海和俊宏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海和 俊宏(かいわ としひろ、1955年4月24日 - )は、山形県最上町出身の元アルペンスキー選手。日本が生んだ初のFISワールドカップ・第1シード選手。現在はカイワスポーツクリエイティブ代表として、北志賀よませ温泉スキー場で、ホテルとスキースクールを経営し、レーシングキャンプから修学旅行の団体まで、幅広くスキー、スノーボードを教えている。よませは、海和の移住以降、レーシング系スキーヤーのメッカの一つとなっている。
[編集] 経歴
1977年オーストリアのサン・アントンで開かれたFISワールドカップ・男子回転でタイム差が1秒僅かで7位に入り、第1シード入りを果たす。翌1978年西ドイツのオーバーシュタウフェンで開かれたFISワールドカップ・男子回転では5位につける。同年ドイツのガルミッシュ=パルテンキルヒェンで開かれた世界選手権では7位。
当時共に戦った、FISワールドカップで歴代第1位の通算80勝以上を記録したことで有名なインゲマル・ステンマルクは、第1シードに入った海和を「技術的に世界で一番怖いのはカイワ」とインタビューで答えている程、技術的には世界トップクラスの選手だった。
しかしその後アキレス腱を切断するトラブルに見舞われ、復帰するも最高位は10位と二度とワールドカップで一桁台の成績をあげることはできなかった。今でも日本人として「ワールドカップ表彰台の中央に最も近くまで滑った男」と言われるが、1984年サラエボオリンピックで12位の成績を残し国内大会で惜しまれながら引退した。
1987年ホイチョイ・プロダクションズ製作の映画「私をスキーに連れてって」では、スキーヤー関係の窓口として参加し、三上博史や出演者たちのスタントの手配から、スキーに関する技術情報や小ネタ(たとえばスキーをストックを使わずに外すシーンがある)までを提供しているが、当時アマチュア規定にうるさかったSAJに所属していたため、クレジットはされていない。しかし、自身も画面でスタントとして滑っていると現在では認めている。