出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第1高射特科群(だいいちこうしゃとっかぐん、JGSDF 1st Antiaircraft Artillery Group)は、北海道千歳市の東千歳駐屯地などに所在する部隊で、第1高射特科団の隷下部隊である。
[編集] 沿革
- 1954年(昭和29年)9月25日 - 北千歳駐屯地において第1特科団の隷下部隊として発足。
- 1954年(昭和29年)10月20日 - 本部及び本部中隊、第301高射運用隊が東千歳駐屯地へ移動。浜松で編成された第116特科大隊(90mm高射砲M2)も東千歳へ移駐、1高群隷下に入る。隷下部隊には他に函館駐屯地の第106特科大隊(40mm高射機関砲、後に真駒内駐屯地へ移駐)
- 1956年(昭和31年)1月25日 - 第116特科大隊を母体に第118特科大隊(90mm高射砲M1)編成。
- 1959年(昭和34年)3月11日 - 第106特科大隊廃止。第121特科大隊(75mm高射砲M51)編成。翌12日には第122特科大隊も編成。122大隊は同年3月30日付で八戸駐屯地へ移駐、第9混成団隷下に入る。
- 1959年(昭和34年)8月12日 - 第121特科大隊が東千歳駐屯地へ移駐。
- 1961年(昭和36年)8月17日 - 無線誘導標的機隊が東静内に新編。
- 1964年(昭和39年)3月24日 - 第118特科大隊第4中隊が静内分屯地へ移動。
- 1965年(昭和40年)1月20日 - ホーク (ミサイル)を装備する第102高射大隊(東千歳、北千歳、島松)、第102高射直接支援隊を編成。第121特科大隊は廃止。
- 1966年(昭和41年)8月3日 - 第102高射直接支援隊が第102高射大隊の隷下に入る。
- 1970年(昭和45年)8月5日 - 第116特科大隊が飯塚駐屯地へ移動。第3高射特科群の母体となる。
- 1971年(昭和46年)3月24日 - 第102高射特科大隊が第1高射特科群へと改編、第301高射運用隊廃止、第118特科大隊と無線誘導標的機隊は第1特科団直轄になる。
- 1972年(昭和47年)3月24日 - 新編された第1高射団の隷下部隊になる。
- 2000年(平成12年)3月27日 - 北部方面後方支援隊新編に伴い、第102高射直接支援隊を廃止。
- 2004年(平成16年) - 平成16年度ホーク年次射撃検閲で全国第1位の成績を出す。
[編集] 部隊
陸上自衛隊
Ground Self-Defense Force
|
- 群本部
- 本部管理中隊
- 第301高射中隊
- 第302高射中隊(北千歳駐屯地)
- 第303高射中隊(島松駐屯地)
- 第304高射中隊(島松駐屯地)
- 第301高射搬送通信中隊
[編集] 群長
歴代の第1高射特科群長(1等陸佐)
代 |
氏名 |
在任期間 |
出身校・期 |
主な後職 |
|
出口政治 |
|
|
|
|
島田政春 |
|
|
真駒内駐屯地業務隊長 |
|
天草洋 |
2003.8.1 - 2005.1.11 |
|
札幌駐屯地業務隊長 |
|
小原友弘 |
2005.1.12 - 2006.7.31 |
|
中部方面後方支援隊副隊長 |
|
池田一敏 |
2006.8.1 - |
|
|
[編集] 主要装備