検非違使
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検非違使(けびいし/けんびいし)は令外官の一つ。「非違を検する」の義。検非違使庁の官吏。佐と尉の唐名は廷尉。京都の治安維持と民政を所管した。
[編集] 概説
平安時代の弘仁7年(816年)が初見で、その頃に設置されたと考えられている。当初は衛門府の役人が兼務していた。長官の別当、次官の佐、判官の大尉・少尉、主典の大志・少志の四等官より構成される。各々、官位相当は無い。五位から昇殿が許され殿上人となるため、武士の出世の目安となっていた。
別当は参議か中納言が兼務している場合が多い。佐は左右四名いて、左右衛門佐が兼務していた。別当は兼務が多かったので実質検非違使庁での最高責任者であった。大尉は左右四名で明法家である中原氏、坂上氏が歴任していた。少尉の定員は不定で、源氏や平氏などの武士がなることが多かった。また、大尉、少尉は別名で判官ともいった。源義経を九郎判官と呼ぶのもこの官職に就いていたからである。大志、少志も定員は不定で明法家がなることが多かった。
看督長(かどのおさ)は罪人を収監する監獄を管理する役であったが、後に罪人を捕縛する役になる。赤狩衣、白衣、布袴に白杖を持つ異形のいでたちで職務に当たった。案主(あんじゅ)は検非違使庁の事務役人で、当初一名だったが後に人数が増えた。火長は衛門府の衛士から選抜された者で、そこから案主や看督長が選ばれた。放免は元罪人で、下部ともいい罪を許され検非違使庁で働くものである。実際に犯罪者を探索し、捕縛したり、拷問を担当した。
平安末期になると院政の軍事組織である北面武士に取って代わられ、更に鎌倉幕府が六波羅探題を設置すると次第に弱体化し、室町時代には幕府が京都に置かれ、侍所に権限を掌握される。
[編集] 備考
初期のコンピュータゲーム『平安京エイリアン』のプレイヤーキャラクターは検非違使という設定であった。