藤原諸姉
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藤原諸姉(ふじわらのもろあね、生年不詳-延暦5年6月29日(786年7月29日))は、奈良時代末期の女官。名は「もろね」とも読む。藤原式家出身で、内大臣藤原良継の娘。兄弟姉妹に詫美・乙牟漏(桓武天皇皇后)・人数(藤原鷲取室)・藤原永手室・藤原楓麻呂室・藤原家兼室らがいた。叔父藤原百川の妻で、旅子(桓武天皇夫人)の母。淳和天皇の外祖母。
神護景雲3年(769年)10月、称徳天皇の河内国由義宮(大阪府八尾市)行幸に供奉し、無位から従五位下に叙せられて内命婦となった。光仁天皇即位とともに、光仁天皇擁立に関わった父及び夫の関係で、諸姉自身も急速に昇進し、桓武天皇にも重用された。娘の旅子が夫人に立てられた延暦5年(786年)には、従三位尚縫だったが、同年6月29日に薨去。淳和天皇が即位した後の弘仁14年(823年)5月、外祖母として正一位を追贈された。
[編集] 参考文献
- 坂本太郎・平野邦雄編『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、1990年。
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。