藤壺
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藤壺(ふじつぼ)は、紫式部の物語『源氏物語』の登場人物。架空の人物。
そもそも藤壺とは平安御所後宮の七殿五舎のうちの一つ飛香舎の別名であり、転じて飛香舎を賜った后妃の呼称ともなる。作中で藤壷と呼ばれる女性は数人おり、混同を避けるため藤壺の宮(ふじつぼ の みや)、または藤壺中宮(ふじつぼ の ちゅうぐう)とも呼ぶ。
先帝の后腹の女四宮(第四皇女)。同母兄に兵部卿宮(後に式部卿宮。紫の上の父)、異母妹に源氏女御(朱雀帝の妃、女三宮の母)がいる。
桐壺帝が最愛の桐壺更衣を亡くし悲しみに沈んでいた折に「更衣にそっくりな姫宮がいる」との話を耳にし、宮が14歳の時に入内させた。その輝かんばかりの美貌から、光源氏の「光る君」と並び、「輝く日の宮」と称された(「桐壺」)。
亡き母似だと教えられ5歳違いの藤壺に懐いた源氏は、元服後も彼女を慕い続け、次第に理想の女性として恋するようになる。そして藤壺が病のため里下がりした折に関係をもち、その結果藤壺は源氏に生き写しの男御子(後の朱雀帝の東宮、冷泉帝)をもうける。何も知らない桐壺帝は高貴な藤壺が産んだこの皇子を「瑕なき玉」と歓喜し溺愛したが、藤壺の心中は複雑だった。その年の秋に中宮に立后する(「若紫」「紅葉賀」)。
間もなく桐壺帝から朱雀帝に世は移り、弘徽殿太后(朱雀帝の母)側の勢力は日に日に増大する。桐壺院も亡くなり源氏・左大臣側の衰勢も著しい。主だった後見もいない藤壺は、東宮を守るため、源氏からの更なる求愛を拒むため、出家を選ぶ(「賢木」)。
東宮が元服し帝となった後は太上天皇に准ずる母后(国母)として、前斎宮(後の秋好中宮)を冷泉帝の後宮入りに誘ったりと政治手腕を発揮する。37歳の厄年の時に、冷泉帝への後見を源氏に感謝しつつ崩御。「薄雲」帖で亡くなったことから、出家後は後世の読者から「薄雲女院(うすぐも の にょいん)」と呼ばれている。(なお、作中では藤壺が「女御」「女院」と呼ばれたことはなく、藤壺の身分については研究者の間でも意見が分かれている)
没後、源氏が紫の上に藤壺のことをうっかり語った際、それを恨み源氏の夢枕に立ったりもしている(「朝顔」)。また源氏が紫の上を見出したのも、そもそもは紫の上が藤壺の姪で彼女に生き写しの美貌であったためであり(「若紫」)、後に朱雀院から女三宮降嫁の話を持ちかけられた折も、女三宮が紫の上同様に藤壺の姪であることにも心動かされて承諾してしまう(「若菜上」)。源氏の生涯を通じて彼の女性関係の根源に深く関わり続けた、永遠の恋人といえる女性であった。