第2航空団
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第2航空団(だい2こうくうだん、JASDF 2nd Air Wing)とは、航空総隊隷下の北部航空方面隊に属している航空団のひとつである。司令部は千歳基地(北海道千歳市)に所在しており、主に北海道地域の領空に接近・侵入してくる国籍不明機に対しての対領空侵犯措置を担当している。
目次 |
[編集] 沿革
- 1956年(昭和31年)10月1日 - 浜松基地にて「第2航空団」が新編。第3飛行隊(F-86F)を新編。
- 1957年(昭和32年)2月1日 - 第4飛行隊(F-86F)を新編。
- 1957年(昭和32年)8月24日 - 第3・第4飛行隊(F-86F)の主力が千歳基地に移駐完了。
- 1957年(昭和32年)9月2日 - 千歳基地に移駐完了。
- 1958年(昭和33年)4月28日 - 航空自衛隊初となる対領空侵犯措置任務を付与。
- 1958年(昭和33年)8月1日 - 北部航空方面隊の隷下に編入。
- 1959年(昭和34年)8月1日 - 第6飛行隊(F-86F)を新編。
- 1959年(昭和34年)10月26日 - 第6飛行隊(F-86F)が新田原基地に移駐。
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 第6飛行隊(F-86F)が第5航空団の隷下に編入。
- 1961年(昭和36年)5月16日 - 第4飛行隊(F-86F)が小松基地に移駐。
- 1961年(昭和36年)6月9日 - 小牧基地の第3航空団第103飛行隊(F-86D)が千歳基地に移駐し、これを隷下に編入。
- 1962年(昭和37年)3月22日 - 臨時F-104J訓練隊を編成。
- 1962年(昭和37年)7月15日 - 第4飛行隊(F-86F)が第6航空団の隷下に編入。
- 1963年(昭和38年)3月5日 - 第3飛行隊(F-86F)が松島基地に移駐し第4航空団の隷下に編入。
- 1963年(昭和38年)3月5日 - 第201飛行隊(F-104J)を新編。
- 1964年(昭和39年)6月25日 - 第203飛行隊(F-104J)を新編。
- 1968年(昭和43年)6月7日 - 第103飛行隊(F-86D)が解散。
- 1974年(昭和49年)10月1日 - 第201飛行隊(F-104J)が解散。第302飛行隊(F-4EJ)を新編。
- 1976年(昭和51年)9月6日 - MiG25事件の発生にともなうスクランブル発進(緊急発進)を実施。
- 1984年(昭和59年)3月14日 - 第203飛行隊を改編。(F-104JからF-15へ)
- 1985年(昭和60年)11月26日 - 第302飛行隊(F-4EJ)が那覇基地に移駐し第83航空隊の隷下に編入。
- 1986年(昭和61年)3月19日 - 第201飛行隊(F-15)を新編。
- 1998年(平成10年)7月?日 - 第2基地防空隊を新編。
- 2003年(平成15年)9月28日 - 9月26日に発生した十勝沖地震での石油タンク火災に対し、化学消火剤の輸送を断続的に10月2日まで実施。
[編集] 部隊編制
- 第2航空団司令部
[編集] 司令部
[編集] 編制
- 監理部
- 人事部
- 防衛部
- 装備部
- 安全班
- 衛生班
- 副官
[編集] 高級幹部
職名 | 氏名 | 階級 | 就任日 | 出身校・期 | 前職 |
---|---|---|---|---|---|
司令(兼千歳基地司令) | 福江広明 | 空将補 | 2007年9月1日 | 防大25期 | 航空開発実験集団幕僚長 |
副司令 | 佐藤敏博 | 1等空佐 | 2006年8月7日 | 偵察航空隊司令 |
[編集] 歴代高級幹部
[編集] 司令
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|
中島正 | - 1959.11.24 | 海兵58期 | 第1航空団司令 | ||
岩崎茂 | 防大19期 | ||||
下平幸二 | - 2004.8.29 | 防大19期 | 航空幕僚監部調査部長 | ||
中島邦祐 | 2004.8.30 - 2006.8.3 | 防大23期 | 航空幕僚監部防衛部運用課長 | 南西航空混成団副司令 | |
溝口博伸 | 2006.8.4 - 2007.8.31 | 日大51期 | 第5航空団司令 | 中部航空方面隊副司令官 | |
福江広明 | 2007.9.1 - | 防大25期 | 航空開発実験集団幕僚長 |