源当時
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源当時(みなもとのまさとき、貞観10年(868年)-延喜21年5月4日(921年))は、平安時代前期の公卿。文徳源氏。文徳天皇の皇孫で、右大臣源能有の次男。生年については承和14年(847年)説もある。子に源忠相・源相平・源相職・源当相・源相明・源相国・源中明・寛延がいた。
元慶6年(882年)従五位下に叙位される。その後、侍従・左少弁・右中弁・左中弁・左京亮・右衛門権佐などを経て、延喜11年(911年)9月13日従四位上参議となり、同年検非違使別当に補任された。延喜21年(921年)従三位中納言になったが、同年5月4日薨去した。没年齢については75歳説(『尊卑分脈』及び『公卿補任』)・65歳説・54歳説(『一代要記』)があって定説はないが、父源能有(845年-897年)の生没年との関係から享年54歳とするのが最も自然と思われる。遺骨は粉にして器に入れられ、東山の僧蓮舟法師のもとに安置されたという(『左経記』)。
また、延喜6年(906年)の日本紀竟宴に参加したとき、下照姫を題として詠んだ和歌1首が残る。