助命し仲間を降伏させるよう提言したこと、群臣が反対しアテルイとモレが河内国で処刑されたことが記録されている。また、このとき閉伊村まで平定されたことが『日本後紀』に記されている。

第3期の蝦夷征討は、延暦22年(803年)に志波城を築城したことで終了した。

[編集] 第4期

弘仁2年(811年)の文室綿麻呂による幣伊村征討が行われ、和賀郡稗貫郡斯波郡設置に至った。爾薩体・幣伊2村を征したと『日本後紀』にあることから征討軍が本州北端に達したという説もある。翌年には徳丹城が建造され、9世紀半ばまでは使用されていたが、このとき建郡された3郡については後に放棄されている[3]

[編集] その後

以後、組織だった蝦夷征討は停止し、朝廷の支配下に入った夷俘俘囚の反乱が記録されるのみとなったが、津軽渡島の住民は依然蝦夷と呼ばれた。

[編集] 年表

  • 景行天皇40年 : 蝦夷の謀反、日本武尊が征討(伝説)。
  • 仁徳天皇55年 : 蝦夷の反乱、上毛野田道が派遣されるが伊峙水門で敗死(伝説)。



  • 宝亀元年(770年) : 蝦夷の宇漢迷公宇屈波宇賊地に逃げ帰り、道嶋嶋足ら派遣。
  • 宝亀5年(774年) : 紀広純、大伴駿河麻呂派遣、桃生城に侵攻した蝦夷を征討(~宝亀6年)。(三十八年戦争の開始)
  • 宝亀7年(776年) : 陸奥国、蝦夷征討。志波村の蝦夷反逆、佐伯久良麻呂投入、胆沢地方の蝦夷征討。
  • 宝亀8年(777年) : 出羽において戦闘継続、出羽国軍蝦夷に敗れるも翌年までには一旦反乱収束。


  • 宝亀11年(780年) : 陸奥国長岡郡に蝦夷侵入。覚鱉城(かくべつじょう)築城。伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)勃発、牡鹿郡大領道嶋大楯、紀広純殺害。多賀城炎上。藤原継縄、大伴益立、紀古佐美、大伴真綱、安倍家麻呂ら投入。百済王俊哲投入。出羽国府後退とする説あり。
  • 天応元年(781年) : 藤原小黒麻呂投入。戦果を挙げ征夷軍一旦解散。


  • 延暦8年(789年) : 紀古佐美、佐伯葛城らによる蝦夷征討。大規模な対蝦夷軍事行動はじまる。巣伏の戦いで征夷軍大敗。巨勢野足投入。
  • 延暦10年(791年) : 文屋大原、大伴弟麻呂、百済王俊哲、多治比浜成、坂上田村麻呂投入。
  • 延暦13年(794年) : 征夷副将軍坂上田村麻呂による蝦夷征伐。
  • 延暦16年(797年) : 坂上田村麻呂、征夷大将軍に任官。
  • 延暦20年(801年) : 坂上田村麻呂、閉伊村まで平定。
  • 延暦21年(802年) : アテルイ、モレら降伏、処刑。胆沢城築城。
  • 延暦22年(803年) : 紫波城築城。
  • 延暦24年(805年) : 藤原緒嗣、蝦夷征討と平安京造営の中止を奏上。


  • 弘仁2年(811年) : 幣伊村征討。和賀郡、稗貫郡、斯波郡設置。文屋綿麻呂蝦夷征伐終了を奏上。


[編集] 脚注

  1. ^ a b 熊田亮介 2001
  2. ^ 出典は『日本後紀
  3. ^ a b 高橋崇 1986

[編集] 参考資料

[編集] 関連項目


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