纏足
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纏足(てんそく)とは、幼児期より足に布を巻かせ、足が大きくならないようにするという、かつて中国で女性に対して行われていた風習をいう。より具体的には、足の親指以外の指を足の裏側へ折り曲げ、布で強く縛ることで足の整形を行うことを指す。纏足の習慣は唐の末期に始まった。清国の時代には不衛生であることから皇帝が度々禁止令を発したが、既に浸透した文化であったために効果は無かった。辛亥革命以降急速に行われなくなった。
中国大陸からの移住者が多くすんでいた台湾でも纏足は行われていたが、日本統治時代初期に台湾総督府が辮髪・アヘンとならぶ台湾の悪習であると位置づけ、追放運動を行ったため廃れた。なお、客家人の女性は働くことが奨励されていたため纏足をせず、「大足女」と揶揄されていた。
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[編集] 纏足の目的
纏足文化ができた原因は、小さい足の女性の方が美しいと考えられたからである。小さく美しく施された靴を纏足の女性に履かせ、その美しさや歩き方などの仕草を楽しんだようである。纏足の女性はうまく歩けないことから、女性支配の手段にもなっていたと考えられる。また、バランスをとるために、内股の筋肉が発達するため、女性の局部の筋肉も発達すると考えられていた。 このようなことから、蒙昧な時代には纏足を施していない女には嫁の貰い手がなかったという。
[編集] 纏足の歴史と施工方法など
一説では南斉から纏足が行われたとも言われているが、一般には南唐の李煜が足の細い女性を好んだことから始まったとする説も有力である。その南唐を滅ぼし、一応の全国統一を果たした北宋以降、徐々に普及が始まった。元末明初に記された、『輟耕録』(てっこうろく)の巻12に、「如煕寧元豊以前人猶為者少近年即人人相効以下為者為恥也」(訳:「煕寧(きねい、北宋、神宗の年号で、1068年-1077年)、元豊(げんぽう、同じく北宋、神宗の年号で、1078年 - 1085年)以前は少なかったが、近年は人人相ならい、そうでないのを恥とする」)と書かれている。その他の資料や、アラブ人や西洋人の見聞録などから、北宋より流行しだし、元末明初に盛んになったようである。流行しだした頃は、漢民族にとっては異民族の侵入などで国粋的な儒教が発達した時期でもあった。北宋の后が始めたとの説があるが、華南よりは華北によりその傾向があり、次第に農村部にまで拡大したようである。少数民族や女真族(満州族)にはその傾向がなかったものの、まれに見られた。
女真族(満州族)の建てた清朝が纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、北清事変以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部で罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として文化大革命で反革命的行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。
女の子が3 - 4歳になると木綿の布で足を縛り、発達を抑えるようになる。発熱するため、施術は秋に行われるのが多かった。親指を除く4本の指は内側に曲がり夜も寝られないほどの苦痛を伴いながらも、縛りなおすときを除き、ほとんど縛りっぱなしで決して親はそれを緩めようとはせず、足のサイズは10cm前後が金蓮と呼ばれた。第1段階では親指以外の4本の指を内側に曲げ、第2段階で、足の甲を前に伸ばさず縦に曲げていく。約2年かけるので、足のやわらかい幼少の頃に変形させるのである。その後も、縛り続け、3日に1度消毒することなどが生涯にわたって行われ、その形状はハイヒールによく似た形となった。
纏足の流行の理由には、足の小さいのが女性の魅力、女性美、との考えがあったことは間違いない。足が小さければ走ることは困難となり、そこに女性の弱弱しさが求められたこと、それにより貴族階級では女性を外に出られない状況を作り貞節を維持しやすくしたこと、足が小さいがために踏ん張らなければならず、そこに足の魅力を性的に感じさせやすくした…など多くのことが考えられる。しかし、いずれも決定的にこれと言えるほどの理由ではなく、やはり習慣の一つとして続けられていたと言えよう。
纏足で走行不能となったことで、災害時には男性より死亡率が高かった。また早めに夫をなくし困難の中で子育てに励む母親の苦労は大変なものだったという。現在、ムスリムにおいては、死後神の世界に戻るに当たっては人間本来の形に戻ることが必要なため、鉄で骨を元の形に戻すことが行われているようである。
[編集] 関連書籍
- 『纏足物語』(東方選書)
- 『東洋文明史論』(平凡社)
- ドロシー コウ 小野和子、小野啓子 訳 『纏足の靴』小さな足の文化史 平凡社 ISBN 4582472303
- 東田雅博 『纏足の発見』ある英国女性と清末の中国 あじあブックス 大修館書店 ISBN 4469232009