織田信清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
織田 信清(おだ のぶきよ、生没年不詳)は戦国時代の武将。十郎左衛門、津田鉄斎、犬山鉄斎、下野守を称した。津田姓も名乗った。犬山城主。織田信康の嫡男、津田信益は息子。娘に藤堂高刑室(藤堂高虎の養女)。織田信長の従兄弟にあたる。信長の妹(犬山殿)を娶る。
最初は岩倉織田氏へ仕えたが、織田信秀死亡後は、犬山城で独自の勢力を保ち、信長の領地を押領して疎遠となったが、信長より妹を貰い受けると、弟の広良同様仕える身になった。永禄元年(1558年)7月12日、浮野の戦い・岩倉城攻略で信長を支援。だが国外に追い出した織田信賢の旧領地の分与を巡って信長といさかいを起こし、永禄5年(1562年)反旗を翻し、楽田城を攻め取る。だが信清の支城は信長軍によって次々と落城し、永禄7年(1564年)5月には居城の犬山城も陥落。遂に信清は逃亡した。甲斐へ逃げ込み武田氏の元で犬山鉄斎と称した。