結城昌治
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結城昌治(ゆうき・しょうじ、1927年2月5日 - 1996年1月24日)は日本の小説家・推理作家。本名、田村幸雄。都筑道夫の命名によるこの筆名は、本来「ゆうき・まさはる」と読ませたが、しょうじと誤読されることが多いため、そのまましょうじとなった。
まだ日本にハードボイルド小説というものが浸透していなかった時期にハードボイルドを書いたことから「ハードボイルド小説の先駆者」といわれる。生島治郎の筆名の名付親でもある。
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[編集] 経歴
1927年、東京市品川区生まれ。1939年、戸越小学校卒業。旧制中学受験に失敗して1年浪人する。
1940年、高輪商業学校入学。1945年、旧制高等学校受験に失敗。海軍特別幹部練習生を志願。高輪商業学校卒業後、1945年5月16日に武山海兵団入団。しかし身体再検査の結果、1945年5月23日に帰郷を命ぜられる。帰宅の晩に空襲で自宅が焼失したため、敗戦まで栃木県那須に疎開した。
1946年、早稲田専門学校入学。1947年、東京地方検察庁に事務官として就職。1948年、就職後1年足らずで肺結核となる。
1949年2月7日、国立東京療養所に入院し、1951年まで療養生活を送る。その間、左右両側に胸郭成形手術を受ける。
1955年、務めの傍らアテネフランセに通学。しばしば転職を試みて東和映画宣伝部や音楽著作権協会などを受けるもことごとく失敗。
1959年5月、胃から吐血し、翌月まで虎の門病院に入院。『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』日本版の第1回短篇コンテストに応募した「寒中水泳」が入選し、7月、同誌に掲載される。日本人作家の作品が掲載されたのはこの短編が最初である。
1959年12月、処女作品集『ひげのある男たち』を早川書房から上梓。1960年1月、東京地方検察庁を退職し、作家活動を開始する。
その後は『ゴメスの名はゴメス』などのスパイスリラー小説、クライム・コメディ、ハードボイルド、一般ミステリを執筆する。また、日本推理作家協会設立当初は常任理事を務めた。
[編集] 受賞歴
[編集] 関連項目
[編集] 著作
- ひげのある男たち
- 死者に送る花束はない
- 魚たちと眠れ
- 噂の女
- 公園には誰もいない
- 死んだ夜明けに
- 夜の終る時
- 虫たちの墓
- 斬に処す 甲州遊侠伝
- 影の歳月
- ものぐさ太郎の恋と冒険
- 見知らぬ自分
- 風変わりな夜
- 死者たちの夜
- 殺意の軌跡
- 炎の終り
- 喪中につき
- 軍旗はためく下に
- ゴメスの名はゴメス
- 女
- 志ん生一代
- 罠の中
- 刑事
- 長い長い眠り
- 裏切りの明日
- あるフィルムの背景
- 夜の追跡者
- 昨日の花
- 赤い霧
- 幻の殺意
- 不良少年
- 白昼堂々
- 仲のいい死体
- 童話の時代
- 死の報酬
- 暗い落日
- 噛む女
- 遠い旋律
- 虫たちの墓
- 隠花植物
- 死者と栄光への挽歌