船木勝一
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船木 勝一 | |
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プロフィール | |
リングネーム | フナキ ショー・フナキ 船木勝一 |
本名 | 船木 勝一 |
ニックネーム | スマックダウンNo.1アナウンサー |
身長 | 170cm |
体重 | 81kg |
誕生日 | 1968年8月24日(39歳) |
出身地 | 東京都葛飾区 |
所属 | WWE |
トレーナー | アニマル浜口 |
デビュー | 1993年12月5日 |
船木 勝一(ふなき しょういち、1968年8月24日 - )は、東京都葛飾区出身のプロレスラー。リングネームフナキとして、WWEのスマックダウンに所属している。
目次 |
[編集] 経歴
アニマル浜口トレーニングジム出身で、同ジムインストラクターの経験もある異能派。実測160cmあるかないかの身長のため日本のメジャーなプロレス団体には入ることはできなかったが、1993年、日本のプロレス団体、プロフェッショナルレスリング藤原組にてプロレスラーデビューを飾る。
藤原組在籍時、石川雄規とタッグを組み新日本プロレスが主催したジュニア・タッグリーグ戦に参戦するが、メジャー団体の選手達の厳しい洗礼により、試合終了後の控室にて口から泡を吹き失神すると云うアクシデントに遭遇する。その後格闘探偵団バトラーツに参戦後、みちのくプロレスにも参戦し、TAKAみちのく・ディック東郷・MEN'Sテイオー・獅龍(現:カズ・ハヤシ)が結成した海援隊★DXに参加、ヒールとして暴れ回る。
1997年にWWE参戦(当時のリングネームは『ショー・フナキ』)。上記のメンバーと共に「KAIENTAI」(当時の海援隊DX)として活動していたが、2007年現在フナキがいるのみとなってしまった。そのWWEでは"ナンバーワン・アナウンサー"としてのキャラクターを確立。在籍年数は日本人としては最も長く、前座・中堅どころの要(かなめ)で基本がしっかりしている上に大技まで使いこなせるのでレスラー達からはモチロンの事、フロント・上層部から「確実に仕事の出来る職人レスラー」として絶大な信頼を得ている。また、新人に対するレスリング指導に対してもフロントから高い評価を受けている。また、これらのことの延長として、番組初登場レスラー相手のジョバーも多く務める。
[編集] 現在
2008年に入ってからは、SmackDown!のテレビテーピングのダークマッチでジョバーとして活躍している。 2008年2月のハウスショーで怪我をする。
[編集] 人物
- 「KAIENTAI」時代に口パクのマイクパフォーマンスに英語の吹き替えが当てられるギミックが与えられたが、フナキの台詞は「Indeed!!(さよう)」のみであった。
- ジョン・シナと公私で仲が良い。またジョン・シナのフィギュアが発売される際に、ジョン・シナがメーカーに頼んでフナキのフィギュアの発売を依頼した事もある。
- 時々、WWEの許可を得てみちのくプロレスやKAIENTAI-DOJOに顔を出すが、権利の関係で放送できない。
- 現在はショーン・マイケルズらも住んでいるテキサス州サンアントニオに住居を構えている。住居をそこに構えた理由としては、「昔から大ファンのショーン・マイケルズの近所に住みたいと思っていたから。」と週刊プロレスのインタビューで語っている。
- 日本で活動していた頃には度々試合で使用していた技「ショーン・キャプチャー」を渡米後には封印しており、試合の流れで使ったとしても技名は「レッグ・ロック」と極めてポピュラーなものにしている。理由は「元々『勝一』の名前を格好良く捩って『ショーン』と名付けたんだけど、アメリカじゃショーンと言ったらショーン・マイケルズだから。」と、マイケルズに敬意を表す意味で使用していないとの事。
- 大物しか招かれないと言われたトリプルHの結婚披露宴に招かれている。
- 一男一女の父親でもあり、夫人はサンアントニオのショッピングモールに「B&Gクレープス」というクレープ屋を経営している。自身もたまにレジに立つそうである。ちなみにショップオリジナルTシャツもあり日本でも限定発売された。
[編集] 得意技・必殺技
- ブルドッグ
- ショーン・キャプチャー
- 前方回転式ヒザ十字固め
- ライジング・サン
- コーナーポスト中段からの回転式DDT
- フェイス・クラッシャー
[編集] タイトル履歴
- WWE
- WWE・クルーザー級王座 : 1回
- WWE・ハードコア王座 : 1回(保持期間わずか30秒)
- UWA
- UWA世界ミドル級王座 : 1回
- TWA
- TWAヘビー級王座 : 1回