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源義平 - Wikipedia

源義平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

源義平 凡例
時代 平安時代末期
生誕 永治元年(1141年
死没 永暦元年1月25日1160年3月4日
別名 悪源太、鎌倉源太
官位 左衛門少尉
氏族 清和源氏義朝流(河内源氏
父母 源義朝三浦義明の娘(もしくは遊女)
兄弟 義平朝長頼朝義門希義範頼
全成義円義経坊門姫、女子
新田義重の娘・祥寿姫(または妙満尼)[1]

源 義平(みなもと の よしひら )は、平安時代末期の武将源義朝の長男。通称は悪源太鎌倉源太。母は三浦義明の娘[2]朝長頼朝範頼義経らの兄。

源義朝の長男で鎌倉を守り、叔父の源義賢を討って悪源太と呼ばれた剛の武者。平治の乱が起こると坂東武者を率いて上京し、平家を相手に奮戦するが敗れて落ち延びる。父が殺されたため、京へ戻って平清盛の暗殺を図るが失敗し、捕えられて斬首された。

目次

[編集] 生涯

義平の生涯については軍記物語の『平治物語』に依るところが多く、義平については他に史料は乏しい。そのため本項目もこれに従う。『平治物語』における義平は『保元物語』における源為朝と同様の主人公的な存在で、後に征夷大将軍となった頼朝の兄とあって、非常に颯爽とした若武者として描かれている。軍記物語なのでそのまま史実とは限らない。

[編集] 鎌倉悪源太

堀川の源氏館で育っていたが、13歳で鎌倉へと下る[要出典]久寿2年(1155年)、父の義朝と叔父の源義賢(木曾義仲の父)が対立し、義平は義賢の居館武蔵国比企郡の大蔵館(埼玉県比企郡嵐山町)を急襲し、これを討ちとって武名を轟かせた(大蔵合戦)。

これ以来、「鎌倉悪源太義平」と呼ばれるようになった。「悪」という言葉には「強い」「猛々しい」という意味があり、つまり「鎌倉の剛勇な源家長男の義平」という意味であり、猛将のイメージで後世に伝えられている。

平治元年(1159年)12月9日、父義朝は後白河上皇の寵臣藤原信頼と結んでクーデターを起こし、当時の朝廷の実力者藤原信西を殺害して京を占拠。後白河上皇と二条天皇を確保して政権を掌握した。この時、平清盛は熊野参詣のため一族とともに京を離れていた。

鎌倉にあった義平は義朝の求めによって呼び出され、坂東武者を引き連れて京へ馳せ上った。しかし、自領の安堵が最大の関心事であった東国武士たちは義平の召集に応えず、義平にしたがったのはわずか17騎のみであった。義平が到着したとき、信頼がお手盛りの除目を催していた最中で「ちょうど良かったのう。大国でも小国でも望みの官位を呉れてやるぞ」と上機嫌で言った。義平は「そんなことよりも、すぐに阿倍野大阪市阿倍野区)へ出陣して、帰ってくる清盛を討ち取りましょう。その後ならば大国でも小国でもいただきましょう」と返答した。信頼は気分を害して「乱暴なことを申す。阿倍野まで行っては馬の脚が疲れてしまうわ。清盛はゆっくり都で取り込めて討ち取ればよろしい」と拒否してしまった。このため義朝と信頼は勝機を逸してしまうことになる[3]

『平治物語』にあるこのやり取りは多分に創作的で(全く似たやり取りが『保元物語』で源為朝と藤原頼長との間で交わされている)、実際には信頼は平家との和睦を画策していたため清盛を早期に討たなかったという見方もある。 また、近年の平治の乱に対する研究では、清盛は信西と姻戚であると同時に信頼の息子とも婚姻関係を結んでおり、後白河法皇や二条天皇をとりまく勢力や信西、藤原信頼などどの勢力から見ても中立な立場であるという見方が強まりつつあり、中立の立場にある清盛は信頼らの攻撃の対象ではなかったという見方もある。(元木泰雄「保元・平治の乱を読み直す」)

[編集] 左近の桜、右近の橘

帰京した清盛は本拠の六波羅邸に入ると、二条天皇側近は清盛に接近し、両者はひそかに提携する。 25日夜に上皇天皇内裏から脱出させ自陣営に迎えることに成功する。翌26日、二条天皇は信頼・義朝追討の宣旨を下す。これで清盛が官軍になり、信頼と義朝は賊軍となった。

前日の雪の残る27日辰の刻(午前8時頃)、平家軍が六波羅を出撃した。上皇と天皇を奪われた信頼の迂闊さを呪いつつも義朝はまずは内裏で敵を迎え撃つこととし、諸門に軍勢を配す。義平も弟の朝長、頼朝とともに守りについた。この時、義平は19歳、八龍のを着、石切の太刀を帯び、葦毛のに乗り敵を待ち構えた[4]

待賢門は信頼が守っていたが、そこへ清盛の嫡男の重盛が攻め寄せ、怯えた信頼は戦わずに逃げ出し、門を突破されてしまった。義朝は「大憶病者が、もう待賢門を破られてしまったぞ。敵を追い返せ」と出撃を命じた。「承知」と叫ぶや義平は鎌田政清後藤実基佐々木秀義三浦義澄、首藤俊通、斎藤実盛岡部忠澄猪俣範綱熊谷直実、波多野延景、平山季重金子家忠足立遠元上総広常、関時員、片切景重の坂東武者17騎を率いて駈け出した。義平と坂東武者17騎は重盛の500騎にど真ん中に飛び込んでさんざんに戦い、これを蹴散らしてしまった。義平は敵の大将の重盛に組みかかろうと内裏の左近の桜右近の橘の間を7、8度も追い回した。重盛は混乱した兵を収拾して一旦退き、新手の500騎を得て再び門内に押し出した[5]

新手を受けた義平は勇みに勇んで突撃し、重盛に向い「嫡男同士なんの不足があろうか、さあ組もう」と挑みかかる。まもとに相手にすべき敵ではないと考えた重盛は兵を退かせた。それを義平が追撃。平家の500騎は源氏の17騎に追い回され蹴散らされた。

重盛は主従3騎で逃げるが、それを見つけた義平は鎌田政清とともにこれを追った。政清は重盛の馬を射て、重盛は転げ落ちる。そこへ政清が組みかかろうとするが、与三左衛門景安が主人を守り、政清と組み合いになった。義平は重盛を追うか、政清を助けるかを思案し、まずは大切な家人の政清を助け、景安の首をはねた。覚悟を決めた重盛は義平と一騎打ちしようとするが、新藤左衛門家泰がこれを遮り、義平に組みかかった。家泰は討たれたが、その間に重盛はその虎口を逃れた。

[編集] 六波羅突撃

郁芳門では義朝と頼盛(清盛の弟)が激戦し、頼盛は突破できず兵を退いた。源氏軍は内裏を出て平家軍を追撃する。ところが、これは計略であった。教盛(清盛の弟)の別動隊が内裏に迫るや内応者が門を開けて引き入れ、内裏は平家方に占拠されてしまった[6]

退路を失った義朝は清盛の本拠六波羅への総攻撃を決める。源氏勢が六波羅へ馳せ向かっていると、六条河原あたりで源頼政(義朝とは別系統の摂津源氏)の300騎が戦うこともなく布陣していた。これを見た義平は「さては我らが負ければ平家に味方しようとしているのだな。憎いやつだ。蹴散らしてしまえ」と同じ源氏の頼政の軍勢に攻め込んでしまった。いきなり攻撃されるとは思っていなかった頼政の軍は蹴散らされるが、頼政は形勢はうかがっていたが必ずしも平家に付こうとも考えていなかったのに、結果的に平家方に追いやることになってしまった。義平に好意的な『平治物語』の作者も「若気の至りであろう」と評し、項羽がいたずらに中立者だった王陵を攻撃しての高祖(劉邦)に付かせてしまった故事を引いている[7]

義平は坂東武者を率いて六波羅へ攻め寄せた。清盛も黒一色の武具鎧に黒馬に乗って出陣。すると「悪源太義平見参」といっきょに突きかかり、平家も主人を討たせてなるかと源氏を押し包み乱戦となるが、源氏は朝から戦い通しなのに対して、平家は次から次へと新手を繰り出しており、疲弊しきった源氏は遂に敗走した[8]

[編集] 落ち武者

義朝は東国で再挙すべく京を脱して落ちるが落ち武者狩りに遭い、義朝の大叔父の義隆は死に、朝長も腿を射られ重傷を負った。大勢では逃げ切れまいと付き従っていた坂東武者たちを解散して、義朝と子の義平、朝長、頼朝、それに一族の源重成平賀義宣、家人の鎌田政清、金王丸の8騎となり、関東を目指した。雪中の逃避行で年少の頼朝が脱落してしまう。

一行はようやく義朝の妾のいる美濃国青墓宿にたどり着いた。ここで義朝は再挙のために義平は東山道へ、朝長は信濃甲斐へ下って兵を募るよう命じた。兄弟は宿を出ると朝長は心細げに「甲斐信濃はどちらへ行けばよいのでしょう」と問うと、義平ははるか雲の方を見て「あっちへ行け」と言うや、飛ぶがごとく駆け去ってしまった[9]

負傷していた朝長は進むことができず青墓へ引き返し、捕らえられるよりは死を望み、義朝は涙ながらに自らの手で我が子を刺し殺した。

翌永暦元年(1160年)正月3日、鎌田政清の舅である尾張国の住人長田忠致の館に逗留していた義朝は忠致の裏切りにあい政清とともに謀殺されてしまった。

飛騨国に着いた義平は兵を募り、かなり集めたが、義朝横死の噂が伝わると皆逃げ散ってしまった。これまでと自害しようと思ったが、せめて清盛か重盛と相討ちになろうと心に決め、京へ向かった。

六波羅あたりで機会を伺っていると、家人だった志内景澄と出会った。怒った義平は詰問するが、景澄は「源氏の世が戻るまで機会をうかがっていたのです」と弁解し、結局、協力することになり、義平は景澄の下人ということにされ、数日、暗殺の機会をうかがった。

だが、義平の風貌はとても下人風情とは見えずに不審がられ、宿舎の主人が二人の食事の様子をのぞき見ると下人のはずの義平が主の膳を景澄が下人の膳を食べていた。さてはと密告され、18日夜に難波経遠が300騎を率いて宿を取り囲んだ。義平は飛び出すや石切の太刀を抜いて4、5人を斬り捨てて逃げ去ってしまった[10]

[編集] 義平の死

その後、義平は近江国に潜伏するが、25日に石山寺に潜んでいたところを発見され、難波経房の郎党に生け捕られた。

義平は六波羅へ連行され、清盛の尋問を受けた。義平は「生きながら捕えられたのも運の尽きだ。俺ほどの敵を生かしておくと何が起こるかわからんぞ、早よう斬れ」と言ったきり、押し黙ってしまった。

義平は六条河原へ引き立てられた。太刀取りは難波経房。「俺ほどの者を白昼に河原で斬るとは、平家の奴らは情けも物も知らん。阿倍野で待ち伏せて皆殺しにしてやろうと思ったのに、信頼の不覚人に従ったためできなんだのが悔やまれるわ」と憎まれ口を叩くと、経房へ振り向き「貴様は俺ほどの者を斬る程の男か?名誉なことだぞ、上手く斬れ。まずく斬ったら喰らいついてやる」と言った。

「首を斬られた者がどうして喰らいつけるのか」と問うと、「すぐに喰らいつくのではない。になって蹴り殺してやるのだ。さあ、斬れ」と答えて義平は斬首された。享年20。

それから8年後、難波経房は清盛のお伴をして摂津国布引の滝を見物に行った時、にわかに雷雨となり、雷に打たれて死んだという。

[編集] 脚注

  1. ^ 曹源寺(太田市祥寿姫菩提寺)の寺伝による。
  2. ^ ただし、実は母は京都郊外の橋本の遊女で、三浦氏の養女とされたという説もある。
  3. ^ この話は「金比羅本」等の後世にあらたに作成された『平治物語』には出てくる話であるが、成立年代の古い古態本(「陽明本」など 岩波書店「新日本古典体系」に所収)には任官の話も清盛を討つための出撃要請の話は一切出てこない。
  4. ^ この義平等の装束についても金比羅本等の後出本には記載されているが、古態本には一切出てこない。
  5. ^ この左近の桜右近の橘の場面は『平治物語』の一つのハイライトであるが、乱当時の内裏は実際にはこのような造りをしておらず、鎌倉時代中期以降の内裏のつくりがそのまま持ち込まれている。よって橘桜の場面も『平治物語』の虚構であるとも見方も提示されている。(日下力「平治物語」)
  6. ^ 古態本には平家のこの策略の話は一切出てこない。源氏軍は自主的に六波羅へ向かっている。
  7. ^ 前出の元木泰雄「保元・平治の乱を読み直す」によると頼政は元々美福門院にしたがっている立場で、信頼に一時同心しただけであるので、二条天皇が不在となったその時点では自らの意思で信頼陣営から抜け出したと見るべきだとされている。
  8. ^ ちなみに古態本には六波羅襲撃をおこなった時点での義朝軍は20騎ほどしか残っていなかったと記載されている。
  9. ^ 古態本では朝長に信濃へ行くように命じた記載はない。
  10. ^ 古態本には志内景澄や義平が下人になる話は一切載っていない。

[編集] 関連項目

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