京職
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京職(きょうしき)は律令制における首都行政機関。律令制に置いては首都を東西に分けて東側を「左京(さきょう)」、西側を「右京(うきょう)」と呼ぶ慣わしがあった。このため、京職も左右それぞれに設置されて「左京職(さきょうしき)」・「右京職(うきょうしき)」と呼ばれていた。
[編集] 職掌
京職は都に関わる行政・治安・司法一切を統括する。京職は地方における国司にあたるが、格式はそれらより高く、国司が外官(地方官)であるのに対し、京職は京官(中央官)扱いであった。行政事務を補佐するために各条ごとに坊令、各坊ごとに坊長(町長)が置かれ、末端まで統治した。坊令・坊長はそれぞれ郡司・里長にあたる。坊令は令制では定員12人であるが、遷都ともに変化した。左右二職ありそれぞれ左京・右京を統治する。被官に市司(いちのつかさ)があり、それぞれ左京職が東市司を、右京職が西市司をそれぞれ管轄し市場に関する事務を取り扱った。のち、平安時代になると治安権限を検非違使に奪われ、京の荒廃とともに形骸化した。唐名を京兆という。
室町時代には、三管領のひとつ細川氏宗家が右京大夫の職を世襲したため、細川氏宗家は京兆家とよばれた。
戦国時代になり、朝廷や公家が経済的に困窮し、官位が売られるようになると、武家の名門である、管領細川家の代名詞とも言える右京大夫は、地方の戦国大名(特に東北地方の大名)にとって箔付けのために最も人気のある官位であったという。
[編集] 職員
それぞれ左右二職に設置された
- 大夫(正五位上→従四位下)
- 亮(従五位下)
- 大進(従六位下→従六位上) 少進(正七位上→従六位下)
- 大属(正八位下) 少属(従八位上)
- 坊令(無位→少初位下)
- 坊長
- 史生
- 職掌 新設
- 使部
- 直丁
被官として 東・西市司
備考:藤原仲麻呂政権下で左右京を一人で統治する京尹(きょういん)が置かれた。