萩原智子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
萩原 智子(はぎわら ともこ、本名:佐藤智子 1980年4月13日 - )は、山梨県出身(生まれは大阪府)の元水泳選手。身長180.6cm(本人曰く「現在も身長が伸びている」とのこと)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 現役選手時代
1995年全日本ジュニアチームのメンバーに入り、山梨学院大学附属高等学校在籍の1996年から3年連続でインターハイ200m背泳ぎで3連覇達成。1998年のアジア競技大会・バンコク大会では100m、200mの背泳ぎ、並びに400mメドレーリレーの三冠を達成。
1999年、山梨学院大学に入り、その年のパンパシフィック選手権200m背泳ぎで金メダルを獲得。翌2000年のシドニーオリンピックで大きく期待されたが、200m背泳ぎでは4位入賞、200m個人メドレーでは8位入賞に留まり、惜しくもメダル獲得はならなかった。
2001年の世界水泳選手権では、800mフリーリレーで銅メダルを獲得。翌2002年には日本水泳選手権で、200m自由形、200m背泳ぎ、200m個人メドレー、並びに100m自由形での史上初となる個人四冠を成し遂げる離れ業を演じた。
2002年のパンパシフィック選手権では200m個人メドレーで金メダルを獲得したが、大会中に過呼吸を3度発症してしまい、200m背泳ぎ決勝レースの棄権を余儀なくされる。その年の釜山アジア大会代表にも選ばれていたが、これも辞退した。2003年シーズンは静養のため殆どレースに出場しなかったが、久々に復帰出場となった同年9月の静岡国体では、200m個人メドレー成年女子の部で大会記録を更新、復活の優勝を果たした。
2004年アテネオリンピックを目指したが、50m自由形では優勝しながらも派遣標準記録の25秒30にわずか0.32秒足りず、また100m自由形も派遣記録に届かず2位となり、2大会連続の五輪代表を逃した。そしてこの年の日本選手権を最後に、競技者としての第一線を退いた。なお、100m自由形、200m個人メドレーの日本記録は、2007年現在でも残っている。
[編集] 現役引退以後
2005年4月から2006年3月まで、YBS山梨放送のスポーツコメンテーターとして、山日YBSワイドニュース(現在のYBSワイドニュース、テレビ、当時の放送時間は18:17~19:00)、YBSニュース深夜便(テレビ、24:30~24:50 ※編成による時間変更の可能性あり)、YBSニュース・アップ!(ラジオ、18:00~18:23)の「ハギトモSmile Sports」というコーナーに出演していた。また、ワイドニュースでは萩原自身もスタジオ出演していた(他の2番組はVTRのみでワイドニュースでVTRの前後に読み上げていたコメントは各番組の担当キャスターが伝えた)。
2006年9月29日、自身の公式ブログにてテレビ朝日ディレクターの佐藤一馬との結婚を発表した。同年10月7日に挙式。テレビ神奈川アナウンサーの佐藤亜樹は義妹にあたる。また、テレビ山梨アナウンサーの小嶋優は義兄(姉の夫)にあたる。
現在は、日本水泳連盟強化スタッフ、日本オリンピック委員会アスリート委員、山梨学院カレッジスポーツセンター研究員他を務める。
2007年2月18日、第1回東京マラソン(東京マラソン2007)の10kmレースに初挑戦。無事完走して、健在ぶりを示した。また、テレビ朝日系列で放送された「世界水泳メルボルン」「世界競泳2007」ではスタジオ解説を務めるほか、同系列「GET SPORTS」ではさまざまなスポーツ選手を取材している。テレビ朝日系スポーツ番組とテレビ山梨の番組を中心にテレビ出演している。
[編集] 日本記録
距離 | タイム | 大会名 |
---|---|---|
個人メドレー200m | 2:12.84 | 2000年日本選手権 |
自由形100m(長水路) | 54.97 | 2002年パンパシフィック選手権 |
自由形100m(短水路) | 53.95 | 2004年関東学生冬季公認記録会 |
自由形200m(短水路) | 1:56.58 | 2002年短水路日本選手権 |
背泳ぎ50m(高校短水路記録) | 28.06 | 1998年香川県招待スプリント選手権大会 |
[編集] シドニー五輪順位・記録
- 200m背泳ぎ 4位入賞 決勝2:11.21 準決勝2:11.02
- 200m個人メドレー 8位入賞 決勝2:15.64 準決勝2:15.09