藤堂高刑
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藤堂 高刑(とうどう たかのり、天正5年(1577年) - 慶長20年5月6日(1615年6月2日))は、戦国時代の武将で、藤堂高虎の甥。仁右衛門という通称を持つ。室は織田信清の娘(藤堂高虎養女)。
[編集] 来歴
鈴木弥右衛門と藤堂高虎の姉の子供として、1577年に生まれる。1591年に増田長盛を烏帽子親に元服。1592年の朝鮮出兵で初陣を果たし、敵の船を奪い取るなどの手柄を立てる。関ヶ原の戦いでは大谷吉継の家臣・湯浅五助を討ち取った。大坂冬の陣、大坂夏の陣にも参加したが、1615年5月6日、八尾の戦いで長宗我部盛親率いる隊の猛攻撃を浴び、藤堂隊は壊滅状態に陥った。
この時に、多くの将兵と共に高刑は戦死した。享年39。墓は、大阪府八尾市本町の常光寺にある。