利用者:篠田錬磨
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篠田錬磨(しのだ ねるま, 1987年2月26日 - )は、日本のウィキペディアンの一人である。主にF1関連の情報を編集することがある。
名前の由来は、自身の誕生花である福寿草の学名"Adonis Amurensis"の末尾3文字を除いて逆さ読みすると"neruma sinoda"となることから来ている。情報工学を専攻する大学生。2008年現在、個人活動と言えるものは篠田錬磨名義では特に行っていないが、かつては同人サークルを結成していたり、インターネット上のレースゲームの対戦やタイムアタック企画に時たま参戦したことがあった。
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[編集] 人物
京都府の北部出身。自他共に認める相当な変わり者。将来の夢については「それなりの職に就き、副業としてサークルの運営をやっていきたい」と語っている。また車好きで、2008年現在マイカーを買うため貯金中。
[編集] 略歴
省略。
[編集] 活動
オンライン作家時代のハンドルネームは不詳であり、また現在でも篠田錬磨以外の名前で様々な活動を行っているが、ここには主に篠田錬磨として行った活動を記す。
[編集] Wikipedia
1997年からほぼ欠かさず観ているというスポーツ・F1(フォーミュラ1)の知識を活用し、F1関連の情報はよく篠田によって加筆/変更される(F1ドライバーではルーベンス・バリチェロやティアゴ・モンテイロを大幅に加筆した張本人)。参考文献はTV放送、専門誌、数あるWebサイトを主なところとしているが、その他にYouTubeなども重要な情報源だと考えている。
[編集] グランツーリスモ4オンライン
2006年の6月から8月までの間、実車ゲーム「グランツーリスモ4」のオンラインテストにNeruma_ShinodaというIDで参加。不都合をしっかり検証して報告するなど、積極的なテストプレイヤーとして貢献した。日産S13シルビア K's '88のチューンドカーを主に使用。何百人もが一斉にエントリーするタイムアタックではトップ10に2回食い込んだものの、それ以外は未熟さもあり苦戦を強いられた。一方、レースのポイントランキングでは参加者1230人中1125位という底辺の位置であったが、これは少なくともタイムアタックとは違い上位の獲得には執着せず、マイペースでレースを楽しんでいたためと思われる。
[編集] 主な逸話
- 幼年期に喉の手術をし、一度喋れない状態にまで陥ったもののリハビリで治す。そのせいか未だに少々滑舌が悪く、本人もそのことをコンプレックスに思っている。
- 小学生の頃は背が低く太っていたが、中学で180cmまで伸び、また高校に入って運動しなくなり筋肉が落ちたことからいくら食べても太らない体質になった。
- 中学時代はいじめを恐れて陸上部への入部を断念し、勝手に第2の陸上部を設立(篠田の卒業と同時に解散)。
- 中学時代、主要科目の成績こそ良かったが、手先が極度に不器用で実技系の科目の成績が惨憺たるものであったため、内申点が低く入試で9割近い点数を取ったものの高校受験を失敗した。その後は第2志望の高校に入学、勉強に対する熱意も薄れ堕落の人生を辿る。
- 高校時代、卒業式の予行練習があることを知らなかったため、皆勤賞を逃す。
- 高校でインターネット(主にチャットやネットゲーム)にのめり込み、高校3年の春には元々60あった偏差値が38まで落ち込んでいたが、ネットゲームを断ち更正したことで冬にはなんとか54まで巻き返し、東京の私立大学に入学した。
- 2005年のセンター試験を受けた際、化学で2問目から痛恨のマークミスを犯し、また数学など即思考力が必要な科目でも極度の緊張から散々な結果になり、総合得点は900点中523点。センター・リサーチの合格可能性欄に見事に並んだE判定の列を見て「青空よりも美しい」とつぶやいたという。
- 運転免許の仮免検定ではシートベルトを付け忘れたまま発車し、途中でそれに気づき停車した後パニックで2回エンスト、通過絶望的と思われるもそれ以降は担当員に「百点満点」と言わしめるほど正確にまとめあげてギリギリ合格した。篠田の個性を象徴するエピソードである。
- お世辞にもモテる方ではなく、20歳まで一度も経験なしかと思われたが、20歳になる前日にようやく初デートを達成した。その日のことを篠田は「十代最後の日の奇跡」と呼んでいる。なお、その相手とはその後、交際までには至らなかった。
- 中学時代にも恋人寸前まで行った相手がいたが、自宅に招いた際に彼女を差し置きひとりでゲームに熱中する信じられない失態を犯し、スッパリ嫌われたというエピソードを持つ。ちなみにそのゲームはグランツーリスモ2であり、運転が上手いことをアピールしているつもりだったらしい。
- 前述の通り大のF1ファン。2008年現在は日系チーム全般(ホンダ、トヨタ、スーパーアグリなど)及びそれらの所属ドライバーを幅広く応援しているが、かつてはジャック・ヴィルヌーヴの大ファンであったと公言している。
- アルバイトの面接で6回連続落ちた経験がある。本人曰く「何と言われようが笑われようが、受からないものは受かりようがなかった」とのことである。
- お金が無く働きたいことをアピールしようと古い服に乱れた髪でアルバイトの面接に向かったところ、家族構成しか質問されずに面接が終わり、落とされた。
- レースゲームが得意なものの、マリオカートに代表されるようなアイテムを使った逆転要素のあるものは嫌い、純粋にスキルの勝負を好む。また、他者と同等以上の車で1位になるよりも、一番劣る車でブービー賞になる方が何倍も嬉しいと語るなど、そのこだわりは深い。
- 近場のゲームセンターのアーケードレースゲーム(頭文字Dシリーズ)ではランキング争いの常連であったものの、運転免許を取得してから左足でブレーキが踏めなくなり、タイムが数十秒も遅くなり引退した。
- 実車の運転にも自信があるらしいが、教習所以外では親の軽自動車しか運転した事が無い。
- 港町育ちであるため海をこよなく愛している。
- 生まれつきかどうか定かではないが嗅覚が曲がっており、何も無いところで突然異臭騒ぎを起こすほどである。
- 篠田錬磨としての活動は事実上2006年いっぱいで終わりを告げている。現在はウィキペディアンの一員としてのみ、この名を使用している。